教育担当評議員としての役目とは?

評議員 小森 悟

小森 悟教育の重要性が至るところで叫ばれている現在、教育担当の評議員として工学部並びに工学研究科の教育制度委員会の運営の仕事に携わることに重責を感じながらも昨年度からの引き継ぎ事項を片付けることだけで4 ヶ月余りが経過した。これまでの例に習うと、教育担当評議員としては、何か新規の教育システム改革等を打ち出さなければいけないのかもしれない。しかし、最近の大学院教育システム改革等を見ていると博士前後期課程の一貫性、副専攻制、インターンシップなど、どこの大学も横並びで同じようなことを行っており、また、その目的も本当に優れた学生を世の中に送り出すことにあるというよりも、中教審や教育再生会議などから出された大学一般を対象とする流行の施策に乗っかりプロジェクトによる資金稼ぎを行うことにあるように感じられ、正直なところこのようなパフォーマンス型の教育システム弄りを考える気にはなれない。もちろん運営交付金が毎年削減される中、プロジェクトによる資金稼ぎを避けて通ることはできないため、専攻や学科など比較的小さな単位での教育システム改革等に拘わるプロジェクト申請を学部や研究科支援の名目の下で専攻や学科が責任を持って行うのは問題ないであろう。しかし、工学部や工学研究科全体をかき回すような教育システム改革等については後戻りがしにくいだけに学生教育の向上に本当に役立つものでない限り教育プロジェクト経費獲得等のための具として利用されるべきではないと思われる。また、教育改善の一環としてこれまで行われてきたファカルテイ・デイベロップメント(FD)などで論じられていることも学生を育てるというよりも講義内容をわからせるための教育テクニック上達のようなものに議論が集中している感が強い。全学共通教育科目についてはともかく専門教育科目についてはそれぞれの分野でどのような知識と能力を持つ学生を育てたいのかをカリキュラム内容を中心にして深く追求することの方が、教育テクニックの上達よりも重要であると思われる。

教育システムや関連の制度を改革する場合には、まず初めに学部卒業生や大学院修了学生に欠けているものが何であるか、またなぜその欠如した状態が生じているのかを分析してからスタートしなければならない。最近の日本の科学技術現状調査報告等によれば、学力低下、課題解決能力の低下、リーダシップや意欲のない学生の増加が問題視されているが、これらが京大工学部卒業生や工学研究科修了学生にも当てはまるものであるならば、これらを解決するための教育システム改革等であらねばならない。それが、どのような改革内容であるべきかについては、指摘されている問題点が昔の学生に比べて悪化したものであるならば、優秀な高校生の工学部離れという先進国共通の社会的な問題はあるものの、入り口である入試のあり方も含めて、10 ~ 20 年前の大学事情と昨今の大学事情を比べることにより答えが出てくるように思われる。現在の学部4 年制の枠組を崩せないとものとするならば、以下のような昔ながらの教育も再考してみる必要があると思われる。つまり、質の良い学生を英数国理社の二次試験のみで確保し、大学入学後の初めの期間では教養教育を含め人生を深く考える時間を与える、中盤以降はそれぞれの専門分野で学生が根無草とならないように十分検討されたシンプルかつ内容の充実したカリキュラムの下で、その専門に精通した教員が留年や退学も辞さない徹底的な専門基礎教育を行う、学部後半から大学院においては座学では得られない研究室での研究(ORT)を通して、問題解決能力等の養成は元よりマナー・交渉術等を含む社会的常識の涵養等をも図る、である。このようなことを考えると、何か昔への回帰がベストのように思われるが、教育システムや組織の改革を行ってきたために問題点が出てきたのであれば、それは改革の失敗を意味しており、効果のない制度や役目を終えた組織は放置せずにスクラップすることが必要である。もちろん、新学問体系に基づく新たな専門教育とそのための新専攻など、昔にはなく現在において是非とも必要とされるものについてはビルドしなければならないのは当然である。ただ、既存の教員の組み替えだけによる改革や新設では相当なエネルギを要する割りにはビルド以前に比べて成果が上がることはあまり期待できないため、やるのであれば目的に合った新しい教員を全て採用するか入れ替えるなどドラステイックなものにする必要があるように思われる。

