工学研究科に感謝

津野 洋

津野教授1972 年に修士課程を修了後、大阪府、工学部助手、国立公害研究所、環境庁を経て1883 年4月に工学部助教授(衛生工学科)にさせていただき、その後、30 年近く京都大学で教育・研究にあたらせていただきましたことは、非常に幸せであったと感謝しています。素晴らしい恩師や先輩方、また同僚に恵まれましたし、優秀な学生との研究の遂行は、共に議論をする得難い機会を得ることができ、京都大学の学風の良さを感じさせていただきました。

私の教育・研究の分野は、水質工学で、人類の生活や全ての生物の生存に不可欠であり、また健全な環境の重要な要素である「水」の質の保全を工学的技術により図るものであります。水域での汚濁物の移動や変換等に基づく水質汚濁機構の解明と、その機構に基づく水質汚濁防止の技術と方策の開発を中心に行ってきました。有機性汚濁物による河川の汚濁と溶存酸素の枯渇問題は、既に先輩方によってほぼなされておりましたので、湖沼における富栄養化問題を主に扱いました。かび臭い水道水やペンキを流したようなアオコと異臭などで1970 年代から問題が顕在化しました。特殊な植物プランクトンの増殖量と窒素や燐の濃度との関連や富栄養化予知モデルの開発に取りかかり、対策と効果の予知も提示しました。このモデルはUNEP の教材にもなっています。それとともに、下廃水からの窒素および燐の微生物を活用した効率的な除去技術の開発を行ってまいりました。また、富栄養化に伴い発生するかび臭物質や、難分解性化学物質の除去を目的に、オゾン処理技術を開発し、その操作因子などを提示してきました。2009 年に国際オゾン協会会長として日本で国際オゾン研究会議を開催できましたことや 2011 年に最高の栄誉であるモートン・クラインメダルを受賞できましたことは名誉なことと、関係者に感謝している次第です。

近年では、これらの処理を省エネルギーで行う技術や、処理とともに資源回収をも可能な技術やシステムの開発を志してきました。その成果は、プロジェクトリーダとして、民間企業等とチームを組んで行ったNEDO の「省エネルギー型廃水処理技術開発」事業と愛知万博での実証実験、またJST の CREST 資源循環・エネルギーミニマムシステム技術での、代表者としての「資源回収型の都市廃水・廃棄物処理システム技術の開発」プロジェクトの実施により認められました。この理念は、下水道からエネルギーや燐資源を回収する重要性の認識につながり、国土交通省の国家プロジェクトにも関与させていただいております。これらは、ひとえに素晴らしい実績を有し評価が高く、研究環境の質の高い京都大学大学院工学研究科に籍を置いていたからであると感謝している次第です。

環境問題は、一国だけでは解決しえない問題や各国共通の問題であり、各国が共同してその解決に取り組むことが重要です。特に、開発途上国であるアジアと共同することが重要です。このことから、 JSPS の拠点校方式による研究者交流事業をマレーシア(2000-2009 年)や中国(2001-2010 年)と行ってきましたが、これらの事業では前者では2002- 2006 年、後者では2007-2010 年にコーディネータを務めさせていただき、後者では評価でA 判定をいただきました。これは、参加研究者の功績はもとより工学研究科の関連事務部の方々のご尽力のたまものと感謝しています。これらの事業から発展した、京都大学ーマラヤ大学ー清華大学のインターネットによる「新環境工学Ⅰ、Ⅱ」の同時連携講義や、京都大学教員2名が常駐する清華大学深圳キャンパスの「京都大学ー清華大学環境技術共同研究・教育センター」の設立・運営は事務部のご尽力がなくては無理であり、事務関連課のチームを組んでいただき、議論のその場で課題が明らかとされ順次克服され、センターが実現されましたことは非常に感慨深いものがあります。京都大学が新たな試みを企画し、ますます世界に発展し貢献していくためには、事務部と教員との熱意をもった協力した取り組みが極めて重要であり、感謝している次第です。

(名誉教授 元都市環境工学専攻)

桜1

桜2

京都大学ー清華大学環境技術共同研究・教育センター設立記念碑と植樹した桜(記念碑の丘を桜の名所にしようとのもくろみであったが、気象条件が合わず、暖地性の桜も一度咲いたのみであった。しかし、石でできた記念碑は永遠に残るものと信じている。)