ノーベル賞と研究公正

副研究科長 川上 養一

川上教授写真・はじめに

昨年度より、工学研究科の運営委員のメンバーとして活動させていただいております。西も東も分からない状況から、各系・各専攻に所属されている運営会議の先生方の知遇を得、事務方の顔と名前が一致する人数も随分と増えて、ようやくどの様なことが議論されているのかがおぼろげに理解できつつあります。そのような折に、心の準備もないままに、巻頭言の執筆依頼を受けました。そこで、参考までにとアーカイブから過去の巻頭言を少し拝読しましたが、何方も見識のあるご意見を述べられており、すっかり自信を喪失してしまいました。このように最初から言い訳がましくなりまして、お恥ずかしい限りです。ただ、締め切りも近づきましたので、格調を志向しても端から無理とあきらめて、普段私が感じていることをありのままに述べさせていただくことに致します。

・簡単な自己紹介と学風雑感 

私的なことにて恐縮致しますが、私は、50代のおやじ世代まっただ中です。家庭では娘に説教する際には、全くロジックに隙が無く完膚なきまでに遣り込めたと思っていると、最後に「上から目線」とダメ出しをされ、言葉の持つ表現力の深さへの理解が足りないと反省しつつ、鷲田清一先生の「折々のことば」を勉強している毎日です。   

私は、生きてきた年の半分が昭和、半分が平成となる今年を節目の年と勝手に解釈しております。また、この半分は、京都大学に助手として奉職してから現在に至る年(平成元年~27年)にも対応しております。さらに、学生時代(大阪大学での学部・修士・博士)の9年間を含めると、 2/3は大学に籍を置いていることになります。したがって、母校の大阪大学・電気系の同窓会である澪電会にも、京都大学・電気系の同窓会の洛友会にも(ありがたいことに、大学教員は出身でなくとも特別に入会許可をいただき)両方の会費を納めさせていただいております。   

そのような経歴からか、自身としてはすっかり京大の人間になったつもりですが、未だに京大と阪大の違いについて尋ねられることが良くあります。その際に、「もちろん入試の偏差値は京大の方が上ですが、本当にできる学生さんのレベルには大差ありません。」とお答えし、その後で、「ただし、阪大の学生さんは上意下達をよく守ってくれる傾向にあり、京大の学生さんは上の言うことを聴いてくれないことが(良い意味で)ありますね。」と続けることにしています。また、教員の研究に取り組む姿勢についての質問には、「京大の先生方の人真似を良しとしない見識」を大変誇りに思っているのですが、学生時代は阪大初代総長の長岡半太郎先生の「糟粕をなめる無かれ(荘子からの引用)」の教えを繰り返し聞いて学んできましたので、オリジナリティー重視の姿勢については、「引き分けとしておきましょう」とお答えするように努めています。 

ただ、このように、大学の学風の差をステレオタイプに議論することは、多様性を無視することに繋がりますので、ここまでにしておきます。 

・大学の価値はKPIで評価できるか?

近年、大学への予算配分において測定可能な評価指数としてKPIKey Performance Indicators)なる重要業績評価指数を導入させる傾向が甚だしく、歴代の工学研究科長が「毒饅頭は食べない」と、いみじくも仰ってきた所以はここにあります。しかしながら、兵糧攻めにいつまでも対抗できないのは自明であり、最近では伊藤紳三郎研究科長が、従来の方針を大切にしつつも、「少々の毒を食べても大丈夫なように解毒剤を用意するか毒も栄養にするような体力をつけてから食べに行きましょう」と発言されていることも、大変ご尤もなことと思います。   

すなわち、KPI導入は100%肯定も否定もできるものではなく、それぞれのケースに対して、教員個々人が是々非々でしっかりと議論を深め、社会に発信して行く姿勢が重要と考えます。たとえば、以下の三つのケースを考えてみましょう。(1)外国人教員100人雇用計画、(2)TOEFL iBT80点以上を全学の半数に拡大、(3)Times Higher Education (THE)の世界大学ランキングTop10入りへの挑戦、については、「京都大学ジャパンゲートウエイ構想(スーパーグローバル大学創成支援)」で、京都大学が2020年度までの達成目標として公約(松本紘前総長のもと)済みの目標に含まれています。   

