京都からのベンチャー、桂からのイノベーション

松重 和美

松重教授平成5 年4 月電子工学科の教授として京都大学に赴任してから早くも19 年間程の年月が経ち、今春定年を迎えようとしています。これまで学生、教員として海外も含めて異なる大学、学部、そして研究所を3-5年間の頻度で変わってきた経験をもつ筆者には、転勤は研究テーマも含めて新たなチャレンジが出来る機会と考えてきたこともあり、同じ専攻に(居心地良く)20 年間近くいた事は、予期せぬ事(不覚?)でもあります。ここでは、研究以外の面で、赴任後に関与してきました多様なプロジェクト等を紹介させて頂き、皆さん方の今後の発展のご参考になれば幸いです。 

在職期間中で、赴任前には予想もしていなかった業務も数多く経験しました。その一つは、赴任3年目の平成7年初夏、政府の補正予算で京都大学に設置されたベンチャー・ビジネス・ラボラトリ(VBL)の施設長に筆者が任命されたことです。(事の始めは、事務局にかけた一本の電話?)実は、それまでベンチャー(起業)に関心はあったものの、その現実や実務については素人でしたが、若手人材育成の面でも何か新たな視点で取り組みたいという思いが以前よりありました。そこで、国内外の大学発ベンチャーに関する情報を集めたり、現場を訪問したりなどし、これまで京大には無かった取組み、例えば「新産業創成論」等の講義の開講、テクノアイデア(最近はテクノ愛)コンテストやグローバルリーダー育成カップの実施、そしてインキュベーション施設として京大ベンチャーズを開設したり、種々独自の企画・プロジェクトを行った結果、京大VBL は全国45 大学に設置されたVBL の中でも最もアクティビティー、注目度の高いVBL となりました。種々の経緯もあり(現在までの長期間、施設長の任を務めることになったことも予想外)、必ずしも管理運営も含めて全てが整い、また順調な発展系と成長したわけではありませんが、これまで、全学、特に工学研究科には設立時の曽我先生をはじめ、歴代の研究科長、関与して頂いた多くの先生方、VBL スタッフ・PD、そして関係事務部の方々には多大の支援・協力をして頂き、改めて御礼を申し上げます。 

ところで、大学と社会が密接に関係するような VBL での取組みに対しては、期待感のみならず危惧する声が学内外にありました。特に、独創的・基礎研究を重視する京都大学にあっては、以前の大学紛争の影響もあり、ビジネス、企業との連携には積極的ではありませんでした。しかし一方、創業者も健在で多くのベンチャー企業が育った京都の街は大学との関係も深く、VBL を核に創造性に富む人材育成、またオープンな産学連携のあり方を先導的に提起する視点で活動を広げていくことが出来ました。その結果、国際融合創造センター(全国の主要大学では最も遅い産学連携組織の構築)や国際イノベーション機構(知財も含めた先駆的な統合組織)が,当時の長尾総長、尾池総長のご支援もあり、設置されることになりました。更に、国立大学法人化時には、(他大学の見本ともなった)京都大学産学連携ポリシーや知財ポリシーを制定することにも繋がり、事務組織の中に産連課が誕生しました。これらは、現在の京都大学にとって、知財・産学連携活動や大学の社会的貢献活動の活性化の面でも少なからず寄与しているのではと思っています。 

