つけはまわってくる?

化学工学専攻 大嶋 正裕

大嶋 正裕みなさんは、お弁当のおかずの中に好きなものと嫌いなものがあったとき、どちらから先に食べますか。あなたは、好きなものだけを食べて、嫌いなものは後に残すタイプ?嫌いなものを掻き込んで、好きなものをゆっくり味わって食べるタイプ?なんだか中学とか高校時代によくした話題のようですが…。最近では、飽食の時代を反映して、好きなものだけ食べてあとは捨てるというのも選択肢として挙げておかねばならないのかもしれませんね。お弁当のおかずのことは、笑って済ませられますが、仕事や勉強のことでは笑えない状態に陥ることがあります。少なくとも私がその典型例でしょう。私は雑用など嫌な仕事や勉強科目は、どうしても先送りしてしまうタイプです。したがって原稿の締め切りをなかなか守れない人です。事実この原稿も大幅な締め切り遅れで迷惑をかけています。勉強でも、学会の仕事でも、雑用においても、嫌いなものは後回しにしてきました。例えば、学生時代、苦手な科目は熱力学でした。GとかHとかSとか記号が山のようにでてきて、果てにはマックスウエルの関係とかなんとかで結びつけられてしまう。エントロピーなどといわれても姿が見えないし、内部エネルギーといわれても、よくわからなかった。まあいいか、今は必要にかられないから後においておこう。“ つけておこう”と思ったのが大学生の学部時代でした…。しかし、“ つけはまわってきました”。大学を卒業して情報系の研究をしていたため、熱力学はしばらく必要ありませんでした。しかし、高分子成形加工の研究を京大に戻ってから本格化するうえで、核生成だの、状態方程式だの、自由体積空間だの、粘性だのの熱力学を再学習せねばならなくなりました。まさに学生時代に“ つけ”ておいたものを払わなければならなくなったのです。“ つけ”は、熱力だけでなく物理化学、“ 統計”までついた熱力学(統計熱力学)などと、ふくれてまわってきました。もっと若いときにしっかり勉強しておけば良かった…と思いましたが、後の祭りでした。みなさんも、失礼ですが、どこかで同じような思いをされているのではないでしょうか。つけておいたものは、いつか返さなければなりません。そのつけは往々にして途方もなく大きなものになって返ってきます。冒頭のお弁当の食べ方として加えた「好きなものだけ食べてあとは捨てる」という選択肢には、“ 嫌いなものでも頑張って食べなければならない”という考えは全く入っていません。その結果、飽食の時代と呼ばれるような事態を生んでいます。世の中、“ つけ”を“ つけ”と認識せずにいる状態が沢山あるように思います。つけと認識せずにいると思わぬときに思わぬつけがまわってくることになります。そのつけからうけるダメージは、かなりのものになるでしょう。これらは世の中の条理なのかもしれません。

ここで、個人的な“ つけ”ではなく、もう少し大きなレベルでの“ つけ”について考えてみましょう。大きなレベルの“ つけ”といっても、今更ここで、日本国が持つ285 兆7000 億円もの赤字国債残高について議論するつもりはありません。技術・研究者として、大学人として、日本人としての“ つけ”について少し考えてみたいと思います。

ひと昔前、日本の技術力といえば、精密、緻密、高品質で、世界に冠たるものでした。また、公害や環境汚染、省エネルギーの問題などの高度成長期のつけに対しても、頑張って技術・研究者たちは、つけを払う以上に進歩的に問題を解決してきました。しかし、今日、マネーゲームや情報売買がもてはやされる中で、ものを作ること、ものづくりを目指して研鑽を積んできた技術力が正しく評価されず、企業力としての技術力の重要性も軽視されている風潮にあり、技術レベルそのものが世代の交代とともに崩れかかっているように思います。これからの日本が技術立国を称して世界に冠することを目指す限り、その原動力である技術力をどのように維持し伸ばすのか、現在、地球の温暖化の問題(将来へのつけ)が明示にされているなかで、今後、日本は、どのような技術力を目指すべきか、それを支える技術者や研究者はどう生きるべきかを改めて考えなければならないように思います。また、当然、そのような技術者や研究者を教育する大学として我々もどうすべきなのかを考えねばならないでしょう。

「和を以って尊しとなす。」という聖徳太子の言葉が日本文化・日本人気質の原点であるとするなら、また、生態間の和を説いた今西錦司の進化論「棲み分け理論」が日本固有(京大流)の考え方を映したものであるなら、日本の技術力のキーワードとして「和」「調和」があるように思います。精度の高さに製品の美しさや価値を見いだし、ものづくりを進めてきた日本の技術・研究者たち。さまざまな過去のつけをうまく払ってきた技術・研究者たち。“ 必要以上”に作るということにこだわりをもってきた我々のその根底には、自然との調和、人との調和、地球との調和、など調和のなかの美しさ(調和美)の追究心があり、その心を遺伝子としてもっているように思います。