1)については、現在目標の半数の雇用が進んでおり、国際高等教育院のもと全学教育への改革が進められていることから、各部局の身を削る定員削減分を原資とした雇用とは言え、肯定的にとらえるよう努めています。 

2)については、学生の英語力アップは勿論望ましいのでチャレンジングな課題として良いのですが、何故80点以上必要かの説得力のある説明が必要であると感じていました。つまり、”how to speak” が目的ではなくて、”what to speak”が重要との視点からの議論についてです。その中で、山極壽一総長の提唱されたWINDOW構想では、しっかりとした理念や精神論が述べられており、大変好ましく感じています。 

さて、(3)については、如何でしょうか?私個人としては、たしかに、そうありたいとの願いはあり、KPIを高めている分野を励まし発展させていく方向は極めて重要と考えます。教員数シーリングに一律のパーセントを課され、ある意味じり貧で将来に夢を持ちにくい昨今であるからこそ、努力して成果を上げているところへの手当は、インセンティブとしてもあって然るべきと考えます。しかし、数字だけが独り歩きして、大学の多様性を無視してKPIが高い分野のみを重視する風潮が甚だしくなると、先の文部科学大臣の文系学部廃止を肯定したとも取られかねない発言とも関連して、空恐ろしくもなります。 

このようなことから、(3)については、しっかりとした理念とバランス感覚に基づいた議論と少なくともある程度までの基本合意が重要で、数年のうちでの即効性を期待できるものではないように思えます。そもそも、毎年の大学ランキングの結果に一喜一憂するのは品のよいこととは言えませんし、京都大学が世界の大学から一目置かれ(この評価ポイントは高いようです)、日本国民から京都大学が世の中から無くなっては困ると心底思っていただいているうちは(そうと信じていますが)、大船に乗った気持ちで、中・長期的な視野に立って改革に取り組んでいけば良いのではないでしょうか? 

・ノーベル賞と京都大学

昨年度のノーベル物理学賞は、「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオード(light emitting diode LED)の発明」に関する成果に対して、赤﨑勇、天野浩、中村修二の各教授への授与が決定されました。マスコミ報道が過熱し過ぎ気味だったこともあり、お三方とも大変個性的な先生であることは、皆さま、ご認識のことと思いますが、私自身、長年この分野にかかわってきた研究者として、大変誇らしく感激しております。 

赤﨑先生が、名古屋大学において門下生の天野先生とともに、GaN(窒化ガリウム)という半導体を用いて青色LEDを初めて実現されたのは今から約25年前のこと(赤﨑先生が還暦を迎えられたころ)です。私が青色LEDを夢見て、大学院生として研究をスタートした約30年前には、高輝度の青色LEDとなりうる半導体材料はいくつかの候補がありました。その中で、GaNの可能性は極めて低いと考えている研究者が多く、この材料の研究はかなりマイナーな存在でした。赤﨑先生が「一人荒野を行く」と仰っているのは、その当時を振り返ってのことです。以下では、学術的な詳細はここまでにして、赤﨑先生と京都大学との関わりについてお話ししたいと思います。 

赤﨑先生は、1952年京都大学理学部化学科をご卒業され、その後、企業や大学において発光デバイス開発を目指した化合物半導体の研究に優れた業績を上げられ、現在に至っております。本年(2015年)の515日には、百周年時計台記念館迎賓室において、京都大学名誉博士称号贈呈式が挙行されました。この名誉博士号は13人目で、日本人では利根川進先生に続いて2人目となります。赤﨑先生は、贈呈式後の記者会見と記念講演において、大変印象深いことを語られました。すでに一部は新聞報道されていますが、ここで3つほどご披露いたします。 

1つ目は、入学当日の歓迎会にて、先輩から「大学は教えてもらうところではなく、自ら学び、何かをつかみ取るところだ」と言われたのを今でも鮮明に記憶されているとのことです。2つ目は、在学中に湯川秀樹先生のノーベル賞受賞を耳にして興奮しつつ近衛通りのプラタナスの道を歩きながら、「小さくても良いから、自分もいつか誰もやったことの無いことをやりたい」と心に決めたとのことです。3つ目は、「科学の創造が新しい技術を生むが、技術課題への挑戦から生まれる科学の視点も大切であり、研究はHowよりWhatが重要」と強調された点です。 

