3月の宿題

市川 朗

市川 朗引っ越しを済ませて暖房もない部屋に蒲団だけで数日過ごしながら、3月30日の最終講義に臨んだ。ご丁寧に前日の29日には、雪が積もった。このとき、段ボールの温かさを知り、ホームレスの生活を垣間見た。講義は、パワーポイントの練習をする時間もなくぶっつけ本番であったため、時間が長くなり、お世話をしていただいた機械系の専攻長の方々には、ご迷惑をおかけしてしまった。この場をお借りし、感謝とともにお詫びも申し上げたいと思う。定年退職後は、「働いた方が精神衛生のため、健康のため」などという家内のもっともらしい意見もあり、縁あって愛知県の私立大学で働かせてもらっている。

ゆっくりと落ち着く間もなく、4月から新天地での新学期が始まり、現在なんとか夏休みまでたどり着けそうな所まで漕ぎつけている。環境が変わり慣れないことも多く、次々といろいろ行事があるなとは感じつつも、何とか無事消化しているつもりでいた。しかし、6月半ばから胃腸の調子がいまひとつすっきりしない。ストレスを受けると、お腹にきたり、髪の毛に白髪が混じったりする。幸いこれまでは、ストレスが無くなると髪ももとに戻ってくれた。6月に、大学の同級生約20名が集まり同窓会が行われた。殆どの顔が10歳から15歳ぐらい年上に見えて年寄りばかりである。お前は、大学で苦労がないから髪が黒いのだと責められる。同級生よりは髪が黒いが、このところ白いものが混じり始めてきた。

例年3月は、卒業する修士学生の論文をまとめて専門誌に投稿する作業を行ってきた。しかし、今年は研究室の整理、宿舎からの引っ越しなどが重なりこの作業をあきらめた。少し無理をいって「軌道上の宇宙機の姿勢制御」の研究をしてもらった修士学生と、これまで取り組んでくれる学生がいなかった「パルス制御によるフォーメーション」の研究をしてくれた4回生の二人の論文は、五月の連休終了までにはまとめ上げたいと思っていた。しかし、計算能力と論文を書き上げる速度が確実に落ちていることを痛感した。それでも気力を立て直し、なんとか6月中に2つとも書き上げることができた。あとは、期末試験を終えれば、少し落ち着いた気分になれる日が来る。

私の京都大学の生活は、6年間であり長いとはいえない。しかし、単身赴任者としてはちょうど良い長さであったように思う。東京生まれ東京育ちの身には、京都や奈良は一度住んでみたい憧れの土地であった。縁があって航空宇宙工学専攻の一員に加えていただき、航空宇宙の分野で研究ができることと、週末京都・奈良訪問が気軽にできることは、この上ない喜びであった。学部の専門は、もともと航空工学であったが、その後応用数学、制御理論
と専門を異にし、航空宇宙の分野とはずっとご無沙汰していた。そのため京都では、学生と一緒に一から基礎勉強をし、一緒に研究するつもりでいた。1年目が終りに近づくころ、具体的なテーマとして宇宙機のフォーメーションに出会った。そこで2年目に、米国航空宇宙学会出版の教科書B. Wie, “Space Vehicle Dynamics and Control”をテキストとし、前期で「軌道力学」を後期で「姿勢制御」のゼミを行った。夕方ゼミの後、研究室の有志で加茂川沿いに1時間ほどジョギングに行くことも楽しみであった。それまでの研究の経験で学んだ「本気で取り組めば、必ず何かが出てくる」を頼りに研究室で若い人たちとゼミを楽しんだ。ゼミ担当の学生からは学ぶことも多かった。研究テーマを考え始めたとき、研究のキーワードが偶然見つかり、これまでの研究の一部も使えそうであることなどが分かった。その年、軌道を研究テーマに選んでくれたM2の学生は、モチベーションが高く馬力があったので、卒業までに研究成果を米国の専門誌に投稿することを提案した。辛うじて投稿できたのは、学生の入社式の数日前であった。初めての異分野参入で、未知のことが多く不安もいっぱいであったが、門前払いにはならずに「改訂せよ」の判定がきた。この改訂が曲者で、論文の構成から英語までいろいろ変えさせられた。いわゆる専門の文化の違いのようで、この専門誌にはそれ独特のスタイルがあるということが徐々に分かってきた。参考文献は、フォーメーションを知るきっかけとなった論文とゼミの教科書しかなかったが、知り合いの専門家に聞くと参考文献が20編ないとまともな論文とみなしてくれないなどの情報が得られ、直接は関係ない論文ばかりではあったがジャーナルから拾い20編ほど追加した。数度の改訂のすえ、約1年でアクセプトされた。この経験が役に立ち、そのジャーナルから怖さはなくなり、親しみ深いものとなった。お陰様で、その後研究室のゼミや修士の研究の「スタイル」ができあがり、定年まで心地よくそれを継続させていただいた。年々論文執筆の要領はよくなったが、それでも毎回1回は改訂を要求され、レフェリーとの闘いが繰り広げられている。幸いそれ以後、毎年修論の成果を載せてもらっている。

今年は、初めて4回生の卒業研究を載せてもらうチャレンジの機会が訪れた。2月頃から早くまとめたいと思っていたが、冒頭のような状況下で6月まで延びてしまった次第である。論文にまとめる段階でいろいろ新しいことも分かり、苦しいステップもあったとはいえ、やはり研究は楽しいものである。

8月第1週にトロントで、このジャーナルの親学会の国際会議がある。それが終われば夏休みである。秋学期が始まる前までに白髪を消さなくてはと思っている。

(名誉教授 元航空宇宙工学専攻)