移動、移転の連続

服部 俊昭

服部氏1972 年3月16 日付で京都大学工学部文部技官として採用され、石油化学教室(後の物質エネルギー化学専攻)石油変換工学講座に配属されました。

当時の研究室には、武上善信先生(教授)はじめ、渡部良久先生(助教授)、上野徹先生(講師)鈴木俊光先生(助手)、加藤重夫技官(1977 年助手に昇任)が居られました。機械専門の私が化学系に配属になった経緯は、我が国において初の超伝導磁石を用いた高磁場NMR 装置Varian HR-220 (220MHz) が、1969 年末に特別設備費で京都大学工学部石油化学教室(工学部9号館) の地階 に共有機器として設置されました。このNMR 装置を維持するには液体ヘリウムの供給が必要であるため、住友重工業株式会社製のヘリウム液化装置が導入されました。(当時、市販の液体ヘリウム価格は記憶違いでなければ1800 ~ 2000 円/ L程度していたかと思います。) NMR 装置が設置された当時、技官1名、非常勤職員1名の方がNMR 装置の維持管理業務を担当されていましたが、ヘリウム液化装置の運転には機械系技術職員の配置が必要不可欠となり畑違いの私が化学系でお世話になる事となりました。ヘリウム液化装置の液化能力は4L/h で3日に一度運転すれば必要量の液体ヘリウムは確保出来る計算でしたが、NMR 装置にトラブルが頻繁に発生し、液体ヘリウムの消費量も倍増しました。そのため、ヘリウム液化装置は週6日のフル運転を行わなければならない状況が続き、また、ヘリウム液化装置にもトラブルが発生すると徹夜運転となる事もたまにありました。採用後10 数年間NMR装置の維持管理業務に就いておりましたが、技術の飛躍的な進歩と共にNMR 装置も更新され、液体ヘリウムの消費量も格段に少なくなり徹夜でヘリウム液化装置の運転をすることはなくなりました。

NMR 装置の維持管理も軌道に乗り始め1983 年にNMR 装置の維持管理業務から採用当初より伝えられていました学生実験への業務替えとなりました。その業務替えにより同じ工学部9号館の地階から4階で行われていた学生実験室へと移動したのが始まりで、採用されてから現在まで小移動を含め6~8回(小移動の回数は記憶が定かで無い)の職場移動・移転を経験することとなりました。

この頃の学生実験は化学系各教室で学生実験室を保有しており、それぞれ、特色ある実験が各実験室で行われていました。我が石油化学教室(現物質エネルギー化学専攻)では50 名(1966 - 1983 年は55 名)の三回生を対象に月曜日から金曜日の午後、化学実験1.(分析化学実験)、化学実験2.(物理化学実験)、化学実験3.(有機化学実験)の実験が通年で行われており諸先生方と共に学生実験を担当させて頂きました。石油化学教室での実験教育には全ての教官が参画して担当あるいは分担されておられ、諸先生方から実験手法や技術のノウハウをご指導頂き随分お世話になりました。石油化学教室は百万遍交差点の南東角に位置しており、4階の学生実験室から見る北側(松ヶ崎方面)の眺めはとても素晴らしく、大文字の送り火で五山のひとつである妙法の山を正面に臨むことが出来ました。そんな9号館の4階から2001 年度全実験終了後の2002 年2月に高分子化学教室の旧学生実験室があった工学部4号館地階へと実験室は移転する事となり、それ以来、8月16 日の夜、妙法の文字が赤々と山肌に浮かび上がる幻想的なあの4階からの風景を観る事はなくなりました。

この工学部4号館への移転では移転費用の配当がなかった事から業者に引っ越し依頼する事が出来ず、学生実験担当の教官ならびに各研究室の学生、院生の協力を得て、分析機器や実験器具等を運び込みました。4号館への移動後も耐震改修工事等の理由で実験室の一部が4号館内地階での移動が数回ありました。学生実験室の移転以外にも、2003 年6月以後、工学研究科大学院の桂キャンパスへの移転が始まり、所属研究室も長年住み慣れた吉田キャンパスから桂キャンパスへ移転と言う経験もしました。工学研究科大学院の移転に伴い吉田キャンパスに残る化学系の居室や実験室の集中化が計画され、担当している学生実験室も工学部3号館地階への移転が決まり2006 年に工学部4号館を後にしました。この時の移転でも移転費用の配当はなく、各研究室は既に桂キャンパスへの移転を終えていたため、学生、院生の協力は望めませんでした。実験装置や実験器具等の移設は、学生実験担当教員と共に少しずつ台車等を使い運び入れる事となりました。その3号館の地階で現在も学生実験は行われています。

京都大学に採用されてから現在に至るまで、何度となく移動、移転を経験しこの3号館で最後であろうと思っておりましたが、また、どこからともなく移転の話が聞こえています。この先、何処が定住の地となるのか分かりませんが、学生実験を受講する学生諸君にとってより良い環境であることを切に願って止みません。

写真3

(技術専門員 物質エネルギー化学専攻)