これらは、京大の学風によるものが大きく、KPIでは測れない指標であり、その効果は50年以上のタイムスケールで現れるということを銘記しておくべきではないでしょうか。上記の記念講演会では、京大の教職員のみならず数多くの京大の若い学生さんも赤﨑先生の言葉を拝聴しております。私自身、この言葉が学生さん達の次の50年に繋がっていくことに気づいたときに、清々しい心持になることができました。 

・研究公正教育について思う

私は、工学研究科の運営会議では、法務・コンプライアンス担当を仰せつかっていまして、その中で近年俄かに生じている事案は、研究公正に関することです。学内でも研究公正推進委員会が立ち上がっており、委員会としての聞こえは良いのですが、平たく言えば、近年の「スタップ細胞事件」を受けての、不正防止のための施策を議論しております。   

すでに、行動規範とアクションプランが制定されており、学生に対しては学部入学のガイダンス時、卒業研究に従事する際、大学院入学のガイダンス時における研究公正教育が行われることになっており、大学院生への論文執筆教育での対面型チュートリアルについても導入が検討されています。また、教員に対しても、研究データの10年間にわたる保存ルールの内規見当が進み、論文盗用検索ツール(iThenticate)を教員が任意で利用する環境が整備されています。また、研究者への研究倫理教育プログラムに関して、27年度からなるべく早い段階で、本格的なe-Learning研修の導入が予定されています。 

これに関して、すでに予算配分機関から提供されているe-Learningを受講済みの教員が何度も重複して受講させることは望ましくないとの意見が出ており、現状ではいくつかの機関で活用済みのCITI Japanプログラム(http://edu.citiprogram.jp)を導入する可能性が高いと聴いています。私は、昨年にこのプログラムを受講済みですが、約半日仕事の分量があり、これを京大教員全員が受講すると、大変な時間と労力が消費されることになります。上記を受講してみた感想ですが、研究活動上の不正行為として、「捏造」「改ざん」「盗用」が定義されており、どこまでが不正とみなされ、どのレベルがグレーゾーンなのかに関して勉強にはなりました。しかしながら、これを受講したからと言って大きな組織の中で不正をゼロにできるものなのかについては大きな疑問を持っています。それは、母数が多すぎることに加えて、不正に対する知識は増えても、何故不正をしてはいけないかの視点が弱いように感じるからです。 

たとえば、大学院学生がある論文を読んでいて、自分たちの研究成果がしっかりと引用されていないと憤慨する時がありますが、そういう時にはまさに生きた公正教育ができるように感じます。すなわち、反面教師として、「先人の仕事を引用して敬意をあらわそうとしない恥ずかしい人たちには決してなってはいけない」との倫理観がそこに芽生えるからです。これに関しては、京大の多くの方から賛同を得られるのではないでしょうか? 

・さいごに

ノーベル賞と研究公正に関して、最近感じたことを記しておきます。私の研究領域は、光材料物性とよばれる分野で、先に述べたLEDはその代表例です。今年の5月に、この分野に関するアジアパシフィックワークショップに招かれました。近年のアジア圏のこの分野の発展は、量と質とも目覚ましいものがありますし、外交問題がすっきりしない中、せめてアカデミアの交流は重要と考えて、多忙の合間を縫って参加致しました。 

さて、上記のワークショップに参加して驚いたことは、開催国の大学院生か若手研究者と見受けられる人たちが、講演を聴講する際、研究の理念・位置づけのところは突っ伏して寝ており、光材料の成長・プロセス条件などノウハウのところでさっと目を覚まして、電光石火のごとく写真に収め、その後に突っ伏して寝てしまった時です。 

アジアのある親しい大学教員からは、自国からのサイエンス部門でのノーベル賞受賞者がいない現状について、のどに刺さった小骨のような気持ちであると吐露されたことがあります。この先生に、上記の行動への危惧を「上から目線」と捉えられずにお伝えすることは可能なのか、その是非について思案しているところです。 

(教授 電子工学専攻)