フットボールの動力学

渡邊 英一

昭和45年1月1日に京都大学に助手として採用され、実に35年の歳月が経過した。歳月人を待たず。特にこの30年の年月の何と早いことか。研究・教育についてはまだまだ至らないことが多かったが精一杯喜びを感じることができた。私自身は桂の移転には間に合わなかったが、地球系の移転は来年の夏に予定されている。新天地で大きく飛躍していただきたいものである。さて、ここでは一寸違った活動について述べてみたい。どういう訳か、平成13年4月より、京都大学アメリカンフットボール部長を仰せつかった。これはひとえに先代の部長の現京都大学名誉教授の今本博健先生の強力なご指名に依るものである。京都大学に対する母校愛は人一倍持っている積もりだが、アメリカンフットボールに対して何の知識も持たないズブの素人の私にこんな晴れがましい役が回ってくるとは! 思えばもう4年が過ぎたのである。残念ながら私が所属した4年間は優勝には縁が無かったが、心から幸せであったと思う。これまで、水野弥一監督の下、ライスボール4回優勝、学生日本一6回、関西フットボール連盟では実に10回も優勝したチームである。総勢100人弱の選手は至って真面目な学生である。マネージャーの数も10人以上、コーチ、ドクター、トレーナーも多士済済である。黙々と練習に励む選手。黙々と選手の世話をするマネージャーには頭が下がる思いである。また、昨今の普通の京大生とは全く異なり、極めて礼儀正しい。

私の専門は構造力学である。橋とか、浮体構造やビルディングなどの構造物に働く力や変形の研究教育を主として行っている。また、旧教養部、現総合人間学部では物理学基礎論で力学を教えた。さて、4年に一回のペースのオリンピックは昨年はギリシャのアテネで開催された。同様に国際的な理論・応用力学のオリンピックと言える国際理論応用力学連合(IUTAM)の国際会議(ICTAM)も4年に一度のペースで行われている。同じく、昨年8月ポーランドの首都ワルシャワでICTAM 2004が行われた。たまたま9年前京都でアジアで最初の当会議ICTAM 1996があり、巽友正元京都工芸繊維大学長や中川博次元工学研究科長先生方にうまく言い含められて事務局長を仰せつかった、その4年後の2000年に国際会議ICTAM 2000がシカゴで開かれた。そこで参加の記念に貰ったのが掌に収まる大きさの真っ赤なゴム状のリンゴである。それは「ストレス解消のリンゴ」と呼ばれ、使用説明として面白いことが書いてある。まず、アルキメデスさん、どうぞ浮かせてみなさい(float)。ガリレオさんにはどうぞ落下させてみなさい(drop)。ニュートンさんにはどうぞ放り投げなさい(throw)。そしてその他の人にはどうぞ握り潰しなさい(squeeze)と説明している。

フットボールの選手はボールをちゃんとコントロールできなければ勝てない。ただ、水球とは異なり、土砂降り時を除いて水中で試合をすることは滅多にないからアルキメデスの原理を深く学習する必要はない。たとえヌルヌルの、恰もヌタの泥水の中で動き回るブタのごとく激しく争うことがあっても。扱うボールは単なる質点のボールではなく、大きさと楕円体の広がりと慣性力を持っている。物理学基礎論で言う、いわゆる慣性モーメント、慣性極モーメントをも持っているのである。このため、空間では船体と同様に6自由度の運動をする。前後動(Surging)、上下動(Heaving)、左右動(Sway)、偏揺れ(Yawing)、ローリング(Rolling)、ピッチング(Pitching)である。船体は波により周期的に動揺するがボールは叩かれない限り、空気抵抗で減速されるものの回転・併進運動を続けようとする。いわゆる運動量保存則とか角運動量保存則の説明するところである。

