No.47 (2007.4) / 巻頭言 / 『京都大学工学研究科教育モデル』をめざして

『京都大学工学研究科教育モデル』をめざして

評議員 森澤 眞輔

森澤 眞輔わが国の高等教育は大きな転換の途上にあります。京都大学は、大学院重点化の後ほぼ10 年を経て、平成16 年に国立大学法人に移行しました。国立大学法人京都大学は設立と同時に「中期目標・中期計画」を策定し、その教育の基本目標を『(1)多様かつ調和のとれた教育体系のもと、自学自習を促し、卓越した知の継承と創造的精神の涵養に努める。および(2)豊かな教養と人間性を備えるとともに責任を重んじ、地域社会の調和ある共存に貢献し得る、優れた研究能力や高度の専門知識をもつ人材を育成する。』と定めています。

京都大学が掲げた教育目標を受けて、工学研究科・工学部は、自らの教育目標を『学問の本質は真理の探求である。その中にあって、工学は人類の生活に直接・間接に関与する学術分野を担うものであり、分野の性格上、地球社会の永続的な発展と文化の創造に対して大きな責任を負っている。京都大学工学研究科・工学部は、上の認識のもとで、基礎研究を重視して自然環境と調和のとれた科学技術の発展を図るとともに、高度の専門能力と高い倫理性、ならびに豊かな教養と個性を兼ね備えた人材を育成する。』と宣言しています。

これまで、大学が担う教育はいかにあるべきか、教育と研究の関係はいかにあるべきか、良い講義の要件は何か等の問いは、日々の教育・研究の場で常に考えられてきました。しかし、学科や専攻、学部や研究科が組織としてその教育目標を文章に記して公表する等ということは意識にありませんでした。それは、「おのずとそこにある」ものであり、長い間、教員にとっても学生にとっても「言うまでもない」、また「聞くまでもない」自明のことでした。平成19 年4 月、大学院設置基準の改正を受けて、京都大学はその基本法とも言うべき「通則」を改正し、研究科や専攻はその教育目的を学則等に定めることを規定しました。当初は『法人化によって変わったことといえば、教授等の呼称が「教官」ではなく「教員」になったことのみ』のようなジョークも聞かれましたが、形式的な変革から数年をへて、高等教育の変革は教育研究の実質的なレベルにまで及んできました。教員が担当する職務の内容が再定義され、准教授や助教等の名称が使われるようになったのもその現れでしょう。

この間、工学研究科等の教育担当部局からの概算要求や競争的資金への応募にしても、教育改革を伴うことが採択の主要な条件になる等、競争的資金獲得の面からも、大学院教育の実質化は工学研究科にとって本務として取り組むべき課題になっています。京都大学の法人化と同時に、教育研究の現場に配当される運営交付金(旧、校費)は劇的に減少し、桂キャンパスへの移転の最中にあった我々に大きなショックをもたらしました。平成18 年度の実績では、運営費交付金等の工学研究科への配当は人件費を除きほぼ23 億円のレベルにあり、これに科学研究費補助金、受託研究や共同研究他の外部資金約55 億円を加えて工学研究科の教育研究が維持されています。工学研究科の研究を支える経費は実質的にほぼ全額が外部資金により賄われています。博士学位論文研究、修士学位論文研究はもとより、学部教育の集大成として極めて重要な位置を占めている学部特別(卒論)研究でさえも運営交付金のみでは支えがたい状況にあります。 運営交付金に占める教育経費の割合「教育エンゲル係数」はどれほどになるのでしょう。

科学技術立国を唱えるわが国の科学技術予算は、統計数値では増加していますが、その増加分は、次世代を担う研究者・高等技術者の育成を基礎的に支える部分には充当されていません。教育への国家投資額を欧米先進国並みに増加させる必要が主張される一方で、運営交付金の傾斜配分が主張される等、経済的貧窮による教育環境の劣化防止を訴える教育現場の声は届くべき所に届いてはいないようです。

大学院の教育を実質的に変革する兆しは、中央教育審議会の答申「新時代の大学院教育」(平成17 年9 月)を受けて策定された「大学院教育振興施策要項」(平成18 年3 月)、続いて改正された「大学院設置基準」(平成18 年3 月)でした。大学院は「教育機関としての本質を踏まえ、体系的な教育プログラムを編成・実践し、大学院教育の実質化(教育の課程の組織的展開の強化)を図ること」を求められました。博士課程充足率に問題を抱える工学研究科では、平成17 年度の教育制度委員会において大学院教育の実質化をどのように実現するかを検討し、その成果を「博士課程充足率向上に向けて―博士課程充実WG 報告(通称:土屋レポート)―」として公表(平成18 年4 月)しています。このレポート内容の具体化は、前号の「工学広報」において橘評議員が紹介された検討に引き継がれました。

