コンクリートの研究と新桂キャンパス

渡邉 史夫

渡邉 史夫小さい頃に学んだ名古屋市立名城小学校の校舎や、毎日通学する途中で渡る橋はコンクリート造であり、硬く、強く、不変な石材と同じようなものとしてコンクリートをみていた。中学、高校と進むにつれて、絶対的に信頼できる恒久的なものとしてコンクリート構造を見る一方で、日本に於ける木構造の伝統「年月を経て老朽化し、新しいものに建て替えられていく」と心の中で対比していた。京都市立紫野高等学校在学中には、西洋の歴史や文明に興味を持っていたためと思うが、石造建物からなる都市、ローマ、パリ及びロンドンなど、極めて長い歴史を持つ西欧都市の恒久性に憧れ、当時日本に次々と建設されていったコンクリート造建物に、ヨーロッパのような都市形成を夢みていたのである。このような夢が私の大学における研究テーマに影響したのであろう。生涯の研究テーマとして、コンクリート構造学に従事することになる。

昭和38年に、京都大学工学部建築学科に入学してからの4年間はワンダーフォーゲル部であちこちを徘徊する生活をしていたので、卒業研究(プレストレストコンクリート円筒シェルの定着端応力解析)をなし得たのは、当時助手を務めておられた岡本伸博士のおかげである。昭和42 年の大学院入学後は、鉄筋コンクリート構造学講座(六車熙博士が講座担任)に配属され、偏微分方程式を用いて曲面版構造を解析するという、当時大学に導入された大型計算機を用いた研究を行っていた。毎日が、偏微分方程式のプログラム化と入力用穿孔テープ、その後、穿孔カードとの格闘であった。ところが、昭和43年5月16 日に1968 年十勝沖地震が発生し、数多くの鉄筋コンクリート造建物が被害を受け、鉄筋コンクリート構造学講座は、スタッフ総出で地震被害調査に赴いた。これが、一つの転機となって研究のテーマを「鉄筋コンクリート構造の耐震性能」へと変えることになった。その後この分野での研究を続け、博士後期課程への進学、昭和47年4月の工学部助手着任を経て現在に至るまで、約40 年間コンクリート構造の研究に従事してきた。この間の主たる研究テーマは、「曲げせん断を受ける鉄筋コンクリート部材の強度と靭性確保」、「高強度コンクリートの圧縮靭性改善」、「コンクリート系建物の耐震設計」であり、得られた成果が今日の超高層鉄筋コンクリート造建物の建設を可能にしたものと自負している。恩師である六車熙先生、森田司郎先生、富永恵先生、岡本伸先生(前出)、角徹三先生には、大変お世話になると共に、岩本敏憲氏をはじめとする技術職員の方々や多くの研究生、学生、院生に支えられて今日までやってくることが出来た。まことに幸せな教育・研究環境が与えられたわけであり、心から感謝している。

このように、私の大学での教育・研究生活はごく平凡なものであったが、しっかりと幅広く知識を蓄積し、ゆっくりではあるが着実な歩みをすることが新しいアイディアにつながると痛感している。知識の蓄積無しの無から有は生まれないということです。

大学でのもうひとつの思いでは、工学研究科の桂キャンパスへの移転です。本学工学研究科及び情報学研究科が、桂地区への移転を決意したのは約10年前であった。これは、長年に亘り継続的に検討されてきた新キャンパス計画の具体化であり、このプロジェクトに、京都大学建築委員会及び桂キャンパス検討作業部会(土岐憲三部会長)委員として参画させていただいた。

移転は、年次進行で実施され、化学系、電気系に続いて建築学専攻は、長年住み慣れた吉田キャンパスを離れ、平成16年9月、桂に新設された総合研究棟Ⅳに移転した。吉田キャンパスの建築学教室建物(旧館)は、武田五一教授(意匠・計画)と日比忠彦教授(構造)が設計し、大正11年(1922年)6月5日に竣工した鉄筋コンクリート造地上2階地下1階の建物で、82年の長きに亘り、教育・研究の場として、多くの先人たちを輩出してきた。また、建築文化遺産としての価値も高く、京都大学における保存建物の一つに指定されており、今後共に建築学科の歴史を語る証人とし存在し続けるであろう。このようなすばらしい建物の中で学究生活を送れたことは大変幸せなことで、生涯の記憶に残るであろう。さて、桂新キャンパスでは、それまでの狭隘な吉田キャンパスでの教育・研究環境が一気に改善され、すばらしい環境の下で新たな出発を迎えた。特に構造実験室は、我が国の大学でも屈指の規模と設備を備えたもので、建築学専攻の資産として、これからも多くの学術・技術的成果が出てくるものと期待している。

この桂新キャンパス計画では、工学研究科における連携研究の中枢としての桂インテックセンター(以下インテックセンターと呼ぶ)の設置が決定された。インテックセンターの設置が決定されると同時に、桂キャンパス検討作業部会に協力するかたちで、工学研究科内に、インテックセンター運営準備委員会(荻野文丸委員長)が設置され、従来の枠組みを超えた組織による高等研究院を設置すること、及び、設置予定の各種オープンラボを利用した研究プロジェクトグループによる共同研究を実施することが決定された。これに伴って、高等研究院及び研究プロジェクトグループの提案募集がなされ、これに基づいて、インテックセンターに設置すべき基本装備が決定され、建築計画に反映された。このインテックセンターの設置に関しても当初より参画し、建物建設や付帯設備の選定、インテックセンター規定の作成などに従事した。インテックセンターは、整理分類され分析的な手法により確立されてきた基礎学問分野の英知を幅広く結集し、新たな学際的研究領域の形成に向かうと共に、総合化を支える基礎学問分野の更なる充実と創生による研究基盤の進化(深化)を目的とした「知と技の新しい生産空間」である。インテックセンターが活動を開始したのは、平成16年4月で、私は、当初より設立に参画したということで、平成20年3月まで2期4年間センター長を務めさせていただいた。これは、大変名誉なことで建築以外の他分野の研究や研究者の皆様との交流が、視野を大きく広げた。現在は、新たな工学研究科の教育・研究の中心として機能しており、将来が楽しみである。

桂新キャンパスの建設に関して思い出深いことがもう一つある。これは、モニュメント(時計台)である。桂キャンパスには、モニュメントを建設することが、西本清一教授の発案で決定されていた。どのような構造形式で建設するかが検討され、当初免震構造を採用することとなっていた。しかし、テクノサイエンスヒルとしての桂には、どこにもない最新の建設材料と形式を用いるべきだと考え、土岐憲三教授のお許しを得て、大学施設部と相談の上、当時最高の超高強度コンクリートを用いることになった。その結果、鋼に匹敵する強さを持つコンクリートを用いた、開断面構造によるモニュメントが完成した(写真参照)。今後数世紀にわたって存続しえるものが出来たことに、大きな満足感が得られた。

さて、思い出は尽きませんが、京都大学並びに京都大学工学研究科のさらなる発展を願い、また、45年の長きに亘り過ごさせていただいた京都大学に心より感謝しつつ筆を置きます。

(名誉教授元建築学専攻)

コンクリートの研究と新桂キャンパス

超高強度コンクリートを用いた桂キャンパスモニュメント