教育と研究
はじめに
広報委員会から巻頭言の執筆を依頼され、何をテーマに書くべきか思い巡らせておりましたが、私がここ数年携わってきました工学部・工学研究科の教育について書かせていただくのがよいのではないかと判断しました。
工学部の教育システム
4年前に当時の工学研究科長・工学部長の荒木光彦先生から全学共通教育システム委員会委員への就任を依頼され、その後、主として工学部の教育について考える機会を与えられました。私自身、京大工学部で教育を受けておりましたが、自分の学生時代からは教育システムも学生の気質も大きく変化していましたので、現状認識から始めなければならない状況でした。
私の学生時代は学生紛争も一段落して、正常な授業が行われておりましたが、教官による授業は現在とは大きく異なるものでした。出席が取られるような講義は、語学や演習科目などを除いてほぼ皆無だったと思います。現在では、外部評価や教育システムの評価による要請から出席を取る授業が増えていると思いますが、これによって出席する学生が増えても決して学生がまじめになったわけではないと思われます。しかしながら、あまり興味を持たなかった授業に出てみて、先生の話に興味が湧き、それが原因でその途に進む学生がいるのも事実であろうと思われます。従って、このような観点からは現在のシステムはそれなりに意味があると思われます。また、基礎教育とともに教養教育は大変重要であり、全学共通科目のA群などの科目をもっと履修できるようなシステムづくりも必要ではないかと考えています。現在は、16単位しか卒業単位として認められないため、それを超えて履修しようとする意欲のある学生は多くないように思います。私自身は、自然科学系の科目以外に人文科学や社会科学系の科目などにも関心があり、友人よりもかなり多くの科目を履修したように記憶しています。そこで培ったものはその後の研究者人生に大変役立っていると思っています。私の知り合いの海外の研究者には幅広い教養を備えた方が少なくなく、それが研究における独創性とも大きく関係しているように思われます。
全学共通科目について議論を行う全学共通教育システム委員会やその他の科目部会などに出席しますと、他の部局の教育がどのように行われているかがよくわかります。部局により教育方針などが異なりますので一概にはいえませんが、総合的には工学部は優等生だと感じています。私は30年以上前の学生時代の履修要覧を未だに持っておりますが、教養教育のシステムは大きく変容したのに対して、工学部専門教育は当時から相当高いレベルのものが実施されていたように思います。逆に、工業数学や工業力学などの工学部共通教育は以前の方が充実しており、私も学部時代に数学や力学の基礎をしっかり叩き込まれた覚えがあります。現在ではこのようなシステムが少し弱体化しており、何とかしなければならないと考えています。荒木光彦先生の立案で始まりました「自然現象と数学」は高校と大学を繋ぐことに主眼が置かれており、京大工学部での専門基礎としての基礎学力の養成に直接大きく寄与できるものではないと考えています。
学科によってはポートフォリオの提出やチューター制を採用しておられ、丁寧な指導がなされていると思われますが、吉田と桂の分離により、以前よりも3回生以下の学生への指導が十分でない場合も見られるように聞いております。また、自分でもそのように感じております。近い将来物理系の移転が行われますと、完全に両キャンパスの分離がなされますので、工学部全体としてこれらの問題に対応する必要があると感じています。学科ごとのきめ細かな対応は勿論ですが、工学部全体として学生ケアのためのシステム作りが重要と思います。例えば、工学部兼担の部局から教員定員を持ち寄り、学部教育(特に相談室などでのケア)を専門に担当していただく教員のポストを確保することなども考えてはどうかと思います。
教育と研究は両立するか
私の友人にカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の教授がおります。私より数歳年下の彼はスイス国籍で、私がカリフォルニア大学バークレー校(UCB)に客員研究員で滞在していた頃に、当時工学部長をしていた私のホストプロフェッサーのもとでPhDの学生をしていました。その後、100倍の競争率を突破してテキサス州のライス大学に着任し、UCLAを経てUCSDへ移りました。彼の自慢は研究のことは勿論ですが、それにもましてUCSDで大学(学生)が選ぶ優秀教育者賞を受賞したことです。私が3年前に京都大学後援会の短期プログラムで2週間程滞在していた際にその受賞の知らせがあったようで、大変喜んでいました。賞金が与えられるとともにサラリーが上がるシステムにもなっているようでした。カリフォルニア大学のシステムでは、教授になってからもいくつかの昇任レベルがありますので、学内で教育や研究に精を出して昇任を目指す教授と、民間会社などを経営して学外でも活躍する教授がおられるようです。さすがに彼の授業は学部や学科内で評判らしく、最近留学した私の研究室の後輩からもそのうわさを聞きました。UCSDではFaculty Clubに、ノーベル賞受賞者などとともに歴代の受賞者の写真が飾られていたように記憶しています。最近の認証評価や法人評価でもこのようなシステムの存在が望まれていますが、確かな評価に裏打ちされたシステム作りが重要であると思われます。すなわち、米国などでは、研究や教育に対する高いインセンティブの下に受講している学生の比率が日本よりも高いため、学生による評価も一定の意味合いを持っていると思われますが、このことが日本でも同様に成立するかという問題を議論する際には十分な注意が必要であると考えています。点数評価によるうわべだけのFD活動は、単なる学生のご機嫌取りに陥る危険性を孕んでいることを肝に銘じる必要があると思われます。
