励起化学42年

西本 清一

西本教授昭和41 年に工学部高分子化学科へ入学して3年目を迎え、専門教育課程が始まったころ、「物理学演習」の講義を通じて当時助教授であった恩師西島安則先生と始めて出会うことになりました。それは所謂大学紛争が全国規模で拡大していた時代での出会いであり、級友たちと真夜中に先生のお宅へお邪魔しては、いろいろな問題について夜を徹して議論することが度々ありました。「物理学演習」では、「光学」の基礎を学び、光と物質の相互作用の本質を理解することが目標にされていました。先生の教育法は徹底した対話にあり、対話を通じて学生たちが物事の本質に近づくことを目指されました。こうして昭和44 年に4回生へ進級すると、迷うことなく西島先生が担任教授になられた高分子構造講座(第二講座)への配属を志望し、電子励起状態の分子を対象とする物理化学の研究分野へ分け入る道標になっていただきました。これが私の「励起化学」元年に当たります。 

西島先生の対話による教育は、講義のみならず、ORT(On the Research Training)の現場である研究室で遺憾なく発揮され、物事の本質に触れる思考の方法論を修得するために大いに鍛えられました。博士の学位を取得して研究室を離れた後も、先生との対話は平成22 年9月にお亡くなりになるまで40 年以上の長きに亘って続き、対話を通じて自分の考えをまとめていく態度がすっかり習い性になっています。後年(平成20 年7月)、工学部1回生向けのグローバルリーダーシップ序論で「知の巨人-よりよく生きること-」と題する講義をしていただきましたが、昔と変わることなく、学生に深い愛情をもって問いかけつつ、学生ひとり一人の考えを引き出そうとする内容でした。 

励起化学の研究を始めたころは、高分子化学の研究室に所属していながら、専ら蛍光性の低分子が研究対象になっていましたので、何となく肩身が狭い思いをしていました。しかし、旧石油化学専攻(大学院重点化の改組により現在は物質エネルギー化学専攻)の助手に採用された後、次第に高分子も研究対象に加わり、平成5年12 月に物質エネルギー化学専攻の基礎物質化学講座(励起物質化学分野)を担任してからは、生体高分子のDNAが主な研究対象になりました。こうして今日に至るまでの42 年間、励起化学に関係した教育と研究に従事してきました。教育については、毎年繰り返す講義のなかでいつも何か新しい発見があり、年を追うごとに自然現象の理解がより深まっていくのを実感するという得難い経験をずっと楽しんできました。ところが、定年退職の間近になり、励起化学の基本とも言うべき「光と物質が織り成す色彩」について、40 年以上もその本質を誤って理解していたことに気づき、冷や汗をかく事態に遭遇しました。 

ニュートンは、われわれ人間に色相感覚を生じない無色透明の光(白色光)をプリズムに通したとき、それぞれの波長の違いに応じて7色(赤・橙・黄・緑・青・藍・菫)の色相感覚を生じる光に分かれることを実験で示しました。中世の大学では、音楽が自由七科(Liberal Arts)のひとつに数えられ、幾何学や天文学と同様に数学関連科目と見なされていましたので、ニュートンはプリズムで分けた光を音階に擬えて7色で表したのです。実際には、これらの代表的な色と色の間に無数の連続した帯状の色群が認められ、これをスペクトルと名づけました。ニュートンは、プリズムによる分光とは逆に、7 色に分けた光を再びレンズで集光して混合すると、元の無色透明な光に戻ることも実証しています。こうした一連の詳細な実験と考察は、ニュートンの二大著書のひとつである「光学」(1704 年に英語版初版刊行)にまとめられています。 

ニュートンの実験結果は色覚異常のない大多数の人たちが観察を通じて自分の眼(視覚)で確かめ得る事実であるため、「白色光をプリズムで分光すると、赤色の光から菫色の光まで、それぞれ波長の異なる7 色の光に分かれる」という説明が広く信じられています。私自身も物理化学の講義でそのように教えてきました。物質を照らす光が吸収・反射・屈折・回折などの物理作用を経て人間の眼に入り、レンズの役割を果たす水晶体から網膜に到達するまでの過程は比較的シンプルな物理学現象として理解可能です。しかし、光による網膜の刺激がトリガーとなって視神経が大脳に伝える神経情報はどのように処理され、色覚を生じているのかは、シンプルな物理学体系とは異なる生物学や心理学をも包含した認知科学の世界の出来事であり、その全体像は次第に明らかにされつつあります。網膜にあって色覚機能を担っている3種類の錐体細胞(赤錐体・緑錐体・青錐体)にはフォトプシン、また形状知覚機能(明暗知覚機能)を担っている桿体細胞にはロドプシンという色素タンパクが含まれ、それぞれ光の波長に応じて異なる感受性を示します。錐体細胞が光の波長に色をつけているわけではなく、視神経を介してシグナルを大脳の視覚連合野に送り、そこで色相感覚を生じているのです。このような視覚の仕組みを俯瞰して考えると、どうやら光には色がついておらず、四季折々に実に多くの色彩を楽しめる日本の風景は有彩色で溢れているのではないらしい、人間の色覚システムが自然界の物理作用と協働し、美しく彩色して見せているだけらしいのです。 

平成22 年8月16 日夜、京都高度技術研究所の 10 階で催された五山送り火の鑑賞会に西島先生が思いがけず顔を見せられました。これ幸いと、「光には色がない」と気づいたことをご報告し、いつものようにあれこれと意見を述べ合ったのが先生との最期の対話になりした。よもや2週間後に不帰の人となられるとは思いもよりませんでした。昨年1月から週に半日、西島先生が初代所長を務められた京都市産業技術研究所へ出向いていますが、西島先生の蔵書8千冊余りのうち、ご遺族のご厚意で約6千冊を産業技術研究所に寄贈していただきました。初期門下生のひとりで西島先生の後任教授を務められた山本雅英先生(京都大学名誉教授)の並々ならぬご尽力をいただき、昨年末までに、産業技術研究所2階にある図書室に設けた「西島文庫」のコーナーへ多様なジャンルの書籍を収納し終えました。それらの書籍には至るところに付箋が貼ってあり、整理に当たって付箋を現状のまま残していただきました。この付箋は、まるで西島先生と対話しているかのように、考えをまとめるための道標の役割を果たしてくれるのです。書籍のほかに、先生ご自身の手書きメモをキーワードごとにまとめたカード式のファイルも残されており、これらのメモもまた対話を続けるための貴重なツールになっています。先生が愛蔵された書籍を手にとって、今後も先生との対話を続けたいと考えています。

(名誉教授 元物質エネルギー化学専攻)