物事の本質を見極めることの大切さと難しさ

今中 忠行

今中 忠行はじめに

世の中には多くの情報が溢れている。一見して善悪の判断がつく場合は問題ないが、どのような意味が含まれているのか直ぐには判然としないこともある。その場合には正しい、バランスのとれた意味深い情報が必要だが、現状はどうであろうか。定年退職を迎えたので、今まで少々控えてきた率直な思いを述べてみたいと思う。

光と影

科学技術においても光と影があるのが普通である。原子力を安全に使う場合には炭酸ガスを出さずにエネルギーが得られるが、原子爆弾のような兵器となれば影の部分になる。料理に使う包丁でも使い方により凶器にもなる。このような場合はその光の部分の使い方次第であり、影の部分は倫理・教育の問題だから誤解は少ない。しかしこの世の中にはニセ科学の類が溢れている。ゲルマニウムのネックレスがよく売れているようだが、これは身体に良くもないかわりに悪くもない。「マイナスイオンが健康に良い」という言説には根拠がほとんどない。ただ空気清浄機としてのマイナスイオン発生器は役立っている。活性水素は未確認であるし(活性酸素はある)、塩化ビニルがダイオキシンの原因というのは間違いである。これらの間違いを正すには地道な啓蒙活動以外に答えはないだろう。

環境問題とムード

近年、地球温暖化に関連してCO2 排出規制と環境問題がクローズアップされている。地球規模の現象には大掛かりな計測や長期にわたる科学的データの集積が必要である。これらの情報が正しければ、それなりの結論が得られるであろうから、それほど心配はしていない。問題は、利権や誤解、ムードに流されやすい身近な環境問題である。中部大学の武田教授も指摘されていることだが、プラスチックの回収、リサイクルを例に考えてみよう。ことの本質は、資源の浪費をやめ、CO2 発生(エネルギー消費でもある)を抑制し、コストを低減化し、できれば廃棄物をリサイクルして、この地球環境を改善しようということである。実体はどうなっているのだろうか。ペットボトルを作るには約2倍量の石油が必要である。使用済みのペットボトルをリサイクルするには約3.5 倍の石油(エネルギー)が必要である。普通に考えれば、使用済みペットボトルは燃やすか、売れるものなら中国などへ輸出すればよいことになる(日本での再利用は消費者が許さないので無理)。しかし表向きはリサイクルしていることになっている。ペットボトルを回収し(コストがかかる)、リサイクルする処理工場へ搬入して印鑑を押して(証書を出して)もらえばそれで終わりである。つまり「後は知らないリサイクル」である。でもその後はどう処理されているかを詳細に検証したレポートはない。実際は、建前があるので一部をリサイクルし、大半は輸出か焼却である。その方がコスト的に見合うからである。つまりリサイクルについては情報公開が極めて不十分であり、マスコミも情報を最終確認せずに垂れ流している。現在プラスチック容器のリサイクルに国民が負担しているのが約1700 億円である。最近京都市でもペットボトルの分別が実施され生ゴミに含まれなくなったため、ゴミの焼却がうまくいかず、重油を追加補填しているとのことである。別の例を挙げてみよう。下水処理場では通常の活性汚泥法を利用すれば、必ず余剰汚泥が発生する。この余剰汚泥のリサイクルを目指した話が美談のようなニュースになる。余剰汚泥をレンガとして再生利用するというものである。しかし1個100 円のレンガを作るのに、400 円かかり結果として300円の税金を投入していることを皆さんはご存知だろうか。「リサイクルはいいことだ」と漠然としたムードですべてを受け入れてはいけないのだ。中身をじっくりと評価する必要がある。

