機械屋からソフト屋、そして弁理士になって

戸谷 昌弘

戸谷 昌弘1995 年精密工学科卒、1997 年同修士卒で同年住友電気工業株式会社に入社しました。精密工学は、現在その名称はなくなりましたが、いわゆる機械系です。研究テーマは歯車歯面のレーザ干渉法による測定装置の開発で、大阪にある精密機器メーカとの共同研究でした。カーメーカから持ち込まれたギアをサンプルにして測定方法を開発していました。

機械系で就職しましたが、当時はSE が流行りでソフトウェア開発をしてみたいと思っていたので、入社後は警察庁が運用する交通管制システム(交通信号機の制御システム)の設計開発に携わり、信号機等に組み込まれる通信制御ソフト等の開発をしていました。

入社後10 年ほどして弁理士試験に合格したのを機に知的財産部に異動、5年ほど経ちました。特許出願や他社特許調査、契約や他社との係争事件等の業務を行っています。また、入社以来ずっとリクルートも担当していまして、ここ5年ほどは責任者の立場で機械系の後輩社員と一緒に採用活動をしています。社会人になってつくづく「ヒト」が大事だと思うようになったことがモチベーションで、優秀な後輩が1人でも多く仲間になって欲しいという気持ちで続けています。ちなみに、私の就職当時の97 年は超氷河期で、団塊ジュニア世代で人数が非常に多いにも関わらず、就職の間口は狭かったですね。終身雇用・年功序列の終焉や管理職年俸制などが紙面を賑わした、日本企業の転換期でした。

実は、この97 年は日本がプロパテント(特許重視)政策に転換した年でもあります。バブル崩壊後低迷を続ける日本経済を復活させる切り札の1つだったと言われています。その後、2002 年の小泉総理大臣(当時)の所信表明演説における知財立国宣言へと繋がっていきました。私が弁理士試験の受験勉強をしていたのは丁度この頃でした。

大学時代は機械屋、入社後10 年間はソフト屋、そして今は弁理士と、一見繋がりが希薄なように思われるかもしれませんが、私の中ではいずれの経験も非常に役に立っています。弁理士の仕事は技術を脇において語ることができません。技術屋として、またビジネスパーソンとしていろんな経験をしたことが今の私の大きな支えになっています。

今後の日本企業にとって大事なキーワードはグローバルでしょう。国内で日本企業同士が競争していた時代よりもなお一層特許戦略が重要になってきます。日本の技術者は職人気質が多く特許出願には熱心ですが、獲得した権利の活用や国際標準化への対応等の戦略的な取り組みは得意とはいえず、諸外国に遅れをとっています。近年の韓国や中国の取り組みは日本を上回っている気がします。特に韓国には、追い越されたかな、という危機感を持っていまして、学ぶべきことも多いと感じています。私もまだ偉そうなことは言えませんが、もっと勉強して、重要な特許戦略を立案できるようになりたいと思っています。

(住友電気工業株式会社 知的財産部主席 弁理士)
※ 精密工学科は平成6年の改組により物理工学科になりました。