就任のご挨拶に代えて

工学研究科長・工学部長 北野 正雄

北野研究科長本年度より工学研究科長・工学部長を2年間務めさせていただくことになりました。着任の挨拶を兼ねて工学広報の巻頭言として雑感を書かせていただきます。

 前任の小森研究科長は2 年前の巻頭言の冒頭で以下のように述べられています。「工学部・工学研究科が対処しなければならない最も重要な課題は、当然のことながら教育と研究を工学の各分野でいかに高いレベルに保ち続けるかである。要は、高度な研究の実施に加えて学部、大学院ともに優秀な学生を確保することと、社会で十分に通用し、高い評価が得られる京大工出身の有能な人材をいかに数多く輩出するかである。」これは我々が、常に念頭に置くべき重要事項でありますので、引用させていただきました。 

さて、今年度は待望の物理系専攻の桂キャンパス移転がいよいよ実施されます。第一陣の化学系の移転より、約10 年の歳月が流れています。物理系の移転により、桂キャンパスが教育研究の拠点として、一層の賑わいを見せるものと期待されます。ただ残念なことに、諸般の事情によって材料工学専攻が吉田キャンパスに残ることになってしまいました。いずれにしましても、工学部の教育は従来どおり吉田キャンパスを中心に行われますので、今後も工学研究科・工学部は宇治キャンパスを含めた3キャンパスにまたがる活動を行ってゆくことになります。物理系の移転後は、吉田キャンパスにおける再配置の作業を段階を追って進めてゆく必要があります。特に、学部教育に支障をきたさないよう配慮しつつ、学生実験や交流の場、図書室の整備充実、良質の講義室の確保などを目指さなければなりません。 

また、全学の事務改革(統合)も今年度後半から本格的に進むものと思われますが、桂に本拠を置く、工学研究科は他の部局に比べて影響は小さいとはいえ、特に、学生との窓口である教務関係が手薄にならないよう十分な手当が必要です。 

最近、教育に関しても、現状を全否定し、大胆な変化を強要する乱暴な議論が横行しています。八方塞がりの現状を逃れるために、すべてをリセットする大号令は、焦燥感を持つ人々をいとも容易に引き付ける魅力があります。物を壊すことはある意味では簡単ですが、一度壊したものを元のレベルまで復旧するためには、膨大な努力と時間が必要であることも考慮しなければなりません。元を越える保証もないわけですから、大学に身を置くものとしては、そのような粗雑な議論や行動から距離を置き、本質的な問題を見極めて、その一つ一つ解き解すという地道なアプローチを採るべきだと考えます。 

全学共通教育の見直しも直近の課題です。高校までの教育において、その内容が精選されてきた結果、昔に比べると入学生が備えている知識の量や論理的思考力のレベルが低下していることは否めない事実です。このため、大学の初年度教育とのギャップは想像以上に大きいものになっています。このギャップを橋渡しする科目の設定は重要な課題で、色々な側面からの検討が必要です。外国語教育をとってみても、流暢に話せることを目標にする人もいれば、論理的に書かれた文章を読み取ることを重要視する人もいて、議論がなかなか噛みあわないのが現状です。 

入試制度については、現在、秋入学が盛んに議論されていますが、その影響は多岐に及ぶので慎重に検討すべき事柄です。確かに、現行の入試制度がほぼ同じ形で長年継続されてきたため、小手先の技術で対応可能となってきていることも事実です。入学してくる学生を見ていると基礎力が不足しているだけでなく、知的好奇心や向上心をどこかへ置き忘れてきたような学生も少なくありません。最近では、本を全く読まない学生もめずらしくありません。特に、学生本人の分野に対する興味や適性を棚上げして、偏差値中心の受験指導が行われるなど、入学した時点が終着点と思わざるを得ない扱いを受けているともいえます。 

