24年の教員生活を振り返って

伊藤 秋男

伊藤秋男先生写真年退職に際しての随想文ということなので徒然なるままに。

月日の経つのは誠に速いもので、平成4年4月に原子核工学科の助教授に任用されてから今日までの24年間などあっという間に過ぎさろうとしています。様々な出来事があり、様々な人と出会い、また様々なことをしてきたように思う一方、それでは今までにしてきた事で、何か胸を張って自慢できるようなものがあるだろうかと考えてみるに、意外と無いものです。逆に、やり残したことや反省することもあり、少しく後悔の念にかられるところであります。学部での講義「応用電磁気学」「量子反応基礎論」を例にとると、学生に配布する講義テキストは意識的に毎年バージョンアップを繰り返すため、ついに完成版に至らないまま今日になってしまいました。大学の講義は生きものでありPDCA サイクルを続けることは教員の宿命で未完成テキストも仕方がない、と開き直っているところですが、まあ、少年老い易く学成り難し、の実例でしょう。ともあれ、気持ちの上では一人の学徒として電磁気学等の物理学の「普通科目」の奥の深さに魅了され絶えまなく学びつつ講義をしてこられた事は何より楽しく幸せな事なのではないかと思います。

国立大学は90年代に入ってから始まった旧文部省主導の大学院重点化の荒波の中で、大講座制を始め様々な組織改革を余儀なくされてきました。学部の改組による大学科編成もその一つで現在に至っていますが、当初の目論見通りには必ずしも機能していないのではないかと思います。教育面での負の側面は幾つかありますが、特に学生諸君の各コースへの帰属意識や連帯感が充分に醸成されていない気がします。これは学生の勉学意欲の喪失、延いては京大生としての士気の低下をも誘引するもので蔑ろにはできません。物理工学科ではその対応として2004年度入学生から2回生でのコース分属を実施してきており一定の効果はあるものの対症療法に過ぎないように思います。大学院重点化の功罪については、実施後既に20年以上経過しているわけですから、このあたりで工学研究科として且つ京都大学として総括し、学生のためにより優れた改革案を世に提言し実現させてゆくことが必要なのではないかと思います。

博士後期課程進学率を高めるための対策のひとつとして打ち出した博士課程前後期連携教育プログラムは評価できます。もっとも、「大学院進学後最短3 年で博士学位取得可能」という誘い文句に乗って進学してくる学生は殆どいないとは思いますが。この連携プログラムの中の融合工学コースという概念は優れた着想といえます。異分野間の連携研究は近年の特色で珍しくはありませんが、新しい切り口での学際領域の開拓と人材育成を目指して、部局横断型教育カリキュラムを構築し、その基で教育研究を行うという点が特長的です。私は量子ビーム科学講座教授として「生命・医工学融合分野」の中で先端医学量子物理という融合工学プログラムを平岡眞寛教授(医・医学系専攻)と一緒に立ち上げて2008年度から参画してきました。このコースは、放射線物理・物理工学の専門知識を基に放射線医学・放射線生物学等の素養と臨床実習を通して医工融合型研究を展開できる能力のある研究者の育成を行うもので、今後我が国の放射線医療分野で必要とされる医学物理士(まだ国家資格にはなっていない)を目指す学生が受験してくれます(外部からの受験生が多い)。一方、このような融合コースの理念は正しいものの、修得して欲しい基礎知識・専門知識が工学・医学にわたり少なからずあるため修士2 年間での修得は実際上は難しいと言わざるを得ません。人材育成の原点に還って考えれば、学部の中に融合コースを新設し、そこで教育してから大学院で更に研鑽を積ませるというのが理想的なやり方なのではないかと思います。

私の専門は原子衝突物理学で、宇治キャンパス放射実験室(原子核工学専攻)にある粒子加速器を用いた実験的研究を行ってきました。学問としての原子力・放射線は総合科学であり多岐にわたる基盤的要素技術分野をカバーしています。イオンや電子を高速度に加速する粒子加速器もそのひとつで、これら高速荷電粒子を固体や気体と衝突させることで原子の内部を探ることができます。放射実験室の加速器は故向坂正勝教授が重イオン核物性実験装置という名称で1969年に設置したもので、学内共同利用装置として多数の部局の教職員・学生の研究に用いられてきました。私も放射実験室でのイオン衝突研究で修論・博論を書きましたが、70年代当時の彼らが放つ熱気・活気は今も懐かしく且つ活き活きと思い出すことができます。放射実験室にはその後、概算要求等の継続申請により複数回にわたり新型加速器が導入されてきました。最近では2010年に文科省施設整備費と京都大学重点事業アクションプラン2006-2009の支援を受けて新型装置を設置することができ、教室の発展にいささかなりとも貢献できたのではないかと思っています。

私は歩くのが好きでちょっとした距離ならできるだけ徒歩で移動することにしています。桂キャンパスに移転して丁度3年目になりますが、吉田の工学部一号館に居室があった頃は京阪七条駅から鴨川河川敷を通ってよく往復しました。真正面に霞んで見える北山の連なり、道端に咲き揃う小さな野花、清々しい朝の空気と川風、冬になると毎年必ず忘れずに飛来するユリカモメの白い群、目に映る様々な風景を楽しみながら立ち止まったり急ぎ足になったりしながら歩きます。そんな季節の移り変わりの中で、凩が吹く真冬の川端通りの桜は、一枚の葉も無い曲がり絡んだ枝ばかりの姿になります。誰もが抱く桜のイメージとは似ても似つかぬその姿に、立ち止って眺める者はありません。けれども春になれば、美しい無数の花びらをつけて爛漫と咲き誇ります。その絢爛たる様を想いつつ真冬の桜の枝々を見つめると、その中に秘められた不屈の生命力と強烈な潜在エネルギーを感じて胸が熱くなります。春の満開の桜の本当の美しさは冬木立の姿を知ってこそ初めて見えてくるものだと思っています。だから何と言われそうですが、人生も然りであると学生諸君に伝わればと念じています。

最後に、在職中は多くの教職員・事務員の皆様にお世話になりました。心から深く感謝申し上げます。工学研究科の益々の発展を祈りつつ随想文とさせて頂きます。

(名誉教授 元原子核工学専攻)