人とのつながり

寺畠 知道

寺畠 知道私は1987年に工学部金属系学科に入学し、学部では新宮先生、大学院では粟倉先生のご指導を頂きました。私は幼少の頃から宇宙に興味があり、就職活動では漠然とながら宇宙に関わる仕事に就く事を意識しておりました。材料の勉強をしていたこともあり、当時宇宙ロケット用素材を製造していた製鉄会社である旧川崎製鉄株式会社に1993年に入社(2003年に旧日本鋼管株式会社と経営統合で社名がJFE スチール株式会社に変更)し、私をリクルートして頂いた大学の先輩が人事部に強く推薦してくれたこともあり、当時宇宙ロケット用素材を生産していた千葉製鉄所の第1製鋼工場に配属となりました。

入社当時の第1製鋼工場はステンレス鋼を始めとする特殊鋼を生産しておりましたが、大規模なリフレッシュ計画が進んでおり、新しい第4製鋼工場を翌年立ち上げ後に停止する予定になっていました。そのため先輩技師は全員新しい第4製鋼工場の建設を担当し、第1製鋼工場は新人技師の私と係長と課長の実質3名で生産管理から操業改善まで全てを担当しておりました。技師が私だけだったこともあり、入社前に強く意識していた宇宙ロケット用素材の製造を新人ながら担当することが出来ました。自分の製造した鋼がロケットの母材となり宇宙に飛ぶ姿を想像しながら、私の配属について尽力いただいた先輩に感謝したことをよく覚えています。新人の1年間は非常に忙しい日々でしたが、仕事をやり遂げることによる達成感を感じることができ、充実していました。また製鋼工程の全てを1年目で担当できたことは、鉄を製造する過程をよく勉強することができ、その後の仕事の大きな糧になりました。入社2年目に新しい第4製鋼工場が完成し、今度は新工場の立上げを担当しました。新工場はCr 鉱石から直接ステンレス鋼を製造する世界初の技術を導入した製鋼工場でしたが、立上げ当初はトラブルが連発し非常に苦労しました。しかし一緒に立上げを行なってきた諸先輩方の励ましや導き、そして仕事をやり遂げることで達成感を得られるという新人のときの成功体験が背中を押してくれたこともあり、トラブルを克服して新工場の安定稼働を達成することができました。

その後は、製鋼プロセスの技術改善、工場の生産管理、製品の品質管理等の仕事を経て、2007年4月に西日本製鉄所に異動になるまで、14年間を千葉の製鉄所で過ごしました。現在は西日本製鉄所倉敷地区製鋼部第2製鋼工場の工場長として、日々鉄鋼製品の生産に勤しんでおります。

こうして自分の人生を振り返ると、大学時代ご指導を頂いた先生方、そして社会人になってから指導いただいた諸先輩方や同僚など、自分の周囲の方々とのつながりがなければ今の私はなかったと思えます。特に就職活動と入社後の配属に尽力いただいた先輩とのつながりは、私の人生に大きな影響を与えました。それだけに人のつながりは大切だと痛切に感じており、入社以来社内のリクルートチームにも籍を置いて、大学の先生方や後輩たちとのつながりを大切にしております。私はまだ未熟者ですが、少しでも後輩たちに自分の経験がプラスになることを祈りつつ、これからも大学へ足を運びたいと思っております。

(JFE スチール株式会社 西日本製鉄所 製鋼部 第2製鋼工場 工場長(金属加工学科 平成3年卒業))