工学研究科では、修士課程と博士課程とからなるこれまでの大学院の教育課程を維持した上で、両課程を連携する教育プログラムを創設し、この教育プログラムに2 つの教育コース(融合工学コースと高度工学コース)を創設することにしました。融合工学コースは既存専攻の専攻学術分野を横断的に融合して創設し、工学における新融合分野の教育を担い、高度工学コースは工学の基盤学術分野の教育を担い、新たな工学分野の萌芽を育みます。この教育プログラムは、新たに設置される高等教育院と共に既存の系専攻により担われます。融合工学コースで展開された新教育分野は、やがて工学の新しい基礎分野として新しい専攻に受け継がれます。このような教育研究の自律的発展のしくみは、どの学問分野にも内在的に備わっているものです。工学研究科に創設する2 つのコースは、工学分野の教育の自律的発展を相互に促すしくみを、目に見える形に整えたものであるといえます。この新しい教育のシステムは、『京都大学工学研究科教育モデル』と呼ぶべき機能を有しています。

工学研究科は、その拠点を桂キャンパスに移転することを定めた時に、桂インテックセンター高等研究院を創設することにより、研究における自律的発展のしくみを創りました。高等研究院が工学の新領域における融合研究を、工学の基礎分野における基盤研究を既存の系専攻が担っています。高等研究院で開拓された融合新領域はやがて新しい専攻として展開され、既存専攻における基盤研究が新たな研究の萌芽を育みます。融合工学コースの運営母体として高等教育院が設置されますが、高等教育院が機能することにより、教育と研究の自律的展開を支えるしくみが工学研究科に整います。

京都大学工学研究科教育モデル

新しい教育プログラムは、平成20 年4 月から開始されます。修士課程入学と同時に博士学位をめざす者には、修士課程と博士課程を連携する通算在籍期間が5 年のプログラム(「5 年コース」)が提供されます。修士課程入学後の年次進行を図に示します。制度としての教育課程は、修士課程と博士課程に分かれていますから、履修生は修士課程修了時に修士の学位を授与されます。複数指導教員制、進級審査を経て在籍期間を短縮する制度の運用、豊富な開講科目から履修者の目的に応じたテーラーメイド・カリキュラムを構成する柔軟な教育指導の導入などが検討されています。

新教育プログラムでは、新たに工学研究科共通科目が開設されます。「現代科学技術の巨人セミナー:知のひらめき」、「科学技術国際リーダーシップ論」、「実践的科学英語演習:留学ノススメ」、「研究型インターンシップ」等の科目です。「現代科学技術の巨人セミナー:知のひらめき(通称、長尾塾)」では、前総長の長尾真先生を塾頭とし、各界のトップリーダーをお招きします。先人たちの活動の軌跡を辿りながら、大きな構想力や問題解決能力を生み出す「知のひらめき」や「知の湧源」を共感する機会を得ます。次世代が担うべき使命を自覚し、研究や学修を進めるための基本を体得することをめざす科目です。「研究型インターンシップ」では、専攻分野の特色を活かし、連携企業や政府機関、国際機関等で長期にわたり研究インターンシップを実施します。これらの科目は、準備が整い次第、他の科目に先行して、平成19 年度から開講されています。

修士課程を修了した者、 内外の大学の修士課程を修了した社会人や留学生は、 現行の博士課程に相当する「3 年コース」のプログラムを履修します。

新教育プログラムの融合工学コースや高度工学コースで開講される科目群やそれらの履修モデル、再編が予想される修士課程の教育プログラムの詳細は、真に魅力的な内容になるよう鋭意検討の途上にあります。

研究の課題が数年の期間を経てダイナミックに転換するのに対して、教育の改革とその実践、効果の確認にはより長い時間が必要です。個々の関連分野における工学研究科・工学部構成員、講座・分野の努力はもとより、学科・専攻、学部・研究科の組織としての一層の努力が求められています。京都大学工学研究科教育モデルが高等教育の新しいモデルとして定着し、次世代を担う研究者・高等技術者を戦略的に育成するためにその機能を発揮できるよう、ご指導・ご協力をお願い申し上げます。

(評議員・工学研究科副研究科長)