私は、どこかの記事に「よい研究者はよい教育者だと思う」と書いたことがあります。これはいつも真とは限りませんが、その意味は、「深くテーマを追究した体験は、教えるときにも多角的な視点を与える」というものです。学生には、いろいろな考え方やレベルの学生がいると思われます。教員が単一的な視点だけから物事を教えることはそれに共感を覚える学生には有効かもしれませんが、異なる感性をもつ学生や異なる習熟度の学生には必ずしも有効ではないように思われます。教員が一つの事柄について異なる種々の観点から解説を行うことは極めて有効であると思われます。また、教員は教育の過程で学生から多くのものを学び、得るところが多いと思います。私も、授業だけでなく卒業研究や大学院での指導を通じて学生から多くを学びました。学生が理解しやすいように授業を工夫することは、その分野における自分の理解の整理にもなり、研究論文を執筆する上での助けにもなるように思われます。
UCBで私は、構造信頼性の授業を聴講しておりましたが、担当していた構造信頼性の世界的権威である教授は、その授業を受講している修士課程の学生に授業中にプロジェクトと称するテーマを与え、それを修士論文(あるいはその一部)として提出させていたように記憶しています。講義のあるテーマのところで、それに関連する自身の最近の研究論文を配布し、その先の方向性を丁寧に指導していたように記憶しています。もちろん、大学のシステムとしてそのような柔軟なシステムがなければ実現できない話ですが、学生は単に単位をとることが目的ではなく、そこで行ったプロジェクト研究が国際専門誌で発表できるようなレベルになり得るという大きなインセンティブを与えられていたように思われます。これは稀なケースかもしれませんが、それほど授業内容が世界最先端のところまで体系的に組み立てられており、授業が活性化されていたのだと思われます。教育と研究が巧みに計画された例ではないかと思われます。
以前、ハーバード大学へ留学していた先輩から、ある分野の世界的な権威がご自身の研究分野や研究テーマを少し変える際に、同僚の教授が担当している授業を聴講することがあると聞き、大変興味を持ったことがあります。研究に対する純粋な姿勢に少し感動を覚えたことを思い出します。日本の大学では、システム上の問題などからおそらく実現できないのではないかと思われます。しかしこのようなシステムは、大学の教育・研究をさらに活性化する一つの起爆剤となるかもしれません。
教育・研究体制の昔と今
平成19年度から教育基本法が改正され、教授・准教授(講師)・助教が独立して研究を行うことが要請されるようになりました。自分自身のこれまでの経験からこの改正が本当に研究者の養成にとってベストな選択なのかについて疑問を抱くようになっています。少し前までは、助手の先生には教育負担がなかったため概して多くの時間的余裕があり、将来一人前の研究者として活躍するための基礎的な準備をすることができたように思います。もちろん、最近は評価などが多いため、そのための準備に費やされる時間が多いことも原因の一つと考えられますので、ポストの改正そのものに原因があるとはいえません。助手(以前のポストとしての)の時代に基礎的な研究や国際的な活動を行い、専門領域での多くの「引き出し」を作ることができた人は、将来大きく翔くことができるのではないかと感じています。
FD 活動としての教育シンポジウム
平成14年に京大工学部は、ロールプレーイングを用いたシンポジウムなどを初めとするFD活動により文部科学大臣賞を受賞しました。その後も毎年教育シンポジウムを他部局に先駆けて実施し、教育改善に努めてきています。私も、ロールプレーイングを用いたシンポジウムにプレーヤーとして参加した後、ほぼ毎年参加していますが、他の教員の体験談などは大変参考となります。そこで感じることは、ある程度の教育スキルを身につけた後は、教育の成果は教員のperformanceによるところが大きいということです。私は、主として構造力学などを教えていますが、いくらよい教材を作成しても最後はその教員がどのような方法で教えられるかという、その教員が持っているperformanceによるところが大きいということです。特に構造力学などでは、PowerpointやOHPはまったく役にたたず、教員が黒板で力の釣り合いや流れについてわかりやすく解説し、多くの演習を実施することが、学生にとっては最も理解を助けることになると思っています。特にあまり詳しく解説されている講義資料は、学生が考えようとする意欲を阻害するだけでなく、授業に出るインセンティブを奪ってしまう恐れがあることは、これまでにも多くの先生方が教育シンポジウムでお話されています。教育に対する高いインセンティブを有する学生は知識や概念だけを求めているのではなく、物事の考え方を求めているのだと思います。従って、ある程度教育シンポジウムを通じて教育スキルを身につけた教員は、後は自身の教育performanceを如何に高めるかに努めるのが有効ではないかと考えています。高等教育研究開発推進機構との共同で実施してきた工学部教育シンポジウムも平成20年度で1ラウンドを終了しました。今後どのようにFD活動を進めていくかについては、上記のような注意点に十分配慮しながら実施方法を検討していく必要があると思われます。
学科モデレーター
以前、工学部の教育制度委員会副委員長をされていました土屋和雄先生が、教育制度委員会の席で、学科ごとに学科全体を総合的に調整することを任務とするモデレーターが必要ではないかと言われたことがあります。私も同様の感をいだきました。教員は頻繁に異動等で変わりますので、全体を見通せる方がおられないと学科としての機能がうまく果たせないのではないかというご意見だったように思います。大きな学科では、このような運営は難しいかもしれませんが、少なくともコースごとにそのような役目の方(年齢的に中堅の方で退職までにある程度の年限をお持ちの方)を決めておくことは有効なように感じています。教育制度委員会の委員も2年任期で交代しますので、継続的な視野での管理は難しいように感じております。
終わりに
タイトルは教育と研究でしたが、どちらかというと教育に力点を置いた感があります。しかし、元来、教育と研究は分離できるものではなく、一体となって動くものだと感じています。
今後も工学部・工学研究科の教育・研究の推進・改善に少しでも尽力できればと考えております。
(工学研究科副研究科長)