ボールのコントロールが一番重要であるわけだ。オフェンスは一口で言えばニュートン力学を身体で習得することを信条とする。例えばセンターはボールをQBにスナップする。QBはこれを受け、RB、ラニングバックにトスしたり、WR、ワイドレシーバーにパスしたり、あるいは自分自身でキャリーする。QBの投げたボールの飛行をみるとライフルの弾丸のようにスピンがかかっていて生き物のようにドライブする。明治の大砲の砲弾のように何処に飛んでゆくか判らないフラフラしたものではない。QBからのパスを私のような素人が間違っても受けようとするものなら手がはじき飛ばされる程の圧力を受ける。確かに角運動量保存則の重みが判る気がする。キッカー、パンターは足でボールを空中に飛翔させる。よく見ると船体のように複雑な回転成分を持ちながら空中を舞っている.ディフェンスはそれでは何か。ガリレオではないが、あらゆる合法的手段により相手にボールをファンブルさせるか、ひったくるか、叩き落とすのである。人間とボールからなる多質点系の運動量を急減させるか、沈黙させ、あるいは反対方向へ運動させたりしてボールを奪うことが重要である。なかでも、LB、ラインバッカ-には図体が大きく、かつ敏捷な選手が多いが、敵に体当たりするのが信条で、そうすると相手のオフェンスの俊足RB、ラニングバックの35Km/hもの走行速度が瞬間的に変化する。この運動エネルギーの変化分が何に変換されるかは重要であり、反対方向に大きな速度で弾き飛ばされ、剛体運動に変換されるだけなら幸せで、もし次の瞬間にゼロとなると相手はたまったものではない。身体の内部に大きなダメージが生じ、担架が必要となる。ところでギャングスターズの選手に聞いてみるとタックルされれば痛いが少々殴られたぐらいでは痛くもかゆくも無いとのこと。こんな奴らとまかり間違って喧嘩でもしたら大変である。歴代の京都大学ギャングスターズはタックルが手荒く極めて痛いので恐れられていて、できたら戦いたくなかったそうである。

一方でボールは局所的にコントロールするだけではどうしようもなく、グラウンドの全空間を視野に入れたコントロール、すなわち、彼我のボールの運動に関する情勢判断が要求される。このためには正確な頭脳による迅速な判断が必要となる。選手体内の神経信号の高速伝達も重要な要素である。「バカの壁」の著者で医師の養老孟司氏はこの神経信号の進む速度はせいぜい音速に留まるという。私は電気信号ぐらい早いと思っていた。いずれにせよ、情勢判断のできる時間は極めて瞬間的である。ここで確率などの素養も必要になるのではないか。昔は麻雀が流行ったが咄嗟の判断力養成に寄与した面も否めない。こう考えるとアメリカンフットボールは極めて広範で、科学的な素養を必要とするスポーツである。京都大学がなぜこれまでカレッジフットボールで活躍できたのかが分る。

さて、今年のギャングスターズの選手諸君、君たちの扱うボールは元来気まぐれな難しい動きをする。益々の精進をして、大所・高所からもこのボールをコントロールできるよう願って止まない.是非日本一のボールコントローラーとして最高の腕前を披露して貰いたいものである。監督・コーチ、チームドクターの先生、メディカルアドバイザーの方々、選手諸君、マネージャー、トレーナーの方々、そして常に暖かい応援をして戴いている大学関係者、後援会、OB会、GGC、そして父母会の会員の皆様をはじめ全国のファンの方々、今年もどうか引き続いての熱烈なご支援をお待ちしたい。今年度からは松本勝先生が京都大学アメリカンフットボール部長に就任されている。来る2007年にはギャングスターズは米国屈指の名門ハーバード大学に招待を受け、現地で親善試合をすることが決まっている。是非これにとどまらず、教育・学問も含めて交流を深めて戴きたいと期待している。総長尾池和夫先生、工学研究科長荒木光彦先生、部長松本勝先生どうかよろしくお願いします。

(名誉教授 元社会基盤工学専攻)