交通工学との出会い

飯田 恭敬

これまで38年間にわたって交通工学の教育研究に携わってきたが、交通工学と出会えたことは、この上ない幸運ではなかったかと思っている。小生が入学したのは1960年であり、世の中は安保問題で騒然としている時期であった。小生自身は政治的なことにはあまり関心がなかったが、その一方で大学での講義にも興味が感じられず、自分の将来に悩んでいた時期であった。このように自分の進むべき方向に迷いながら専門課程に進み、いよいよ卒業論文のために研究室を決めなければならなくなった。そのとき、米谷栄二教授の研究室は交通工学という新しい分野を始めていると先輩から聞き、興味が持てそうなので研究室を志望したのである。米谷教授はアメリカで交通工学を学んだ日本人では最初の大学研究者であり、先生の研究室に対して新しい社会をリードしていく新鮮さを感じたのである。また当時は、日本でもモータリゼーションが始まろうとしている頃だったので、将来の発展性を感じたのが大きな動機であった。

また、小生が研究者としての道を選ぶことになったのは、修士課程において佐佐木綱先生の直接指導により、OD交通量推定のためのエントロピーモデルの研究開発に関わったことが影響している。道路計画の基礎データとなるOD交通量推定モデルの開発が当時としては重要な研究テーマであった。OD交通量は、地点間の交通量のことであり、古くから使用されている重力モデルのような経験モデルではなく、交通移動現象を合理的に説明できる新しい理論モデルが求められていたのである。OD交通量の推定値は、対象地域内の各ゾーンにおける発生交通量と集中交通量が既知であるとして、個別のゾーン間交通量がマトリックス形で表示される。このとき、マトリックスにおけるOD交通量の行和と列和がそれぞれゾーン発生交通量とゾーン集中交通量に一致する保存制約条件を満たさねばならない。

エントロピーが最大になるのは、よく知られているように、個々の状態が均等化するときである。交通移動に関しても、何も事前情報がなければ、どこへ移動するのも同じ確率で生起すると考えるのが自然である。このような考え方にもとづき、発生・集中交通量の保存制約条件の下で、トータル交通量をODマトリックスの各要素に割り当てる順列最大化(対数)を目的関数とするエントロピーモデルを定式化した。しかし、このモデルを実際に適用してみると、現実値との適合性があまりよくないことが判明した。その理由は、実際の交通移動における事前情報が、このモデルでは欠落していることにあると考えた。そこで、事前情報として目的地選択確率に交通コスト(所要時間)が関係するとして、多項確率分布で定式化することにした。修正したモデルによるOD交通量の推定は、上と同じ保存制約条件の下で、生起確率(対数)を最大化することで行える。この目的関数は、各OD交通が等しい確率で生起しようとするエントロピーの項と、OD交通量のトータル移動コストを最小化しようとする輸送計画モデルの項、の合成型となっており、重力モデル型エントロピーモデルと名付けられた。実際に起こっているOD交通量はこの中間に位置すると考えられ、交通工学的にも合理的な説明ができるし、モデルを実際に適用したところ適合性もきわめて高いことが検証された。

この他にもいくつかのモデルを構築したが、重力型エントロピーモデルを上回るものは見つからなかった。このようにして佐佐木綱先生の指示を受け、マンツーマンで考えられる多くのモデル開発を試みたのである。修士学生の身分であるため、先生からのプレッシャーを常に感じながら研究作業に励んだが、この指導を通して小生が学んだものはきわめて多かった。たとえば、数式およびモデルの持つ物理的意味を正確に理解することや、適用における交通工学的な意義をしっかり考えることである。それから何といっても、研究することの面白さを経験させてもらったことである。修士課程を終了した後、一度は実社会に身を投じたにもかかわらず、大学研究者としての道に進むことになったのは、こうした貴重な経験が小生の気持ちをそのよう向けさせたというのが偽らざるところである。

いまはお二人とも故人となられたが、交通工学との出会いを与えていただいた米谷先生と、研究に対する姿勢と魅力を教えていただいた佐佐木先生に対し、厚くお礼を申し上げる次第である。もしもお二人の先生に学生時代にお会いすることがなければ、おそらく大学研究者を仕事として選ぶことはなかったし、またなることは困難だったと思われる。おかげさまで、大学研究者になってからは専門分野を進む上での迷いはなく、特に京都大学においては優秀な研究スタッフに恵まれるとともに、研究費にもそれほど困ることはなく、充実した研究生活が送れたことは幸せであった。人生は出会いで決まるとよくいわれるが、小生の場合、幸運な出会いに恵まれたことを心から感謝している。

(名誉教授 元都市社会工学専攻)