信念と勇気

柳橋 泰生

柳橋 泰生大阪で育った子供の頃、公害が酷く、それが動機の一つとなり、昭和54 年に衛生工学科に入学しました。その後、大学の先輩からのお誘いがあり環境庁に入りました。既に、激しい公害に対して行政や産業界は積極的に対策を推進し、私が就職した頃には問題は解決へと向かい、環境庁廃止論も議論されていました。それで終わっていたのであれば、社会全体から見ると良かったのですが、現在では、地球環境問題、特に気候変動問題が先頃開催された洞爺湖サミットでも中心議題になってしまっています。これまでの人類の効率性・快適性を求める活動のつけが結局我々の子供たちの負担になってしまいました。

環境庁に入り25 年目になりますが、異動が激しく、現在で13 個目の業務に従事しています。それぞれの業務において最善を尽くしてきましたが、今までの仕事の中で、思い出深いものをいくつか紹介します。

まず、初代の環境基本計画で廃棄物リサイクル対策を担当し、閣議決定文書の中で、3R(リデュース、リユース、リサイクル)を国の基本施策に位置付けることができたことがあげられます。それを嚆矢として、さまざまな方の努力により、現在では国民の多くが認識している施策となりました。

次は、ダイオキシン問題です。国会もマスコミも兎に角大騒ぎで、昼間はその対応に追われ、施策の中身を作るのは夜中という日々が続きました。ダイオキシン排出量を9割削減するという目標を立て、施策を立案し実行しました。現在では、ダイオキシン排出量は96%削減が達成されています。

三つ目は、ゴルフ場農薬問題です。きっかけは奈良県のゴルフ場だったのですが、瞬く間に全国問題となりました。しかし、調査してみると河川で検出されるのは、ゴルフ場で使用される農薬よりもむしろ水田で使用される農薬です。水田での対策の必要性を農林水産省に通いつめ説得し、基準の設定を行うことになりました。現在では、水道水にも農薬に関して100 項目以上の目標値が設定され監視が行われています。

これまでの仕事を振り返ると、地味な仕事ながら、人の健康の保持に大きく貢献できたのではないかと考えています。それを支えたのは、徹底した調査を行い、問題の本質を見極め、施策案を練り上げて、その実現が社会に貢献できるという信念を持ち、勇気をもって実行することです。この信念をより確実にし、さらに良い仕事をすることができるようにと、京都大学大学院に編入学し、今年の3月に博士(工学)の学位を受けることができました。今、週に1回、自分の健康保持のためジムに通うようにしています。壁にはサミュエル・ウルマン氏の至言が書かれています。「人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる。自信とともに若く、恐怖とともに老ゆる。希望のある限り若く、失望とともに老い朽ちる。」心に沁みる言葉です。この言葉を思い浮かべつつ、子供たちの負担が少しでも少なくなるように努力したいと考えています。

(独立行政法人水資源機構環境室水環境課長(衛生工学科 昭和58 年卒業))