省庁変われば…?

大澤 靖治

大澤 靖治3月に定年退職してからまだ3ヶ月半ほどですが、4月以降ばたばたしていたせいか京大での勤務がずいぶんと昔のことのように感じられます。この3月の退職まで、京大電気工学専攻で博士課程を1年で中退し助手に採用されて13年間、筑波大学(構造工学系:当時)で講師、助教授を合わせて5年、神戸大学(工学部電気電子工学科)で助教授、教授を合わせて12年7ヶ月間勤め、平成14年11月から再び京大で7年5ヶ月を過ごさせてもらいました。就職してから38年間、3つの大学での勤務を経験できたことは、自分なりに視野も広がり、多くの人と知り合いにもなれてよかったと思っています。卒業研究から大学院、助手の期間までずっと林 宗明先生(発送配電研究室)の指導を受け、一言で言いますと、電力システムの解析と制御、特に安定度解析と安定化制御に関する教育研究に携わっていました。ついでながら、3月の最終講義には筑波大、神戸大の卒業生も幾人か聞きにきてくれて、ありがたく思いました。

4月から岐阜県にある東海職業能力開発大学校というところに校長として勤務しております。「職業能力開発大学校」というのはご存知でない方も多いと思いますので、大学とはそれほど関連がありませんが、退屈されるのを覚悟の上でPR を兼ねて紹介させていただきます。職業能力開発大学校、略して「能開大」は、厚生労働省が所管する独立行政法人雇用・能力開発機構、事業仕分けで有名になって、まもなく、同じく独立行政法人の高齢・障害者雇用支援機構と合併して(吸収されて?)高齢・障害・求職者雇用支援機構(仮称)となることになっている(国会への法案上程が遅れていて時期は未定)、その雇用・能力開発機構が設立・運営している、いわば職業訓練校です。全国に北海道から沖縄まで、従来の10社の電力会社(9電力+沖縄電力)の供給地域それぞれに1校ずつあります。東海能開大は中部電力の供給区域にあります。

能開大における職業訓練は、高校卒業生を主な対象とする「学卒者訓練」と、在職者を対象とする訓練「能力開発セミナー」に大別されます。その他にも相談・援助事業も実施していますが、ここでは学卒者訓練を中心に説明します。学卒者訓練には「専門課程」と呼ぶ2年間の課程(短大相当)と、さらにその上に「応用課程」と呼ぶ2年間の課程(大学相当)があります。専門課程では高度な知識と技能・技術を兼ね備えた実践技術者(テクニシャン・エンジニア)を育成し、応用課程では生産管理部門のリーダーを養成することが目的になっています。つまり、大学とは違ってものづくりの即戦力の育成が目的です。東海能開大の専門課程には、生産技術科(機械系)、制御技術科(メカトロニクス)、電子情報技術科の3科があり、定員は合計70名です。能開大によっては、建築科、住居環境科、産業化学科などが設置されているところもあります。科の構成は、社会の要請に応えて統合、整理、新設などが行われてきています。専門課程修了後、就職するか応用課程に進学するかを選択します。東海能開大での応用課程への進学率は6割くらいで、4割程度は専門課程だけで就職します。応用課程には、生産機械システム技術科、生産電子システム技術科、生産情報システム技術科の3科があり、定員は合計で68名となっています。したがって、学生総数300名程度、教職員数40名余りのこじんまりした学校です。それぞれの地域に、応用課程のない専門課程だけの職業能力開発短期大学校があり、この短期大学校からもその地域の能開大の応用課程に進学します。東海地区では浜松に短大があります。地域によっては短大が2校あったり、まったくなかったりもします。余談ですが、私の指導教授だった林 宗明先生は、最後の仕事として福山職業能力開発短期大学校の校長をされていました。ですので、そのような大学校があるということ、名前だけは以前から知っていました。どのような学校なのか、具体的には知りませんでしたが。機構の先行きが不透明なために落ち着かない状況ですが、大学等と比較しての存在感を高めるために、やる気のある高卒生を集めること、就職率100%を達成すること、などを目指して教職員一同頑張っています。なお、京大名誉教授の先輩では、谷垣昌敬先生が滋賀職業能力開発短期大学校、家村浩和先生が近畿職業能力開発大学校の校長をされていて、いろいろとご指導をいただいています。

大学と比較しての仕事上の大きな違いは裁量労働制ではないということです。午前8時45分から午後5時まで、休憩時間(午後0時15分~午後1時)を除いて就業する必要があり(校長室でウトウトするくらいのことはできますが)、毎朝出勤簿に押印します。また、管轄が厚生労働省ということもあってか、労働安全衛生を非常に重視することも特徴です。管理職と指導員の先生がペアで、月に一度校内を分担して安全パトロールしたり、ゴールデン
ウィークや夏休みに休暇の取得を大学よりも強く要請されたりします。仕事内容も、京大では単なる一教授で、長というポストとは縁がなかったせいもあるでしょうが、これまでの教育研究とは大きく異なり、東海能開大校長というポストに付随する対外的な仕事もかなりあって、最初は戸惑うことが結構ありました。また、副校長を始めとする管理職や事務職員にしろ、指導員にしろ、すべて雇用・能力開発機構の人で、大学(文科省)出身者はただ一人ですので、疎外感というようなものを感じることもありましたが、生来のいい加減な性格のお蔭か、今はかなり慣れました。

東海能開大は岐阜県揖斐郡大野町というところにあります。端的に言いますと濃尾平野の北西端に当たり、山裾には古墳の遺跡が散在し、近くには温泉もいくつかあります。大野町は人口2万4千余りの町で、柿(富有柿)やバラなどの農産物、園芸作物の生産地であり、失われつつある日本独特の里山文化に包まれた大変環境の良いところです。5月末頃は収穫前の麦畑と田植えの終わった田んぼの色の対照がきれいでした。機会がありましたらお訪ねください。

定年後は、週に1、2回の非常勤講師のようなこと(働き口があればの話ですが)と、野菜作りや庭仕事(今流に言うとガーデニング)、ゴルフなどの趣味で時間を過ごそうと漠然と考えていたのですが、予想外の展開になっています。契約期間は一応3年ですが、機構の統合によってどうなるか未確定です。今の仕事が終わったあとは、当初の考え通りの過ごし方をしたいと思っています。

京都大学工学部、工学研究科では助手と教授を合わせて20年7ヶ月、学生時代も含めると27年と7ヶ月もの間お世話になりました。どうもありがとうございました。工学研究科の益々の発展をお祈りしております。
(拙文のタイトルは、昨年10月の工学広報No.52掲載の橘 邦英先生の随想「ところ変われば…?」からいただきました。橘先生、ご寛容を。)

(名誉教授 元電気工学専攻)