自分の流儀

上谷 宏二

上谷名誉教授研究者は皆それぞれ異なるスタイルを持っている。 研究者に限らず人には皆それぞれのスタイルというも のがある。本稿の執筆にあたり、自分の研究生活を振 り返って見る機会を得た。 研究を生業にしている場合どうしても考えている時間が長くなる。私の場合、歩いているときがものを考える最も大切な時間になっている。従って長時間歩くように、日常生活を組み立てている。いつ頃からこの習性が身についたか分からないが、研究者に なってから間もなくである。積極的に歩こうと意識 した理由は健康を保つためである。もともとの体質は強い方ではない。小児ぜんそくを持って生まれてきたが、これほどつらい病気も少ないと思う。発作が出ると横になることも出来ず、積み上げた布団に前向きにもたれひたすら苦しさに耐えねばならない。吸入式の特効薬はあったが、心臓に悪いからと母から使用を厳しく制限されていた。使うと一瞬気管が開くが、効果はすぐに消える。ひどい時には発 作が数日にわたり、夢うつつの朦朧とした状態で苦しさだけが意識に残る。小学校の高学年の時がピークで、放課後母に連れられて大阪から京都まで針治療に通ったり、体力をつけることも必要と早朝父と 自転車で修験道の祈祷を受けに通ったこともあった。片道1時間弱の距離だったので、忙しい父にど れほど負担がかかったか想像もつかない。ところが 中学進学とともに喘息は嘘のように去り、一時は3分の1ほど休んでいた学校も、中学時代はほぼ皆勤で通せた。小児喘息ではよくある症例と聞くが、まさに奇跡である。ちなみに医者になって喘息に苦しむ人を助けることが、子供のときの願望であった。 ところが喘息が治ったとたんに、医者になるという願望は消え失せてしまった。血を見るのも苦手な性 分であったので、喉元過ぎて熱さを忘れてしまったのであろう。

修士を修了した後オランダのデルフト工科大学に客員研究員として留学したが、そこで喘息が再発した。助手として京都大学に戻ったものの喘息を持ち越し、専門医のお世話になった。その方の適切な治療とアドバイスのおかげで私は再び健康を取り戻したが、その治療過程でジョギングや歩行が非常に効果的であることを経験的に実感した。時折現れた症状も運動で抑え込めることが分かった。このようにして身に着いた歩きの習慣は、持病を完全に拭い去ってくれたばかりか、その他に量り知れない恩恵を与えてくれた。おかげで殆ど病気とは無縁の生活を送らせていただいている。この効用を少しでも多 くの人に伝えたくて、親しい人には話すようにしている。話を聞いた方々は私の歩く距離や時間に驚かれるが、習慣として身に付けてしまえば何も特別なことではない。ある方は早朝ジョギングを習慣としておられるが、歩行の方が遥かに一般向きであると思う。ジョギングをしていた時期もあるが、つい 記録を意識して加熱し、その結果膝を傷めてしまっ た。やはり継続が大事であり無理をしては続かないから、その点でも歩きの方が断然優っていると思う。 それに、私の場合ジョギング中は走ることそのものに意識を占拠されてしまうのだが、歩きの場合だとほぼ100% 思考に集中できるのである。

さて本題にもどるが、歩いている時が私にとってものを考えるのに最も適した状態である。殆ど研究関係のことを考えて歩くのが長年の習慣になっている。なぜ机に向かうより歩きながら考えるのが良いのか、思い浮かぶままに書いてみたい。先ず血流がよいので、眠気がささず集中力が持続する。紙に書 くことが出来ない不自由さが、かえって利点になる。 枝葉を払わざるを得ないので、本質的、抽象的に考えることになる。大局的な視点から構想を練る。式展開を考える場合にも、紙が無いから全ての関係を頭の中で組み立てる。全体の構想や骨格を歩きながら整え、机に向かって肉付けを行う。細かい点が気になる性格なので、机で考えると細部に足を奪われて自由が利かなくなる。だから考えるために机に向かった覚えが殆ど無い。歩きながらであれば、大き な視野も細かい視野も思いのまま換えられる。同様に思考展開の速度も自由に切り換えられる。もう一つ大事な効用は、歩くと気持ちが前向きになることである。これは生理学的に説明づけられているらしい。困ったこと迷っていることがあれば、とにかく歩く。これが私の流儀である。

流儀に関係して思いつくことを幾つか述べておきたい。私は自分が他からどう評価されているかとい うことに無頓着な方であるように思う。結局、自分自身で納得できるかどうかが決定的に重要である。 他からの評価がそれより不当に低ければ腹が立つ し、過剰に高ければ居心地が悪い。だから気にする意味がない。身に火の粉がふりかかる事態となれば話は別だが、一喜一憂して振り回されるほど馬鹿げたことはない。意義があると信じる方向に懸命に進んでいけば、結果は後からついてくる。無心に没頭せずに手に入れられる結果は、所詮その程度のものでしかない。

自分を一番よく知っているのは自分自身であると思う。しかし今までを振り返って、自分をよく知ら ないのも自分自身であると思う。思いもしなかった 未知の自分を発見することがある。研究人生の節目でこのような発見があり、これに影響を受けて方向が決まってきたようにも思える。良かったか悪かっ たかを今更詮索しても仕方ないが、迷いつつも選んできた道に大きな後悔だけは残したくないと願って歩んで来た。

今一つ無意識のうちに身に付き、折に触れて用いてきた流儀がある。経験のない役割を任せられた り、予測の利かない状況に置かれたとき、それを乗り切るためにとってきた流儀である。それは極限状態を想定して方針を練るという方法である。取り立てて言うほど特別なことではないかも知れないが、 この方法をとることによって難しい局面を何度か凌いできた。構造力学の中に極限解析という手法があり、言わば崖っぷちを予測する極めて重要な方法である。塑性極限解析や座屈解析がその代表例である。 構造設計を評価する場合も、先ず第一に極限状態に着目して考えてみる。そのような習性がいつしか身に着いてしまった。極限状態に備えることは危機管理の基本であるが、もう一つ特筆すべき効用がある。 それは、極限状況を想定し対策を練っておくことによって腹が据わるという精神的効果である。限界を押さえることによって精神的ゆとりが生まれ、冷静に思考し的確な判断ができる。逆に目先の選択肢から検討を始めれば、細かいことに右往左往されて大局感を逸してしまう危険性が生じる。子供のころ父から「角矯めて牛を殺すな」と諭されたことを今思い出した。

(名誉教授 元建築学専攻)