工学の研究教育における個性とは?

評議員 橘 邦英

工学の研究教育における個性とは?最近、グローバル化や少子化さらには国立大学法人化の流れの中で、各大学の個性や特色が、文科省はもとより社会からも、より強く求められるようになってきた。教育研究における各種の競争的資金を獲得するにあたっても、総長を頂点とした大学のリーダーシップと共にプロジェクトの特色を本学の個性にもとづいて明確にすることが必要とされている。本来、真理の探求とその応用を追求する科学技術においては、そこから得られた成果そのものは普遍的なものであるが、課題の設定やアプローチの仕方においては、確かに学術研究者や教育者の集団としての各大学には個性や特色はあり得るのだろう。

本学の学風は、自重自治の伝統のもとに、より基礎的で根源的な学理を追求するところにある。また、京都という千年の都にあって、伝統文化的風土がその学風の根底を支えているとも言われる。しかし、最近では交通の利便性がますます良くなって、同じ大学よりむしろ他大学の研究仲間との交流の機会が頻繁になっている現状では、地域的な風土による個性は現れにくくなってきている。しかし、大学の評価や競争的資金の申請にあたっては、否が応でも意識的に個性や特色を抽出して、演出する作業をしなければならない。これまであまり意識してこなかったこのような課題について、より強く意識せざるを得ない立場になって、今さら頭を抱えている次第である。

特色や個性の中で誰にも最もわかりやすいのは、世界中でナンバーワンやオンリーワンと言える例を示すことであり、本研究科でも、それに該当する研究成果を挙げてきている教員も少なからず在籍することは事実である。しかし、そのような個別の例をいくつか束ねて一つの旗印として研究科の特色や個性というのには多少無理がある。然らば、研究だけでなく教育や人材育成という使命をもつ機関としての特色や個性とはどう表現すればいいのだろうか?この課題に対すユニークな一般解はおそらくないと思われる。時宜に応じて、社会を納得させうる解を特殊解として、その事例を蓄積し一般化していくことで、後に校風と呼ばれるものが残るのではないだろうか。

ちなみに、全学の学術研究推進戦略会議というところから、京都大学の進むべき方向性として打ち出している戦略が示されているが、その中からキーワードを拾ってみると、基礎学術研究、先端応用研究、異分野融合、全国・国際共同、安全安心の機能創成、先端医療・生命科学、生存基盤・地球環境、産学民連携、人材の育成と活用、などが挙げられる。これらのどれが本学の個性や特色にあたるのかはストレートに伝わってこないが、多数の部局を有する本学のような総合大学では、単純明快な言葉で表現することは至難の技であると推察される。ところで他大学の例では、芸術系大学や外国語大学との統合によって“ 感性” あるいは“ 国際性” というキーワードで個性や特色をアピールしているところもる。あるいは、近隣のいくつかの大学との連携によって、異質の個性の融和と相乗効果によってより大きな特色を出そうとしているところもある。本学では、各部局がそれぞれにプレゼンスをもった大きな単位であり、その連携や融合によって他大学の試みに匹敵し凌駕する新機軸を打ち出せるし、それが戦略会議のねらいかも知れない。

総論はさておき、各論として工学研究科が抱えている課題のいくつかに首記の問いを自問自答してみたい。その第一に大学院改革があげられる。工学研究科では約10 年前に大学院重点化を完了し、その後もエネルギー科学や情報学、地球環境学堂などの独立研究科が誕生して、今では学部学生の90% 程度までが修士課程に進学する状況になってきている。その大衆化の流れの中で、学生は安易に2 年間を過ごし、主に勢力を注いで見つけた意中のブランド会社へそそくさと出て行く、といった様相が定着してきている。従って、博士後期課程への進学率も、一部の専攻を除いては押しなべて低迷しており、21 世紀COE などで多少の支援をしてきているにも関わらず、定員の充足率も伸び悩んでいる状況である。この現状の中で、次のフェーズのグローバルCOE では世界をリードする魅力的な研究教育拠点の形成が求められるわけであるが、拠点における持続的で発展的な研究の活力は、博士課程の学生や若手研究者の新鮮なアイデアやパワフルな実践力に支えられるべきであり、欧米の有力大学でと伍していくためには、まず、そのような人材育成システムが構築され、発展的に維持される必要がある。

そこで、研究科の中に大学院改革WG なるものを設置して、昨年度から進めている現状分析を続ける一方で、極端な理想形としての5 年一貫制の可能性をシミュレーションするところから始めることになった。そうこうする中で各専攻の意見の調整によって、現行制度の枠組みにおいて自由度を最大限に拡大することができる「前後期融合型大学院教育制度」という方式が考案され、その骨組みについては全専攻の合意が得られるに至っている。この新制度では、ほぼ現状維持から5 年一貫制に近い形までのさまざまなバリエーションを、状況に応じてフレキシブルに適用することが可能である。各専攻の特色を生かした具体的な教育プログラムについては、教育制度委員会で引き続き検討が進められている。また、専攻横断型の「総合工学コース」という別枠では、より幅広い学際的領域での教育研究を推進する仕組みを、高等教育院という独立専行的な組織のもとに構築し、インテックセンターの高等研究院などの協力を得ながら、研究科全体で運用していくことを検討している。

