学生時代の回想と現在の様子について

高垣 直尚

高垣先生写真昨年度、16年間の京大生活に終止符をうち、心機一転姫路市・兵庫県立大学(旧・姫工大)へと異動しました。京大では、大学生・院生として9年間、その後、助教として7年間過ごしました。今回は、京都で過ごした学生時代のことも思い出しながら、現在の兵庫県立大学での近況をご紹介できればと思います。

学部生時代は、多くの大学生の御多分に漏れず、初めての大学生生活・一人暮らしを満喫しました。吉田北部キャンパス理学部植物園が目と鼻の先という好立地に借りた下宿は、大家さん曰く『昔、檸檬の梶井基次郎が住んでいた』という下宿で、大学都市らしい文化的な香りに包まれた生活であったように思います。僕は名古屋出身ですので、関西出身の友人が提案してくれて、友人達と下宿に集まって12時間耐久たこ焼きパーティーをするなど、社会人生活を送る今からは考えられないような自由な日々でした。

部活・サークルは工学部と関係のないものをと思い、自転車で全国を旅行するサークルと国際問題や社会問題を考えるサークルの2つに入りました。自転車サークルは夏の遠征中に怪我をした折に先輩が言った信じられない一言、「怪我が腐るまで数日あるから一緒に走りましょう」を聞き、自分には合わないサークルだと思ってやめてしまいました。もう一つのサークルでは、ボランティアや古本市などを行い、勉学だけではない大学の重要な一面を経験出来ました。

大学の授業では、一番得意だと思っていた数学を一番難しく感じました。授業後に友達と勉強会を開き、友人に教えてもらいながら、京大生はさすがに頭がいいなと感じたのを覚えています。

4年生の研究室配属では、流体工学と振動工学のどちらにするかで迷いました。が、研究室見学で見た大きな実験水槽と、『機械工学だけど、機械工学だけじゃない』という研究室のうたい文句にひかれて、流体工学研究室を選びました。高校時代から基礎と応用の間での迷いがありました。基礎と応用の間を揺れながら、現在の専門につながる流体工学を選んだのだということを改めて再確認しました。

研究室時代には、気液界面、特に海水面、を通しての運動量・熱・物質輸送現象を大きなテーマとして取り組み,各種輸送量に及ぼす液滴衝突や高シアの影響を主に取り扱いました。私は主に室内実験に取り組みましたが、実験計測装置の使い方・解析プログラム作成・物理現象の理解・研究スケジューリング・論文作成ノウハウ・新規の論文を読んで自分の研究への組み込む、など研究を進める上で必要な点は多岐にわたり、もちろん実験中はしんどかったですが、全般的には非常に楽しみながら研究に打ち込めました。2006年度の博士課程に上がるころには、桂キャンパスに新たな巨大な実験水槽が完成していましたので、吉田と桂の間を行き来する日々でした。当時は、そのような学生のために深夜乗り合いタクシーがキャンパス間を走っていたので、実験が遅くまでかかったときに利用していました。

2009年度には、研究室内で助教に採用されました。この時期には、数多くの院生や学部生と一緒に研究を行い、研究室内の仕事をこなしながらも多くの研究成果を出せました。また、研究室担任の小森悟教授が工学部長・研究科長をされていた時期は、先生は大変お忙しく研究室に顔を出される機会が必然的に少なくなり、私の研究室での学生指導を含む仕事量も必然的に増えましたが、一方で、研究には自立した新たな発想を取り入れる機会にもなりました。

そして、担任教授の定年退職に合わせて愛着のある京都を離れて昨年度より姫路市・兵庫県立大学機械工学専攻に異動することになりました。新天地のキャンパス・研究室は、JR姫路駅および白鷺城として有名な姫路城からバスで30分ほど北上した書写山の麓にあります。桂キャンパスと同じぐらい山の中です。こちらの大学では、京大時分と異なり大講座制なので、助教ながらも5名の学生と一緒に1つの研究室を構成しています。一方で、実験・演習などの教育にかけないといけない時間は、京大の時の2.5倍程度、学外業務・学内業務の量は5倍程度に増えました。県立大学の方が教員の人数が相対的に少ないためです。また、県立大学は地元企業との産学連携や大学規模の大型プロジェクトに力を入れているようで、私もこれまでの大気海洋流れを扱う大きなスケールの環境流体工学とはまったく異なる、医工学という私にとって未知の分野に取り組ませていただいています。

最後になりましたが、小森先生をはじめ京都大学および研究室の皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます。

(機械理工学専攻 環境熱流体工学分野 2009 年3 月博士後期課程修了)