紹介

二酸化炭素を資源に

寺村 謙太郎

KentaroTeramura.jpg 多くの研究者はどの時点で生涯のテーマを決めるのでしょうか?私は1995年に工学部工業化学科に入学した後,1998年4月に吉田郷弘教授の研究室に配属されました.田中庸裕助教授(現,京都大学教授)に卒業研究を指導していただくことになり,与えられたテーマが光触媒を使った二酸化炭素の光還元でした.しかし,若気の至りで好き勝手に研究を進めて,研究室の皆さんに多大な迷惑をかけた後,田中先生より修士課程からのテーマ替えを提案されました.当時の私は特にこのテーマに固執することもなく,素直にテーマ替えを受け入れて,その後博士後期課程へと進学しました.私が博士後期課程1年が終わる頃に,二酸化炭素の光還元のテーマを引き継いだ後輩が修士課程を修了して,めでたく卒業することになりました.当時,二酸化炭素の光還元はほとんど注目されておらず,田中先生が「そろそろ,このテーマも打ち切りにするか」と決断されました.私は後処理を志願して,2002年から再び二酸化炭素の光還元を始めました.幸運なことにこれらの結果を1本の論文にまとめることが出来ました.クローザーとしての役割が出来て嬉しい限りで,この時もまだ生涯のテーマであるとは全く思っていませんでした.

2004年3月に博士の学位をいただき,4月から東京大学の堂免一成先生の元で博士研究員として研究に従事することになりました.翌年には特定助手にしていただき,少なくとも数年間は東京にいるのだろうと漠然と考えていました.ある日突然田中先生から,京都大学でテニュアトラック事業を始めることになったので,採用される確率は低いが応募してみないかというお誘いがありました.これも運命と思って応募することにし,その後何故か採用されることになり,次世代開拓研究ユニットの特定助手として独立して研究を行うことになりました.独立で研究を行うためには独自のテーマが必要です.偶然にも科研費に採択されたので,私は二酸化炭素の光還元を再び始めることにしました.この時も手探りで始めたテーマのうちの一つでしかありませんでした.

その後,東日本大震災後の原発停止もあって再生可能エネルギーに注目が集まりました.太陽光を利用して水や二酸化炭素を人類に有用なエネルギーや資源にする人工光合成にもスポットが当たり始め,多くの国家プロジェクトがスタートしました.私はその中の一つにトライし続けて,3年目にようやく採択されました.当然,テーマは二酸化炭素の光還元です.ここまで来るともう後には引き返せません.これまで,サイエンスをしなければと言い訳じみたことを言って,使いやすく反応性が高い水素を還元剤として使っていましたが,それもすべて水に変えました.当然ながら,研究の難しさは格段に上がります.そのプロジェクトもようやく今年終わることになり,ふと今後の自分の人生と研究について考えました.学生時代の研究を続けている方は多いと思いますが,私のように人生初の研究テーマが絶えず付いてくるという例は少ないのではないでしょうか.ようやく何か縁のようなものを感じ,例え流行りの研究でなくなっても,研究費が付かなくとも,仲間がいなくなっても,二酸化炭素の光還元を続けていく決心が着きました.

現在は,水を電子源とした二酸化炭素の光還元(人工光合成)の実現に向けて,光触媒材料の設計・合成・評価に全力を尽くしています.その結果,水中で選択的に二酸化炭素のみを還元する光触媒の合成に成功しました.また,水の分解によって生成する水素と二酸化炭素から生成する一酸化炭素の比を自由にコントロールする技術も確立しました.これは合成ガスを製造する際に必要な技術です.最近,京都大学アカデミックディに参加して,これらの成果を一般市民の方々に知っていただく機会を得ました.お話をさせていただいた多くの方々が二酸化炭素の再資源化に大きな期待と興味を持っていることを知りました.今後は二酸化炭素から必要な物質(例えば,メタノールやメタン)のみを作る技術と太陽光を利用する技術(可視光応答性)の確立を目指して,積極的に研究を推進していくつもりです.また,二酸化炭素を多くの化学物質の原料とする研究にも着手したいと考えております.最後にこのような機会を与えていただき工学広報の関係者の方には大変感謝しております.誠にありがとうございました.

(分子工学専攻 准教授)