京都大学を離れるにあたって

船越 満明

船越先生写真京都大学には、学生時代の6 年および教員(教官)としての22 年の間、大変お世話になった。この随想では、学生時代の思い出のほか、教員として所属していた工学部や情報学科数理工学コースでの教育に関係したいろいろなことについて、思いつくまま書いていきたい。

私は工学部数理工学科に入学したあと修士課程(数理工学専攻)に進んだが、その頃の数理工学科は自由な雰囲気で、上田顕先生の研究室(応用力学講座)に配属された後もかなり自由に勉強できた。たとえば同じ研究室あるいは他の研究室の同期の学生と一緒に自主的なゼミ(テキストはたとえばクーラン・ヒルベルトの「数理物理学の方法」)をいくつか行っていた。知識も十分でない学生だけのゼミなので進み方は遅かったが、お互いに自分の解釈を述べあって大変勉強になった。卒業論文、修士論文のテーマは2 次元系の固液相転移の分子動力学による研究であった。当時はパソコンはまだ存在せず、主な大学の計算機センターに(当時としては)高性能の計算機が設置されており、京大でも大型計算機センターの計算機をみんなで使うという形であった。各ユーザーがプログラムを打ち込んだパンチカードを計算機センターのカードリーダーに読み込ませてバッチジョブを依頼すると、計算機が順番に処理していきラインプリンタ出力結果が所定の棚に置かれるので、それを見て初めて計算がうまく行ったかどうかがわかる。計算時間の長いジョブだと結果が返ってくるのに1 週間かかり、もしプログラムミスがあると1 週間の時間(とかなり高額の計算機使用料)が無駄になる。したがって、このようなジョブを依頼する際には絶対ミスをしないように大変気をつかった。これらの学生時代の経験は後で研究者として活動する上で大変役に立った。私が学部生時代に聞いた講義の中で印象に残っているのは「非線形力学」であり、その内容は主に力学系の平衡点の分類と各々の平衡点のまわりでの解の挙動の話であったと思うが、興味をもって勉強した。修士課程修了後は九州大学の助手として研究者の道を歩み始め流体力学の研究を行ったが、その際に流体の振る舞いを力学系的な観点から調べることに興味を持つようになったのも、この講義の影響であるように思える。

平成7 年に九州大学から京都大学へ移り、数理工学専攻の工業力学講座を任されることになった。工業力学講座は、もともと工学部の共通講座の1 つであり、私の学生時代には数理工学科の学生の研究室配属も受け入れていたが配属学生は少なかった。しかし、私が京大へ移ったときには、工業力学講座には修士課程の学生が7 名も在籍しており大変驚いた。また、私が京大に移る少し前に工学部の学科の統合が行われ、数理工学科は情報工学科と統合し情報学科となっていた。ただし、情報学科は数理工学コースと計算機科学コースからなっており、コース配属後の学生に対しては、それぞれのコースでほぼ独立に教育が行われていた。この状況は現在も概ね同じである。数理工学コースは、私の京大着任時には、以前は工学部共通講座であった講座を含めて10 研究室から構成されていたと思うが、その後3つ増えて現在は13 研究室からなっている。このように、数理コース担当の研究室は以前に比べるとかなり増えており、これに伴って教育体制も充実し大変喜ばしいことである。しかし、最近では定員削減などの影響によって思うように欠員が埋められず、また人事の主導権が大学院に移ったことによって学部教育の体制に問題が生じる恐れもあり、なかなか難しいところもある。

私の学生時代の数理工学科では、1 年間にわたって流体力学と弾性体力学の講義が変形体力学という科目名で行われていたが、私が京大に教員として戻ってきたときには、この科目が連続体力学と名称変更され、半年間の講義に短縮されていた。数理工学コースでの私の主な担当講義科目はこの連続体力学であり、定年を迎えるまでずっと担当してきた。物理工学科などと違って、数理工学コースでの連続体力学は流体力学や弾性体力学そのものを教えるだけでなく、他の科目ではあまり教えない連続体モデルの扱い方の具体例を教えるという側面もあったので、講義内容の説明のしかたがなかなか難しかった。数理工学コースの卒業生は多様な職種に就くので、流体力学や弾性体力学を直接使う仕事についた学生は少ないと思われるが、連続体の考え方自体は多くの卒業生にとって多少は役立ったのではないかと思っている。

学校教育法等の制度変更に伴って准教授(助教授)、講師、助教(助手)の位置づけが変わり、教育組織の裁量で助教の講義担当なども可能となった。数理工学コースではもともと各教員の研究上の独立性が強く、助教(助手)も一人前の教員として扱う傾向が強かったので、ある程度教育経験の長い助教が講義科目の担当をすることについてとくに抵抗感はなかった。しかし、工学部全体としては、従来からの助手の位置付けにこだわり、助教の講義担当を一律に強く制限しようとする傾向があるのは、個人的には大変不満である。助教が公募に応募する際も、最近ではある程度講義担当の経験がある方が有利であることも多く、とくに諸般の事情で年齢の比較的高い助教の場合は一層重要であると思われる。

工学研究科所属の先生には、流体力学関係の方を始めとして、いろいろな方にお世話になった。とくに、機械系の先生方とは、COE プログラムを一緒にさせていただくなど、大変お世話になり、ここに深く感謝するしだいである。しかし、工学研究科(とくに物理工学科関係の専攻)の桂移転後は、研究室主催セミナーへの出席などのいろいろな意味での交流が希薄になった感は否めず、残念であった。桂インテックセンター流体理工学研究部門のメンバーにも加えていただいたが、私の研究室が吉田にあることもあり、研究発表会で1 度講演をした程度の寄与しかできず、大変申し訳なく思っている。

いま、今年度の卒論の指導も終了してこの随想を書いているが、思えば何年にもわたっていろいろな学生の卒論の指導をしてきたなあ、これで卒論の指導も最後だなあ、という感慨がある。思い返すと、私が若い頃は高いレベルの卒論を期待しすぎて学生に厳しく指導し、反発を買ったこともあったが、最近は逆に低いレベルで妥協しすぎかなと思う場合もある。学生のしたい研究を自由にさせたいという気持がある一方で、提出期限のある卒論がうまくまとまらないのも困るので、学生の能力に応じて強く指導することもあった。学生の気質や興味の持ち方が時代とともに変わっていくこともあって、経験を積んでもなかなかうまく指導できなかったのは残念に思っている。

卒論への取り組みや講義での反応を見ていると、京都大学の学生はやはり優秀で、普段から強い意欲をもって研究・学修に励む学生が多いだけでなく、普段はぼーっとしているように見える学生でも、頑張るべきときが来ると目が覚めたように活躍する学生もたくさん見てきた。これからも、京大の学生には「自由の学風」の良い点を生かして、たくましく頑張ってほしいと願っている。ただ最近は、自分の精神状態をうまくコントロールできない学生も増えてきているように思われ、その点については心配している。

私は定年後には私立大学で非常勤講師を務める予定であり、新しい環境であと少しだけ頑張ってみようと考えている。同時に、もう少しで論文になるというところで止まっていた京大時代(および九大時代)の研究、および執筆を依頼されたままになっている本がいくつかあるので、自宅のパソコンで計算を再開し執筆を行っていきたいと思っている。最近の大学はいろいろと目立つ活動をすることを余儀なくされており、とくに今の若手教員は大変だと思うが、京都大学の良さを生かして、大学の根幹である研究と教育に是非頑張っていただきたいと思っている次第である。

(名誉教授 元情報学研究科)