中途半端な世代の退職

酒井 哲郎

酒井 哲郎今年3月に定年退職した私は、昨年7月末に吉田の本部から桂キャンパスに引っ越したので、約半年間だけ新しくて広いキャンパスを楽しんだことになる。3 年前の平成16 年には大学が国立大学法人になり、その1 年前の平成15 年には私の所属する専攻の改組があった。このように退職前の最後の数年は、何か落ち着かない状態で、中途半端な状態で退職した感がある。さらに付け加えれば、年金も60 歳支給から65 歳支給への過渡期にある。世の中そのものが大きく変化しており、その中で大学はある意味では象徴的に変化している。そのような状況を体験出来たことは、幸運であったとも言える。

工学部の桂移転に関しては、私自身は半年間であったこともあり、新しく広いキャンパスや研究室を楽しむだけで済んだが、それでも通勤ではJR 沿線に住んでいることもあり確かに不便であった。移転前から他にも様々な異論があった。それでも移転しなければならない状況にあったからこそ、当時の工学部教授会で移転を決定した。第1 の理由は、本部構内での工学部の存在がその過密さ(旧帝大の中で最も過密と聞いていた)の主原因であり、その移転によって問題が大いに解決されるという他学部の期待があったことである。さらに私の憶測でもあるが、他学部の人たちにとって、京大らしさは他の学部や研究所にあり、過密な吉田周辺のキャンパスには京大らしい組織のみとして、それ以外の組織は移転することが望ましいという気持ちもあったのではないかと思っている。医学部は隣接しているとはいえ、すでに道路を挟んで別の敷地にあり、最も大きい工学部が移転すれば吉田の本部近辺には京大らしい組織だけが残ることになると考えていたのではないかと思われる。

それでは「京大らしい」とはどういうことかとなると、個人によって大いに異なるものと思われるが、少なくとも工学部や医学部以外の組織の人にとっては、工学や医学以外のものと考えていると思われる。京大と言えば、霊長類研のサルの研究や、理学部にいたノーベル賞を受賞した湯川先生の理論物理学の研究などは、多分誰でも思い浮かべる京大のイメージである。その意味で確かに工学は京大ではそのイメージ外かもしれない(福井先生は工学部であったが)。私個人としては、京大のイメージはやはり霊長類研や理学部のあたりになるのかなと思っている。そんなことより、法人になって次々と様々な形で以前とは異なる変化が外部から一方的にやってくる状況で、果たして京大らしさを維持できるだろうかという懸念を、退職した者として持っている。東大の次に作られた京大は、ミニ東大ではその存在価値はない。しかし現状ではミニ東大になりかねない。現在の学長は、そのことを十分意識して、頑張ってくれているように思われる。

さて工学部に話をもどすと、桂に移転した今(物理系は未だではあるが)、1 つ気になることがある。よく言われることであるが、最近の日本経済新聞の「私の履歴書」という連載記事で江崎玲於奈さんが書いていたように、「すぐれた成果は、その内部は混沌としているが外に対してはまとまっている組織で生まれる」という事実である。現在の桂での工学部の状況は、そのような状況なのかは分からない。ただし、混沌とした状況は、物理的には例えば広くて奇麗で便利とはあまり言えないような施設や建物にいる方が生じやすいと考えられる。

私は学部では地球工学科に所属していたが、以前は土木工学科と言われていた学科に所属していた。昭和40 年頃、本部構内で工学部の各学科が競うように新しい建物を建設し、土木工学科も衛生工学科とともに新しい建物(新館)に入った。それまでは、今もある狭い赤レンガの建物にいたと聞いている。当時の長老の教授が、新しくて広い建物に入ったけれども、そのために教官や学生間のコミュニケーションが希薄になって、結果的に組織として活性が失われるのではないかと心配していたと聞いている。確かに、それ以前に赤レンガの旧土木教室でひしめき合って研究をしていた当時の若い先生方がすばらしい成果を挙げ、現在の京大の土木分野の基礎を作った。

現在の桂キャンパスでは、本部構内の新館よりさらにはるかに広くて便利で奇麗な建物にいる。半年間だけだったということもあるが、私自身はほとんどの先生方の部屋に行ったことなく退職してしまった。事実行くだけでかなり歩く必要があり、どこに部屋があるかも不確かな状況であった。勿論常に同じ枠でその組織を考える必要はなく、時代とともに組織そのものが分裂、合体する。新たな組織が、例えば当時の旧土木教室(赤レンガ)での状況を作り出せばよい。必ずしも研究室が狭くて不便で不潔であればよい研究が出来る訳ではない。要は、その内部では常に緊張状態にあり、互いに競争しあう状況が必要であり、しかも外部からみればまとまりのある状況が好ましい。退職した者が無責任に勝手なことを言っているが、工学部の広報ということで許していただきたい。

もう1 つ勝手なことを付け加えたい。以前から、京大工学部の入学試験で、理科に関しては物理と化学の2 科目を課していた。私自身昭和37 年に受験した時すでにそうであったので、少なくとも50 年間は変わっていないことになる。変わらないことがよいこともあるが、この点に関しては大変な誤りであったと思っている。公共事業が環境、特に生態系を破壊しているという世間の批判は大変厳しいものがある。それに対して土木技術者は生態系の話は生物の話であり、自らの守備範囲ではないという姿勢をとってきた。しかし土木工学という分野は本来極めて実学的であり、必要であれば何でも取り入れてきた歴史がある。工学の他の分野でも生物学が関連する分野はかなりあると思う。私自身の専門が土木工学の中の水工学という分野であることもあるが、物理は必須としても、もう1 科目は化学、生物、地学のいずれかを選択するというのが実情に合っていると思う(最近センター試験自体の改革もあって実現の可能性が出てきたと聞いているが)。

さらに受験科目の社会に関しても一言。確か工学部では社会はセンター試験で1 科目のみを課していると思う。当然受験生は点を取りやすい科目を選択することを考え、高校でもその科目以外は勉強をしない。しかし現在の社会では、京大工学部の卒業生がほとんどどのような職業に就こうとも世界の動きが関連し、それはさらに世界の歴史に関連している。私から言えばもし社会1 科目を課すのなら、世界史を課すべきである。世界史(中国やヨーロッパだけでなく、南および西アジアなどの)の知識のない技術しか知らない技術者を京大工学部から出すべきではない。

(名誉教授元都市環境工学専攻)