振り返って

土屋 和雄

土屋 和雄私は昭和37 年に九州の片田舎の高校を卒業して、本学の工学部航空工学科に入学しました。当時の日本は、政治的には60 年安保が終わったばかりで、学内にも政治的な雰囲気が色濃く漂っていました。現在ノヴェンバーフェスティバルと呼び方も変わり様相を一変していますが、11月祭も政治的色彩の濃いものであり、私たちが入学した年の11 月祭のテーマは、「故郷喪失の時代と僕達」でした。11 月祭には多彩な論客がやって来て講演を行っておりましたが、その中に作家の安部公房もおり、「文学とは何か」という演題で講演を行いました。当時、私は文学とはものの哀れを連綿と情緒的に綴るものと思っておりましたので、安部公房の「文学とは、言葉という道具を使って宇宙を創造する行為である。」という言葉に衝撃を受けました。カルチャーショックでした。そして、「これは素晴らしい所にやってきた。これからは、このような色々な分野でのすばらしい出会いが数多くあるのだろう。」と思いましたが、この期待は自由で闊達な雰囲気の満ち溢れていた京都大学のキャンパスの中で十分に満たされたと思います。

その後、私は大学院の修士課程を終えて企業に就職し、20 年余りを研究開発の現場で過ごし、京都大学に戻って参りました。久しぶりの京都大学は、学生時代と同じく自由な雰囲気の中にあり、心安らぐものでありました。しかし、20 年余りを企業の現場で過ごし大学に戻ってくると、色々と感じることはありました。その一つは、研究組織としての大学に対する懸念でした。すなわち、大学には多数の優秀な研究者が自主的に自由な研究を行っています。しかし、その結果として、彼らは、お互いにあまり関係を持たない研究者集団として存在しているだけであって、お互いに密接な関係を持った研究者組織としては存在していないのではないかという懸念でした。私も長年その中で過ごした企業は、ごく普通の技術者からなる集団ですが、その中に有機的なネットワークを持った組織を作り上げ、優れた組織的成果を出すことが組織目標であり、その為に日常的な教育をも含め厳しい努力をしています。このような状況を反映して、法人化の前後から、組織化されていない集団としての大学の効率の悪さにいらだった産業界から、大学における組織運営方針として、企業における組織の基本的な運営方針であるプロジェクト型の運営を取り入れることの圧力が強まってきました。例えば、日本経済調査協議会の報告では、「大学はこれまでの教授会的自治・集団的意思決定システムを根本的に改め、学長の強力なリーダーシップのもとで特色ある教育・研究を行うことが望まれる。」と提言されています。

私は、その言わんとすることは体験的に十分理解出来るのですが、この方向は大学、特に京都大学のとるべき道ではないだろうと思いました。京都大学のとるべき方向は、夫々の研究者は、自主的に自由に研究を行っているのだけれども、それは全体として京都学派としての存在感を印象付けるものとなっているという京都大学の自主的で自由な学風・伝統を発展させていく方向であると思います。しかし、このような学風・伝統というものは、それが日常的なものであるがゆえに、作り上げ定着させるということは、トップダウン的なネットワークを作り上げるよりはるかに大変なことです。京都大学のこのような伝統も、多くの先輩の先生方の努力で作り上げられたものと思います。古くは、人文科学研究所での桑原武夫先生の「ルソー研究」という優れた共同研究があります。「京都大学百年史 部局史編 第16 章 人文科学研究所」には、この共同研究という方法がとられた背景が、桑原先生の言葉で次のように書かれています。

「…日本の学者の多くが悪しき意味の専門家となり、文化の他の分野に対する理解に乏しい。このような弱点を克服するために、…各自もちろんその専門の立場から研究するのだが、その成果を未成熟のままで、また能うかぎりしばしば、相互に示し合い、批判しあうことによって、知見と材料との共有性をたかめるという方法をとった。…われわれは共同することによって、いわば家内的手工業からマニュファクチュア的になることによって、生産意欲をあげ、生産のスピード・アップが可能となるかどうか、そのエクスペリメントをも試みたいと思ったのである」(下線は筆者による)。また、人文研の研究会の雰囲気を加藤秀俊先生は、「職階上の差別はいっさいしない、しかつめらしく肩を怒らせたむずかしい議論はしない、そのスタイルは、非公式の座談、といったおもむきであった」。とエッセイの中で回想されています(「わが師わが友 ―ある同時代史―」)。

現在、工学研究科では、いくつかの21 世紀COEが進められています。機械系でも21 世紀COE「動的機能機械システムの数理モデルと設計論」が進められています。機械系21 世紀COE を運営していくことが、ここ4、5 年、私の重要な活動の一つとなりました。私達が機械系21 世紀COE の活動を通して実現したかったことは、上で述べたような自由で闊達な議論があちらこちらで沸きあがってくるような活気ある雰囲気を作り上げたいということでした。物理的なアナロジーで言えば、その知的活性度を高めて、何らかの刺激によって、共同研究という有機的なネットワークが自己組織的に形成される組織を作り上げることを目指したわけです。そのためには、まず、夫々の研究者が日常的に進めている研究を貫く統一的な視点を設定して、その視点から、日ごろあまり研究上の交流のない人とも、研究上の議論を積極的に行って相互理解を深めることが必要と考えました。そして、その視点を「複雑さ」と設定しました。すなわち、「複雑さ」という視点から日常的な研究を眺めてみよう。そして日常的に議論する中で、機械工学という研究分野の知見の共有性を高めていこうということです。さらに、面白い研究をしている国内外の研究者を積極的に招聘し講演していただくとともに議論して、研究のネットワークを広げていこうと考えました。「朋あり遠方より来る。また楽しからずや」です。さて一方、工学研究科では、21 世紀COE の活動と連携して、大学院教育プログラム改革が進められていますが、この教育プログラム改革においても、学問的な知見を共有する研究者のネットワークを基礎とした研究組織は重要な役割を果たすだろうと思います。すなわち、新しい教育プログラムでは、既存の専攻を横断的に融合した教育組織 「高等教育院」が組織され、そこで、博士学位の取得を目指した大学院生に対して修士課程と博士後期課程の教育プログラムを連携した教育プログラム、「前後期連携教育プログラム」が行われることが計画されています。このような学際的で長期的な視野の立った教育プログラムの中で、京都大学の伝統である「研究を通しての教育」は実質化され、広い視野を持ち新しい研究分野を切り開いていくことのできる創造的な研究者が育てられていくだろうと思いますが、このプログラムがうまく機能するためにも、やはり、広い学問的な視野を持った研究者の有機的なネットワークを基礎とした研究組織の存在が決定的に重要であると思います。

自由で闊達な議論があちらこちらで沸きあがってくるような活気ある雰囲気を作り上げる為の地道で日常的な活動が粘り強く継続されていく中から、自主的で自由な研究・教育の場としての京都大学の学風・伝統が維持され発展されていくと思います。皆様のご活躍を期待したいと存じます。最後になりましたが、長い間、研究・教育に大変充実した毎日を送ることが出来ましたことを、先輩、同僚の先生方および事務職員の方々に心から御礼申し上げます(本原稿は、3 月8 日開催された工学部教授退職記念パーティーにおいて行った挨拶をもとに作成した)。

(名誉教授元航空宇宙工学専攻)