以上の点から考えると、プロジェクト絡みの教育システム改革案等を提案して学部や研究科を混乱させることよりも、これまでの制度や行事で要らないものや効果の小さなものを整理していくことの方が、現時点の教育担当評議員の役目としては適切であるかもしれないと思い始めている。このような後ろ向きの考えを持つ私が、今後、教育制度委員会等において検討すべきではないかと個人的に思っている問題について以下に少し書かせて頂くことにする。

まず、学部教育についてであるが、検討課題の一つは、優秀な学生確保のための入試である。入試関連のことを書くのは憚れるが、工学部出身の学生に何が要求されるのかを慎重に考えたうえでセンター試験のウエイトや学科によりばらついている社会・理科のような試験科目指定の問題、時代が変化した中での6学科別での入試の妥当性の問題などを検討していく必要があるかと思われる。また、大学入学のための特別ルートとして定着してしまった工業高等専門学校(高専)からの編入試の是非についても高専に専攻科が創設された現在,高専のあるべき姿、ならびに編入学を認めていない一般大学生との不公平性の問題等の観点から検討しなければならないと思われる。学部の専門教育については、前述のように各学科やコースでカリキュラム内容を十分に検討して、専門に精通した教員が学部定員超過の問題はあるものの徹底した専門基礎教育を厳しい留年・退学制度を踏まえて行うことにつきると思われる。さらに、学科やコースが大きなところでは、多くの学生に対して講義を一度に済ませられる利点はあるものの、教員側から学生の顔が見えにくいことや学生同士でも所属研究室以外の学生をほとんど知らないという問題がある。教員-学生間、学生-学生間のつながりもできるクラスの適正規模は40 ~ 50 名程度と考えられるが、この点、学生の将来のための人脈形成に役立つ意味でも検討が必要であるかもしれない。