遺伝子組換え作物とタバコの害

GMO(genetically modified organism)が世界で最初に商品化されたのは、1994 年アメリカ カルジーン社の日持ちの良いトマトである。それ以来多数の遺伝子組換え植物が育成されている。その主なものは、大豆、トーモロコシ、綿である。その作付け面積は1億エーカーをはるかに超えているのが現状である。与える遺伝子は、殺虫タンパク遺伝子や除草剤耐性遺伝子が主である。遺伝子産物である殺虫タンパクは害虫を殺すが、人間にはまったく無害であることが作用機構の分子レベルでの研究で明らかにされている。また除草剤耐性遺伝子を含む作物の場合、通常の作物よりも散布する除草剤量が少なくて済み、作業量も減るので、むしろ人間にとって有効であるといえる。一般的にマスコミは危険性を強調しながら、これらの重要ポイントを説明するのに熱心ではない。実際のところ、これらの遺伝子組換え作物の商品化については、実質的同等性が認められ安全性も保証されているにも拘わらず、世の中では、「遺伝子組換え大豆は使用していません」とわざわざ書いている豆腐もある。このように安全なものに対して批判をするのに、有害であることが認められているタバコについては文句を言わない人たちもいる。不思議なことである。人間は、マグロの遺伝子配列を知らずにマグロを食べている。「マグロを食べてもマグロにならない」のである。

国際政治とマスコミの罪作り

自国の過去の歴史には大きな声を上げ、国旗・国家にはしきりに反対するのに、現在起きているチベットでの人権の圧殺や強権による民族・文化の弾圧に対して厳しく批判しない。さらには「東シナ海のガス田」、「毒入りギョウザ」で言うべきことも言わない媚中・屈中政治家、マスコミにも不満が募る。日本国の憲法より国連決議が大事だという不埒な野党政治家もいる。また一部のテレビ・新聞等のマスコミには左翼的物言いや誘導があり、間違いを指摘されても謝罪せず、時間の経過をとともに国民の関心が薄れるのを待っているだけという卑怯な対応も結構多い。例えば沖縄県宜野湾市での集会報道でも、実際は2万人の参加者であったところを11 万人であると誇大に報道して政治的圧力に使ったこともある。報道の自由と報道しない自由(ずるさ)をうまく使い分けているから、国民は本当のところをバランスよく判断することができない。このように情報の選択は難しいが、できるだけ視点の異なる複数紙を比較するとか、海外紙のトーンを検証し、自分の頭で考え、判断することが必要だろう。また玉石混淆ではあるが、インターネットは私たちが知らなかった新しい事実を、多方面の情報発信者から示されるので層の厚さは値打ちである。

大学の独立行政法人化について思うこと

数年前に京都大学も国立から国立大学法人になった。「教官」も「教員」に変わったように、労務管理も人事院から厚生労働省に変わり、何か違反があれば罰せられるようになってきた。すなわち、性善説から性悪説に評価法が変わったのである。したがってこの変化に対応するため(責任を問われないよう)に書類作成量が大幅に増え、教員に疲労感が見えるような気がする。競争資金の獲得と報告書作成でもエネルギー消費を余儀なくされている。消費労力の増加に対して、報酬は逆に減少気味である。また文部科学省の影響力が格段に強化された。実際、昔では考えられなかったことだが、山形大学において、文部科学省出身の官僚が学長に就任している。またお金になりにくい基礎研究は敬遠される傾向があるように思われる。若い大学院生にとり、大学教員が魅力的でなくなりつつある現状には大いなる危惧を感じる。一方、大学法人化により改良された点もある。ベンチャーの起業が比較的容易になった。大学独自の自由裁量が増えたが、当然その分教育責任も増えたことになる。種々の改善策がとられているが、あまりにも複雑な教育システムになっているようにも感じる。どうか良い点を伸ばし、大学をより魅力的にするために知恵を出してほしいと切にお願いしたい。

私は大阪大学で7年半ほど教授をした後、京都大学で約12 年間お世話になりました。優秀な先生方の優しさとご協力により、無事定年を迎えることができたのです。長い間お世話になった「京都大学」に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

(名誉教授 元合成・生物化学専攻)