建設業の技術者として

岡本 達雄

岡本達雄氏1973年に吉田の地を後にしてからずいぶんと時間が経ちました。今は建設業における一企業人としての毎日を送っています。日本の建設業は戦後の復興の波に乗り右肩上がりで大きく成長しました。それが今や国内市場の縮小に直面して簡単には成長が期待できない産業となっています。私はこの大きな変化を建設業の一員として体験してきました。この機会に最近の建設業の状況を私の想いを交えて述べてみたいと思います。

戦後一貫して伸びてきた建設投資も1992年度の84兆円をピークに下降を続け2011年度には41.9兆円とピークの約半分以下になりました。ここ数年は 生き残りをかけて企業体質を縮小均衡に向かって軟着陸させることが概ね日本の建設業の方向性であったように思います。しかし、2012 年の政権交代によって流れが変わりました。建設投資が増加に転じています。2012年度の44.9兆円から2013年度の 49.0兆円へと約9.1%もの増加が見込まれています。それに伴い、資材不足と建設物価上昇、技術者不足、作業員不足が顕在化しています。市場は縮小と逆の方向へ動いたのです。建設業も新たな企業戦略を練る必要に迫られています。

ところで時は遡ります。私は約47年前の昭和42年に工学部建築第二学科に入学しました。未だ日本 が高度成長の坂道を登っているころです。しかし、2年生の終わりのころ学生紛争が始まりました。この学生紛争は、否応なく既存の価値観を疑う機会となりました。学生はひたすら勉強を行い知識を獲得 して社会の役に立つという迷いなき道がそうでもないぞということとなったわけです。大きく流れを変えて蛇行する川の流れの中であっちに泳ぎこっちに泳ぎしながら学生時代を送ったような気がします。大学4年の頃当時の建築学科構造工学研究室に属することになりました。研究室に出入りして卒業論文を書くことになるのですが、研究室に入ってみて個性あふれる先輩方や先生方からお酒を酌み交わす機会も含めて多くの場で沢山の啓示をいただきました。その中でもアメリカ留学から帰国された恩師の先生に、将来は、技術者として一流の専門職となるか、技術者としての知識を生かして企業経営に従事するかという目指すべき二つの道があるという示唆をい ただきました。後者は当時アメリカで存在を増していた企業経営をひとつのプロフェッションとするMBAの考え方です。今から思いますと私は会社から期待された構造設計技術者としての役割を全うするために努力しながら実は後者の生き方を指向してきたように思います。

現在、私は技術者と企業経営の一翼を担う立場の両者にわたって仕事をしています。過去20年にわたって縮小してきた国内建設市場に併せて規模を適合させてきた日本の建設業には今後難しい舵取りが求められます。短期的には、東日本大震災被害からの復興や2020年の東京オリンピック施設等国内において対応すべき多くのプロジェクトがあります。しかし、中長期的には国内の建設市場が縮小安定に向かう中、成長著しい海外発展途上国の公共インフラ整備や民間建設工事に、我々が国内の建設市場に対応する過程で蓄積してきた環境や防災等に関する知識や技術を活用することも必要になると思います。また、すでに自国の国内市場の縮小に対応して海外市場にお けるプロジェクトマネージメントやPPPなどの事業参画へと姿を変えてきた欧米の建設業の例も参考になります。我々にとってこの大きな変化をダイナミックに乗り切りいかに新たな成長戦略を描き実践していけるかが腕の見せ所であると考えております。

((株)竹中工務店 常務執行役員)