一方、筆者の京大在任中のもう一つの大きな環境変化として、工学研究科の桂キャンパスへの移転があります。京都大学全学移転計画は長年検討されてきたものの多くの障害があり、あきらめ感のあった平成10 年の秋頃、京都市の西の桂御陵坂地区に工学研究科と情報学研究科の移転が当時の長尾総長や土岐研究科長などの尽力で決まり、実現することになりました。移転はもう無く、宇治に居を構えたばかりの筆者にはショックでした。(しかも、その新居が火事に見舞われました。その節は多くの方から励ましを頂きこの場をお借りし改めて御礼を申し上げます。)ところで、新キャンパスの建設には当然莫大な予算を要し、緊縮化する国の予算では,必須の教育研究用建物の優先度は高いものの、付随する施設建築の予算の確保は絶望的な状況でした。そこで、スタンフォード大学を核としたシリコンバレー的なものが京都にも出来ないかと考えていたこともあり、(種々の経緯もありますが)大学事務局や地元自治体、企業等との協議・連携活動を行い、その結果は桂新キャンパス内にローム記念館、船井哲良記念講堂・船井交流センターの誘致に繋がりました。前者はローム株式会社より産学連携推進施設(先述の国際融合創造センターの拠点)として寄贈されたものであり、実はその実績は国の桂キャンパス全体計画承認時に重要な要素になったと伺っています。後者は日本でのモノ作りの後継者育成(VBL での若手への起業精神涵養の取り組み等)に熱意と理解をもっておられた船井電機会長(創業者)の船井哲良氏のご賛同を得て実現したもので、建物は少なくとも百年は保つようにと、雨風の影響が及ばないような構造で、また屋根は軽量で腐食に強いチタン材料で造られています。 

次に、桂キャンパスの南側の「桂イノベーションパーク」についてです。この約2万平米の土地は、もともとは地域公団(現在のUR 都市機構)の所有地で、個人住宅分譲用地とされていましたが、売却の見込みがあまり無い状態でした。そこで、学内外の多様な人々と自由な立場で検討するグループを作り、その活用について勝手に種々構想を練っていました。そのグループの中に、京都市関係者もおられ、京大桂と連携したサイエンスパークの案が、市のスパーサイエンスシティー構想の中にも取り入れられることになっていきました。結果として、科学技術振興機構のJST イノベーションプラザ京都、中小企業基盤整備機構の京大桂ベンチャープラザ北館・南館、そしてベンチャー企業の(株)ファーマフーズとマイコム(株)の本社・研究所、そして三洋化成工業(株)の研究所が設立され、土地そのものは完売となり、大学と地域が連携した国内有数のサイエンスパークとなってきています。(図1参照) 最後に、桂キャンパスにも関するプロジェクト、「京都Neo 西山創成プロジェクト」を紹介します。これは、桂キャンパスには工学系の研究科のみで、

図1

図1.京大桂キャンパスを核とした桂イノベーション

吉田キャンパスのように文系・理系が共存せず、多様性に欠けるのではないかと思っていました。偶然あるシンポジウムで、近辺の国際日本文化研究センターと京都市立芸術大学の研究者と筆者がパネラーとして同席する機会がありました。その後会合を持ち、三者で先端技術、文化、そして芸術が融合した取組みを行ってはと話しが進みました。京都には室町時代以降、東山文化、北山文化が誕生しましたが、今度は西に位置する桂の地に新たに西山文化を造ろうではないかと意気投合した次第です。丁度、芸大の学長でもあった元京大総長の西島先生も賛同して頂きました。(図2参照)幾つかの合同のシンポジウムを開催するとともに、より具体的な取組みとして、当地の名産でもある竹を素材にした電気自動車を製作するプロジェクトを立ち上げました。京都の竹細工を行う会社など多様な方のボランタリー的協力で出来た車が“Bamgoo”です。京都市内を走行する映像は、世界の各所からも注目され、昨年の秋には北京にある中国国家博物館で展示され、約 50 万人の市民が来館したそうです。 実はもう一つ、幻の企画がありました。それは、桂キャンパスC クラスターから9号線の仁左衛門の湯近辺までの約2km の坂道でのそうめん流しです。近くに豊富にある竹を活用し、日頃交流に乏しい各専攻の教職員・学生、そして地元の方々と協力して、ギネスに挑戦する試みですが、実現とまでは行きませんでした。 

図2

図2. 先端技術(京大桂)・伝統文化(日本研)・芸術(芸大)の融合

以上述べましたように、私なりに色んなプロジェクトを楽しく企画させて頂き、実行出来たのは、やはり京都大学に身を置けたからだと感謝しています。必ずしも、継続や成功とまでいかず中途半端になったものも多々ありますが、将来この桂の地が、世界に知的情報発信が出来る新たな学術ゾーンとなる事を祈念し、筆を置きます。長い間、本当に有り難う御座いました。

(名誉教授 元電子工学専攻)