深海に眠る自然の叡智を読み解く

出口 茂

出口様写真11985年、私は工学部高分子化学科に入学した。受験からの開放感にバブル景気に突き進もうとしていた浮き足立った世の中の雰囲気も加わって、2回生までは講義には全く出席せず連日ただひたすら遊んだ。とにかく遊んだ。私がキャンパスに通うようになったのは、遊び疲れて逆に学ぶことへの意欲が俄然出てきた3回生からである。そのときに受けた講義の中で、東村教授の有機化学は特に印象に残っている。化学反応の「メカニズム」を明快に説明された東村教授の講義は、「化学は暗記物」という私のそれまでの思い込みを覆すもので、非常に新鮮であったと同時に、化学に対する興味を大いにかき立てられた。
 4回生になると、着任されたばかりの砂本順三教授の研究室に配属された。砂本研では、当時はまだ珍しかったドラッグデリバリーなどの「医用分野での応用」を意識した研究が主流であった。そのため高分子材料に関する研究はもちろんのこと、培養細胞やマウスを使った高分子化学らしくない研究まで、多岐にわたる研究が行われていた。そのような環境で過ごす中で学んだ、生物を化学の視点で捉えるものの見方や分野が異なる専門家とのコニュニケーション技術などは、その後の研究者キャリアでも大いに役立っている。

1996年に学位を取得したのち、スウェーデン、ルント大学での2年間のポスドク生活を経て、1999年に海洋研究開発機構(当時は海洋科学技術センター)に入所した。

2013年1月に放映されたNHK スペシャル「世界初撮影!深海の超巨大イカ」が16.8%の高視聴率を記録して以来、ちょっとした深海ブームである。その恩恵を受けて海洋研究開発機構も少しは認知度が高まったように感じられる。それでも自己紹介をするときには「しんかい6500を運用している機関です」と言った方が通りが良い。つまり「しんかい6500」というハードは広く知られているが、ソフト面、すなわち「しんかい6500」を使って明らかとなった深海の姿は、極一部の専門家を除いてはあまり知られていないのが現実である。これは大変残念な話だ。

「人が作り出したものは、すべて自然という名の偉大な本に書かれている」とは、サグラダ・ファミリアの設計で名高いガウディの言葉である。人の手がまだまだ及んでいない深海には、いまだ開かれてもいないページが多数残されており、そこには技術革新に向けたヒントが色々と書かれているに違いない。これらのページを開いていくことが海洋研究開発機構のミッションであるが、そこに書かれたヒントを読み解くには、分野の異なる多様な研究者コミュニティーの助けが是非とも必要である。昨年10月、京都大学と海洋研究開発機構は包括連携協定を締結した。今後は「深海」のページに書かれているであろうヒントを、京都大学の先生方と共に読み解く機会が増えることを願っている。

(国立研究開発法人海洋研究開発機構・海洋生命理工学研究開発センター長)

出口様写真2
有人潜水調査船「しんかい6500」