次に、大学院教育についてであるが、今年度から走り出した博士課程前後期連携プログラムの融合工学コースと高度工学コースの問題がある。本来、この連携プログラムは、博士後期課程への進学者数を増やすことを第一目的に横断的な教育と将来の新専攻の構築を視野に入れて創設されたが、競争的環境の中で多忙にさらされている教員にとってはこのプログラム内容を十分検討する間もないままに、また、途中から修士課程学生定員の増強問題とも絡み複雑化したため、見切り発車の状態になっている。このプログラムを大学院教育システムとして意義のあるものにするためには、現状では柔軟な副専攻システムに過ぎないだけに学生にとって、どこに価値があるのか等についてもう少し明確にしていく必要があり、そうでなければ、前述のようなパフォーマンス型の大学院システム改革で終わってしまう危険性がある。ただ、このようなシステム改革だけで博士後期課程の学生が増えると考えるのは甘いことも理解しておく必要がある。平成18 年4月に発表された土屋レポートの第5章2節にも書いたように、博士後期課程に学生を進学させるためには研究室の教授や准教授などが生き生きとした目で研究の面白さと重要性、研究者としての夢などを学部学生や修士課程学生に熱く語りかけることが、つまり教員側の意識改革が、最も重要である。学生への経済的援助やパフォーマンス的な教育方法を取り入れるだけでは学生を博士後期課程に進学させることはできないと思われる。このことは博士後期課程修了者を数多く輩出している研究室が偏在していることからも自明であり、運営交付金配分や給与の格差を大きくするなど教員の意識改革を促す思い切った施策などをとらない限り現状が大きく改善されることはないであろう。また、博士後期課程への進学を妨げるシステムとして社会人博士(社会人特別選抜による博士後期課程学生)や論文博士の制度がある。京大工学研究科だけで議論しても意味は無いが、少なくとも主要大学全体でこの二つの博士学位授与制度の見直しや廃止等を検討せずして、学生に修士課程から博士後期課程への進学を促すことには自己矛盾があると思われる。企業等の一員として国際的活動を行う際に博士学位が意味を持つことなどを学生に説いても、一旦社会人になってから会社等を辞職および休職することなく在職のまま博士学位を取得できる制度が大学に存在する限り、学生が進学を躊躇うのは当然である。教員の方々でも論文博士などを取得されている場合には、この制度の重要性を主張される場合が多いが、昔とは違う現在の大学院および社会の状況を考えたうえでの判断が必要である。また、博士後期課程修了者(ポスドク)の過剰供給問題が博士後期課程の入学定員の問題と絡めて世の中はもとより京大の中でもよく話題にされるが、これは工学研究科で過剰供給問題が深刻化してから考えるべきことである。幸いにも工学研究科ではポスドクの未就職の問題は特殊分野を除いてはほとんど無く、むしろ、博士後期課程に修士課程を終えた直後の学生を進学させることができないことの方がより深刻な問題となっている。京大のように産学官の高度研究技術職を担わなければならない大学では、より多くの博士学位取得者を世に送り出す必要があるであろう。一方、修士課程学生の定員超過が大きな問題となっているが、現時点では入学定員と募集要項に記載の募集人員との間の数字の不一致の点以外に文科省でも問題とされる根拠が明確にされていない。学部の場合は私学との学生獲得競争の面で問題点を理解できるが、大学院については、私学の場合、修士課程への進学者数が非常に少ないのに何が問題なのかが明確でない。過去何年間にもわたり少ない教員で日本の科学技術を支える修士課程学生を数多く世に送り出してきた社会的貢献度は財務的に見ても全く問題が無くむしろ自負すべきことだけに、今後の方策としてどのような方向をとるべきかに悩まされるところである。修士課程学生定員増要求のための最も説得力のある方策は改組であるかもしれないが、これも最初に書いたように学生の教育のためというよりも教員の組み替えによるパフォーマンス的な要素を強調せざるを得ない可能性がある。できれば、多大なエネルギを要するこのような改組や教育システムの大幅改革などをせずに定員増強を図れるうまい道は無いものかと思案させられる。

工学研究科における教育研究の理想像は、座学による専門知識の吸収だけでなく、教員が学生と十分に議論しながら時間をかけて独創的な研究を遂行することにあると思われる。大学教員が研究業績を挙げることばかりに集中しているため教育が駄目になっているとの批判が世間一般でよく出される。しかし、これはむしろ逆であり、多彩な評価面の増加により純粋な研究業績評価がなされなくなったため、生き生きとして研究に燃え、その情熱を学生に教育として伝えることのできる教員が減り、その結果、良い教育ができなくなりかけていると言えないだろうか。特に、教授のみならず准教授や助教までもが、プロジェクト獲得に伴って、産学連携や新聞ネタになる流行の研究の追求、増える国際会議などの企画運営参加や出張、読まれもしない報告書作成などに翻弄され、十分な時間と頭を使い学生とともに研究を行うための時間を減らしていく傾向にはないであろうか。外部資金獲得の必要性を考えれば、これらの状態から完全に逃れることはできないが、複雑なシステムや管理業務等に惑わされることなく教員一人一人が学生とともに独創的な研究を行い、その成果を評価の高い雑誌に発表し続けることが将来にわたっての科学研究費等の競争的資金の持続的獲得や学問の府としての大学の存在価値の向上につながるものと思われる。このことを考えれば、我々の時間を無駄にするだけのあまり意味のない制度や行事を思い切って廃止することなどが必要であり、この面で教育担当の評議員として協力できればと思っている。

以上、これまで教育制度委員会の委員としての経験が少ない私が、原稿締め切りに追われ、思いつくままの私見を自由に述べさせて頂いたことをご容赦願いたい。

(評議員・工学研究科副研究科長)