現在、各専攻系では来年度から始まる新たなグローバルCOE への応募に向けての準備が始められているが、そこでも先端研究の推進だけでなく、発展的な人材育成の仕組みが組み込まれているか否かが評価の大きなポイントになっている。それぞれの提案の中に、研究科としての取り組みをうまく活用した魅力的な教育研究のシステムの構想が期待される。また、昨年から募集が始まった科学技術振興調整費では、「先端融合イノベーション」と「若手研究者の自立的環境整備」の2 つの領域で、工学研究かが主体的に関与して申請したテーマが2 件採択されている。今年も、前者の領域で申請ができないかと、その基本構想を練るとともに協働企業への依頼を進めている。今回は、できるだけ多くの専攻が関与できるように、キーワードを「システム工学」にしようということになり、その中に本研究科の個性や特色を出していくことができないものかと知恵を絞っている。とりあえずは、「高次調和空間創造のための基盤再生工学拠点」という仮題を設定して、中身を詰めていきながら最終的なプロジェクト名を考えるということで進めている。

現代では、細分化した個別の分野での科学技術がますます発展し、新しい機能で優れた性能の製品が生み出される。それが社会で一躍ブームとなると、こぞって大量生産の体制が作られ、その産業は一時的に活性化するが、やがては生産過多の安売り競争に陥って、再び不況に転じるといった現象が繰り返されている。特に、自分が身を置いている電気関係の業種ではその傾向が顕著である。一方では、これでもかと言わんばかりに沢山の機能を搭載して高機能化への競争が強いられ、結果的にはオーバースペックで扱いにくい量産製品も溢れてくる。そこで、消費者の満足度を個別的にかつ必要十分に満たすことができるむだの無い設計の多種少量製品や、複数の製品のシステムアップによってオンリーワンの要求を満たすようなシステム産業が、今後はより重要になってくると思われる。今回の先端融合プロジェクトでは、従来の個別発展型の科学技術を再統合して、複合化による付加価値や新しい価値を創出するシステム工学をめざしており、それによって、人間-人工物-環境の間の調和のもとに持続的な文化社会の発展を支援できる仕組みの一端を示すことができれば、伝統文化の中心地に存在する本学の特色の一つになり得ると思われる。

ちなみに、今日の科学技術政策では、ナノテクやバイオといった先端領域のみに集中的に莫大な研究費が投入され、その結果、社会の仕組みを支えている基盤的産業に関わる科学技術やその人材養成が手薄になってしまう問題が顕在化してきている。確かに、研究費が獲得しにくく、博士課程に学生が来ないような分野を大学に存続させることは難しくなっているが、従来とは違う視点でもう一度それらの分野を見直し、再生することはできないだろうか。例えば、電力産業では、電気だけでなく機械・原子核・化学工学などの知識も合わせて学習できるようにすることで、原子力発電プラントの総合的な理解や安全安心の設計ができるような人材が育成できるであろう。また、純然たるエンジニアリングとしての価値観に凝り固まることなく、社会的・経済的な要素を融合することによっても新分野の開拓は可能であろう。新しい前後期融合型の制度では、個々の学生ごとに話し合いによって教育研究プログラムを設定して、複数の教員が適宜指導と評価を行い、社会が必要とする人材を個別に養成することも可能になる。そこでは、国内外の企業や研究機関への長期インターンシップなども有効に活用できるだろう。これも敢えて言えば、多種少量生産型の個性的教育システムの例ではないだろうか。

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最後に付け加えるとすれば、このような改革の時期に執行部に関わることができたのは、広範な工学の全体的な視野でシステム工学を実践する機会を与えてもらったものと感謝しているが、実際には何度も壁にぶつかったり頭を打ったりした。その折々に、手近な本を何冊か読み漁ったが、藤原雅彦の「国家の品格」では、欧米の論理至上主義ではなく日本の伝統的な情緒と形という文化の価値を再認識した。また、童門冬二の「小説・上杉鷹山」や「小説・小栗上野介」、さらには、内村鑑三の「代表的日本人」や白洲次郎の「プリンシプルのない日本」では、改革や変革の中で何がポイントで、どのようにすれば仕組みが動くのか動かないのかの実例に触れたような気がした。いま読んでいる柴田・金田共著の「トヨタ式最強の経営」という実学書では、欧米の自動車会社とトヨタにおけるシステム構築法の違いが紹介されている。

それによると、欧米型ではまずシステムのあるべき姿(理想的構想)を描き、完璧で緻密な計画にもとづいてサブシステムを設計して、その組み合わせで全体を構築していくというトップダウンの方式がとられる。この方法では、予想通りにいけば最も効率的であるが、状況の変化に対してはシステムが硬直的で迅速な対応ができないという欠点がある。一方、日本の伝統に根ざすトヨタ方式では、まず全体のありたい姿(願望)をイメージして、そのコンセプトを実現するために、サブシステムごとに課題を顕在化して解決のアイデアを湧出させ、相互の波及効果でよりよい全体システムを仕上げていくといったやり方である。それによって、環境変化に柔軟に対応できるとともに、自ら考えることのできる人の集団が形成される。他の伝統的なやり方としては、ステップ・バイ・ステップの改善方式があり、帰納法的な方法であるが、これも迅速な対応性に欠ける。これに対してトヨタの演繹的な方式は、欧米的なトップダウンの方法に日本的なボトムアップの方法のよさを巧みに取入れて、柔軟に進化できる自己改善組織を自発的に作り上げているところに特色や強みがあると理解した。

ともかく、本研究科の個性や特色としては、やみくもに“Number one in every thing” を指向するのではなく、高い品格を備えた教育研究システムの構築と、その完成度を高めていくところに首題の落としどころを求めたいし、そのような姿勢が本研究科のDNA として継承されることが望まれる。ただ、個性をテーマとする議論には異論・反論や批判も多いと思われるが、この改革期を契機に活発な議論が誘発されれば幸いである。

(評議員・工学研究科副研究科長)