吉田回想

齋藤 敏明

吉田回想工学部広報担当の方から本稿の依頼を受け思案をしている時、ある方から「工学部教授退職記念パーティでの挨拶が面白かったので何かに書かれては。」と言われたのを思い出し、それを真に受けてその要旨を以下に書かせて頂きます。

私を含め本年3月退職者は昭和17年度の生まれであり、戦争中の慌ただしいときに生を受け、微かではありますが戦争を直接記憶している最後の年代かと思います。人生に一区切りつけ、来し方を振り返る時、いつの時代でも人それぞれに同様でありましようが、私の60年間もまさに激動の時期であったと感じております。その激動の内容は各研究分野によって違うでしょうが、私は資源開発を専門にしておりますので、この分野での例を挙げてみます。例えば、わが国の石炭採掘は戦後の重要なエネルギー源としてわが国の復興に貢献し、ピーク時には年間5,000万トンの生産量を誇りました。しかし、一方では労働争議や大事故など社会問題も引き起こしました。先代の先生のお供をして私も、多くの事故現場を見てまいりました。やがて、産業構造の国際化や社会構造の変化に伴い輸入炭に押され国内生産が難しくなり、太平洋炭鉱を最後にその役割を終えたことは周知の通りであります。生産量の点で言えば、ほぼこの約60年間で石炭を消費し尽くし、わが国は石炭を産出しない国になったと言えるでしょう。

昭和が63年で終わりましたので、私の年代に限りませんが、くしくも昭和17年度生まれの者は平成17年度に定年を迎えることになり、退職を迎えたこの時期、時代を一巡りした感があり、感慨深いものがございます。

大学におきましても大きな変化がありました。特に大学法人化は最近の大きな出来事でありますが、組織的なこともさることながら、教育、研究にも大きな影響を及ぼしました。例えば、京都大学における教育は「ノーベル賞を取れるような学者を育てる」ことだと若い頃に教えられたように思います。すなわち、よくできる学生をもっとできるようにというのが基本であったはずですが、最近では外部評価をクリアーするためでしょうか、どうもそうではないように感じております。研究面でも、研究の成果は論文として発表し、その企業化は別の問題であると教えられたように思いますが、最近では大学による特許取得など研究成果の社会への還元方法が大きく変化してきました。

たとえがあまり適切でないかもしれませんが、池波正太郎の時代小説に「剣客商売」というのがあります。テレビでもやっていましたからご存知の方もおられると思いますが、このテーマは、剣客は戦国乱世の時代には腕さえあれば名を揚げることはさして難しくありませんが、太平の世に剣客としての本分を曲げず生きるには腕だけでは難しく工夫が必要であると言ったところで、作者はこれを「剣客商売」と言う言葉で表現したものと思います。この表現を借りれば、我々はまさに「学者商売」、「大学商売」の世界に入ったと言えるかと思います。京大の伝統を守りながらさらに発展させることは容易でなく、新しいセンスが必要でありましょう。古いセンスに愛着を感じている私の年代は残念ながらと申しますか、幸いなことにと申しますか、定年を迎えることになりました。後は先生方に託して見守らせていただきますのでどうかよろしくお願いいたします。また、私は、桂ではなく吉田で定年を迎えさせていただきました。これも残念というより幸運であったと申せば語弊がありましょうか。

長年、この伝統ある京都大学の工学系で過ごさせていただきましたことはこの上ない幸せでありました。平凡な言葉ではありますが、大過なく定年を迎えることができましたのも先輩、同躍、後輩の先生方ならびに事務の方々のご支援とご協力の賜物と深く感謝いたします。

(名誉教授 元社会基盤工学専攻)