「土木工学教室赤レンガの思い出」

仙波 秀治

仙波技術専門職員1971 年4 月工学部に採用になり、土木工学教室水理学講座に技官として配属になってから40 年以上が経ちました。水理学講座(中川研究室)は、土木総合館旧館といって赤レンガの古い建物でしたが凄く趣のある校舎でした。水系関係の実験室は、赤レンガの建物に無く工学部1号館と工学部5号館の地下に造られていました。私は工学部1 号館の建物で研究室に居られる先生方や学生さんに対する研究・支援業務等を行うのが職務でした。この当時には各研究室に技官の職員方がそれぞれ居たように思います。 

実験は、模型実験が主で模型製作から始まります。材料から模型製作を行い水を流して実験を行うのです。これまで多くの模型を造ってきましたが、思い出に残っている物としては、大型ダム模型や明石海峡大橋の基礎模型実験等が挙げられます。ほとんどの模型は自作で造ってきました。実験自体は室内で行うため縮尺模型が主体です。 

実験が終わればデータ整理や図面の作成ですが、その当時はコンピューターと言っても大型計算機で時間をかけて計算をしてデータ整理を行ったり、電卓で手計算を行うのが当たり前で大変苦労しました。また、図面の作成は、ロットリングを用いてトレイシングペイパーに手作業で図面を描く作業も今思えば大変な作業だったように記憶しています。 研究室の先生方や学生さんとの思い出もたくさん作る事が出来ました。研究室では毎年夏には、研究室の研修を兼ねて登山をするのが定例行事になっていました。私が初めて参加した登山は、八ヶ岳ではないかと記憶しています。本格的な登山は八ヶ岳が最初でしたが、その後は北アルプスや中央アルプス、また南アルプスと3000 m級の山々を経験する事が出来ました。その経験が有って登山する事が趣味に成ってしまいました。その後も友達などを誘っては、出かける様になりました。また、他の技官の方々や事務系の職員の皆様との思い出も忘れる事が出来ません。土木教室では、バレーボール大会や卓球大会、軟式野球大会など大いに楽しい時間を過ごさせて頂きました。 

仙波1研究室の話に戻りますが、私が配属された当時には、研究室の教授には中川博次先生が居られ、助手には鈴木幸一先生が居られました。技官の小林さんと4回生、M1学生さんで中川研究室と呼ばれていました。それから40 年以上が過ぎて、多くの学生さん達が卒業して行くのを見守ってきました。あの当時が現在の私の人生の始まりであり、今の私が有るのだと思っています。 

現在では、工学部も工学研究科となって技官も技術職員となり、統一された技術室も出来て来ています。これからも、教員と技術職員の和を持って技術の継承・教育の発展を望むところです。

(技術専門職員・都市社会工学専攻)