初代南極観測越冬隊長の西堀栄三郎の説く“ 技士道”の15 条にも、その心が見られます。
一  技術に携わる者は、「大自然」の法則に背いては何もできないことを認識する。
二  技術に携わる者は、感謝して自然の恵みを受ける。
三  技術に携わる者は、論理的、唯物論的になりやすい傾向をもつ。したがって、特に精神的に向上するよう精進する。
四  技術に携わる者は、技術の結果が未来社会、および子々孫々にいかに影響を及ぼすのか、公害、安全、資源などから洞察予見する任務を負う。
五  技術に携わる者は、企業の発展において技術がいかに大切であるかを認識し、経済への影響を考える。
六  技術に携わる者は、常に顧客指向であらねばならない。
七  技術に携わる者は、人倫に背く目的には毅然とした態度で臨み、いかなることがあっても屈してはならない。
八  技術に携わる者は、互いに「良心」の養育に努める。
九  技術に携わる者は、創造性、とくに独創性を尊び、科学・技術の全分野に注目する。
十  技術に携わる者は勇気をもち、技術の開発に精進する。
十一  技術に携わる者は強い「仕事愛」をもって、常に精進する。骨惜しみ、取り越し苦労を戒め、困難を克服することを喜びとする。
十二  技術に携わる者は常に注意深く、微な異変、差異を見逃さない。
十三  技術に携わる者は、責任転嫁を許さない。
十四  技術に携わる者は常に楽観的で、「禍い転じて福と成す」の諺のように失敗を恐れず、それを成功にもっていく術を身につけねばならない。
十五  技術に携わる者は何事をなすにも「仁」の精神で、他の技術に携わる者を尊重して、相互援助の実をあげる。

このような志(こころざし)を持ち続けさえすれば、温暖化などの目に見える未来へのつけに対しても、また、いままだ眠っているつけに対しても、技術者・研究者として、常に、日本人らしく対処できるのではないかと思います。(ご賛同いただけるかどうかわかりませんが…。)

高邁な将来の日本の技術論よりも我々の身近で切羽詰ったものとして大学改革・日本の大学のこれからという問題を考える必要があります。我々は、今、大学改革の真只中にいます。この1 年半の間、工学研究科の運営会議構成員に加えていただいて、さまざまな大学改革の動向を教えていただきました。また、改革批判も皆様からいろいろと聞かせていただきました。「そんなことなんでやるんだ。」「そんなことまともにやると労力がかかるから、適当にごまかせばよいんだ」など言う声もお聞かせいただいたときがありました。確かに、我々は、教員として、研究者として、多忙を極めていますし、かなり改革という名の下の活動で疲弊してきています。これにさらに、仕事が増えることは、好ましいことではないとは思います。しかし、忙しいという言い訳で、何もしないでいること、ごまかそうとすることも、最善な行動であるはずがないことは明らかなように思います。なにか物事を先送りにして、何か大きなつけを将来にまわしていることになっている気がいたします。その時々で、個人としてできることは小さく不十分かもしれませんが、また、判断をも間違うことがあるかもしれませんが、やはり、立ち止まるのではなく、「和」をもって、一歩でも理想とするものに進むべく努力するのが理想の姿のように思います。そうすることにより、将来まわってくるつけが少なくできる気がします。

「お金を稼ぐことが悪いことですか」と問われて、返すことばがでてこないこの時代。コスト優先でその場その場で刹那的に物事を進める風潮が強いこの時代。お弁当の中身で嫌いなものは捨ててしまえば済むこの時代。無意識のうちに、我々は何かを後生に“ つけ”ているのかもしれません。“ つけ”は、いつも倍以上になって必ずかえってきます。また、不意にまわって来た“ つけ”ほど払うのにきついものはありません。大学教育の中で、日本人技術・研究者たちが保有してきた「和」の遺伝子を、人から人へ、世代から世代へ継承できるようするために、大学教育のなかで、何をいったい将来に“ つけ”ているのかを考え、将来を予測しながら、研究と教育を進めていくことが、今、私たちができることとして大切なような気がします。

なんだか少し生意気な巻頭言になってしまいました。その本意は、工学研究科広報委員会副委員長として、ホームページの改訂や広報活動の役を仰せつかり、一生懸命がんばりますという、一種の決意表明です。また、その関係で、皆様にご協力をお願いすることになりますが、工学研究科の将来でのつけを少なくするためと思って、肯定的なご協力をお願いしている言葉だと思って読んでいただければ幸いです。

(教授・化学工学専攻)