4種類の名刺

辻 文三

4種類の名刺工学部、工学研究科の教授としてお世話になりました9年弱の年月は、あっという間に過ぎ去った気がします。その間、良好な環境を与えられながら、教育研究上のさしたる貢献も出来ませんでしたことを申し訳なく思っています。慌ただしく過ぎ去った原因のひとつは、9年弱の在任期間に名刺が4回も変わりましたことから、必ずしも個人的な問題だけではなく、時代の特性を反映しているのではないかと考え、その間の大学内外の動向とあわせながらメモを綴ってみたいと思います。

私は、平成7年4月16日、工学部建築学第二学科教授として着任しました。そのほぼ3ヶ月前には兵庫県南部地震が発生し、それまで勤務していました神戸大学のある神戸市を中心に、周辺の地域を含めて未曾有の大震災をもたらしました。建築構造学を専門とする私にとりまして、大学の人事とは独立の現象とはいえ、責任を痛感して、1年間神戸大学教授も併任することになりました。そのため、週1日を神戸大学日として、学部と大学院の講義、研究室のゼミナールを行い、教授会にも出席しました。京都大学では着任したその日に建築学第二学科主任を命じられましたので、慣れない環境でもあり、多くの先生方に助けられながらの慌ただしい1年でした。

翌平成8年4月1日、工学研究科生活空聞学専攻教授の名刺に変わりました。これは、大学院重点化という、大学院制度の弾力化に伴うもので、工学部としては土木工学系と建築系が最後の重点化でした。大学院専任講座や大講座制が導入されましたが、建築系専攻では研究分野中心の運営でしたので、実際の教育研究環境が大きく変化した訳ではありませんでした。しかし、思いがけないところに大講座制の論理が出たりして、多少の試行錯誤はありましたが、それも次第に消えていったように思います。大学院重点化と同時に、工学部も再編整備されました。建築系学科では、それまで同じ講義や演習内容なのに異なった名称を持つ2種類のカリキュラムがありましたが、建築学科1本にまとまり、こちらのほうは随分すっきりしたように思いました。

平成9年11月1日、工学研究科環境地球工学専攻教授の名刺になりました。この配置換は、建築学教室の人事構想に基づくものでした。現在は発展的に解消しているこの専攻は、建築学、土木工学、環境工学各専攻教員が集まった独立専攻として平成3年に設置されたもので、大学院生の教育に様々な新しい試みを取り入れており、専攻設立の理念を保っていこうとする先生方が多く、楽しくすごさせていただきました。この専攻は、大学院制度の弾力化に伴い、学部編成の考え方や教員配置等にとらわれることなく自由に編成しようという考え方が背景にあって設置されたもので、大学院重点化に先駆けて設置された独立専攻でした。

平成15年4月1日、都市環境工学専攻教授の名刺になりました。これは、京都大学の学際的または先端的学問分野の構築を目的とする独立大学院設置構想の流れの中で、平成14年に設立された地球環境学堂・学舎の設立と連動した、工学研究科の再編整備に伴うものでした。新たな独立研究科設置は、既存の組織を再編整備すること以外に設置できない環境に変わってきたことから、既存の専攻の意味を再検討することが必要になりました。ここでは、大学院の専攻の構成は院生の教育を中心とし、学問的にコアとなる講座や分野を中心とした比較的大きな専攻と、学問的に特徴のある比較的小規模の専攻を組み合わせて、いわば不易流行を念頭に、時代の変化に対応しようとする考え方をとっていました。

このように綴ってみますと、私の名刺の変化は、主として独立研究科、独立専攻を可能にさせた、「大学院制度の弾力化」がその背景にあることが分かりました。以上は、昭和62年に発足した大学審議会が活発に答申を出した大きな動きの中で、京都大学がその独自の展開を模索している中での、わずか9年弱の私の経験した出来事を記したに過ぎません。退職の際に資料を処分してしまい、記憶に頼って書いていますので、誤りが多くあるかもしれません。あらかじめご寛恕をお願い致しておきます。

9年弱の在任期間に私が得たもっとも大きな財産は、多くのすばらしい方々と巡り合い、様々なことを学ばせて頂いたことです。深い感謝の意を表明させていただき、筆を置きます。

(名誉教授 元都市環境工学専攻)