現在はグローバル化が錦の御旗になっていますが、ローカルという相補的な視点も忘れてはいけないと思います。経済的な場面では、集中投資、合併統合、少品種大量生産などが有効な戦略かも知れませんが、大学にその原理をそのまま持ち込むことには、無理があります。極論すれば大学は「ニッチの集合体」なのですから、多様性の確保という視点を忘れてしまってはいけません。例として適切か分かりませんが、インターネットを成立させている自律分散的な通信プロトコル (TCP/IP) は当初は通信の本流だとは見なされていませんでした。現在、世の中の大半のサーバーが採用している OS は、UNIX と呼ばれる、趣味的に作られた小さい OS を祖先に持っています。また、ウェッブ(WWW)はもともと CERN(欧州合同原子核研究機関)で利用されていた学術情報の共有システムが発展したものです。いずれも極小の試みからスタートし、予期せぬ形で世界を覆うシステムに発展したもので、出発時点ではグローバル化や経済性を意図したものではありませんでした。特に大学においては、このような大きい可能性を秘めた小さな試みを許容し、尊重する懐の深さを失わない配慮が必要だと思われます。 

留学生や女子学生確保も継続的に取り組むべき課題です。留学生の増加策に関しては現在でも様々な問題を抱えています。日本以上に受験競争が過熱している国もあり、これらの国からは学問的志の希薄な学生の割合が増えているように思われます。また、留学生の支援に関しては、継続性や個別対応の面で問題があり、安心して留学できる体制とはいえない状況です。近年、理工農系における女性教員比率向上が求められていますが、そもそも当該分野の研究者数が絶対的に少ない現状では、即効的な対応策はあまりなく、女子学生にもっと工学部に入学してもらうことから始めるしかありません。最近の取り組みである、オープンキャンパスにおける工学部「テク女子」の企画は大変好評であり、これをさらに充実させるともに、博士課程や若手研究者へのキャリア支援を並行しておこなってゆく必要があります。 

高校との連携に関しては、出前授業、生徒の研究室への受入れ、高校教員の研修など、高校における理科教育や体験型授業を支援する活動が徐々にではありますが拡充されてきました。これらの連携活動は受験生の囲い込みという短期的視点ではなく、中等教育における理系の教育環境の改善や、生徒たちに大学での勉強や研究について正しい情報をあたえる機会と捉えて活動を展開してゆくことが重要だと思います。最近、大阪府立の進学指導特色校10 校と京都大学の協定が締結されましたが、さまざまな活動を通して多くの高校との連携が深まることを期待したいと思います。なお、高大連携に関しては、1年前の工学広報 (No.55, 2011.4) に小文を書かせていただいたのでそちらも参照ください。 

大学生活に適応できない学生が急増していることへの対策としてさまざまなタイプの初年次教育の必要性が認識されており、その内容や実施方法を検討してゆく必要があります。従来、工学部では落ちこぼれ対策として、アドバイザー制度などを実施してきましたが、昨年度からいくつかの基礎科目において出席状況を把握する「定点観測」を開始しています。これは学生の躓きを早期発見し、対応しようというものです。今後はさらに入試データや学籍データを多面的にモニターできる仕組を確立し、授業内容や科目設計、入試制度などの改善につなげてゆきたいと考えています。 

産業界からはキャリア教育の拡充や国際化対応(英語の訓練)が要請されています。さらには、半期15 週の講義時間の確保という国の指導に従うべく、窮屈なアカデミックカレンダーの導入が予定されており、休業期間の大幅な短縮に伴う課外活動や入学試験などへの影響が懸念されています。このような外部からの要請については、その教育的意義や効果を的確に判断し、対応を考えてゆく必要があると思われます。 

大学院では博士後期課程への進学率の低下が問題となっていましたが、前後期連携教育プログラムや GCOE による経済的支援などの取り組みが効を奏し、改善が見られています。さらに、関係各位の努力により今年度から、工学研究科の財源で博士課程の学生に授業料相当の支援が実施されることになりました。 

ご存じのように、大学の取り巻くすべての情勢はますます困難を増しており、なかなか前向きの話につながらないもどかしさがあります。とはいえ、このような時代的困難の中、姿勢を低くして着実に仕事を進めてゆく他に選択肢はないわけですから、逆に話は単純なのかもしれません。冒頭の話にもどりますが、煎じつめていえば、大学の使命は次の世代を担う、豊かな才能としなやかな感性を備えた人材の育成ということに尽きると思われます。人生の中で最も吸収力のある20 代のまとまった期間を知的作業の現場に身をおいて、自己を磨くという、他の場所ではできないことを体験できるのが大学という場なのです。若手研究者や博士課程の学生が既存の価値観や制約に囚われない自らの発想でのびやかに研究できる環境を確保することが何より重要です。 

2年間何かとお世話になりますが、よろしくご支援をお願いします。

(教授・電子工学専攻)