桂事業場における法人化後の労働安全衛生

工学研究科附属環境安全衛生センター長 大嶌 幸一郎

平成16年4月から大学が独立行政法人化された。これに伴ってこれまでの人事院規則に代わって労働安全衛生法(安衛法)の適用を受けることとなった。所轄官庁が人事院から厚生労働省にかわったこともあるが、人事院規則と安衛法の大きな違いは前者には罰則規定がないのに対し後者には両罰規定が存在することである。労働基準監督署の指導の対象となり、大学に安全衛生面の不備がある場合には、たとえ労働災害をおこさなくても是正勧告および使用停止命令さらには罰則の適用もありうる状況となった。

事業者は安全衛生措置義務と民法上の安全衛生配慮義務を負っており、措置または配慮が足りなかったために万一災害が発生したときは、刑法上(過失致死傷罪)の罰とともに安衛法上の違反行為(安全衛生措置義務違反)、民法上の不法行為(安全衛生配慮義務違反)として、その責任を問われる。

この事業者とは、安衛法で「事業を行う者で、労働者を使用する者」と定義されている。大学では、ケースによっては各研究室を一つの事業所と解釈することもでき、その場合には教員が事業者となる。したがって教員個人が罰せられることもありうる。

安衛法に規定された事項について違反があった場合の罰則は、次のようなものである。重度の健康障害を生じる化学物質を製造、輸入、使用、提供した場合(3年以下の懲役または300万円以下の罰金刑)、機械等の製造許可を受けていない場合(1年以下の懲役または100万円以下の罰金刑)、危険防止、健康障害防止について規定されている事項を事業者が実施しなかった場合、作業環境測定を行わなかった場合(6ヶ月以下の懲役または50万円以下の罰金刑)、安全・衛生管理者を選任しなかった場合、雇い入れ時の安全衛生教育を行わなかった場合、記録の備え付け、保存義務のある事項について備え付け、保存していなかった場合(50万円以下の罰金刑)。

安衛法の第1条には「この法律は、労働基準法と相まって、労働災害の防止のための危害防止基準の確立、責任体制の明確化及び自主的活動の促進の措置を講ずる等その防止に関する総合的計画的な対策を推進することにより、職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進することを目的とする。」と記されている。責任体制の明確化と自主的活動、快適な職場環境の形成というのがキーワードである。責任体制の明確化に関しては、企業と違ってトップダウン的伝達が難しい大学にとって、実効性のある管理体制が確立できるかどうかがポイントとなる。あいまいな体制ではなにも改善されない。安衛法を遵守し、さらに自主的活動を促進するための人的配置と施設設備の整備が必須である。

京都大学では、法人化に向けてその対策を考えるために、平成15年度にはいくつかの委員会が設置された。その中に大学の環境安全衛生についてどういう体制を作るべきかということを検討する二つの委員会、全学支援機構構想専門委員会、環境・安全(保健)機構構想作業部会ならびに労働安全衛生法の対応検討ワーキンググループがあった。

これらの委員会において熱心な議論がなされたが時間切れとなり、平成16年4月に予定されていた全学支援機構構想の環境安全保健機構の立ち上げは延期された。

そこで、全学の消極的な雰囲気をみた工学研究科では平成15年度に独自の委員会を設置し、積極的な対応策を考えることにした。その一環として、主に化学系教職員を対象に有機溶剤作業主任者の技能講習会を開催し、100名に受講してもらい、その資格をとってもらった。そして工学研究科の委員会からの答申にもとづき、平成16年4月に工学研究科附属環境安全衛生センターを立ちあげた。桂キャンパスにセンターを設置し私がそのセンター長を務めることとなった。現在、講師1名、技術専門職員2名、非常勤職員1名で運営している。こうして人は確保することができた。必要経費の方も工学研究科から手当てしてもらっている。

安衛法では事業場が単位になっている。京都大学では労働基準監督署との話し合いの結果、地域ならびに事業の内容を考慮して、吉田、病院、宇治、桂、熊取、犬山、大津の7つの事業場とすることが決定された。工学研究科は電気系と化学系が平成15年夏に桂キャンパスへの移転を完了し、16年の9月には建築系と事務部が移転した。平成18年の夏には地球系が、さらにはそのあと物理系が移転して工学研究科の移転は完了することになっている。なお情報学研究科の移転も数年後に予定されている。こういう状況下、工学研究科としては附属環境安全衛生センター運営委員会を立ちあげ、工学研究科全体の安衛法対応にあたることとした。研究科としては吉田キャンパスに地球系ならびに物理系が残っているが、これらは吉田事業場に属するので、総合人間学部、文学部、教育学部、法学部、経済学部、理学部、医学部、薬学部、工学部、農学部の10の部局と協力して安衛法に対応する必要がある。先にも少し触れたが、すぐに想像いただけるように、この協力というのが言葉では簡単だが非常に難しい。実際、今も吉田事業場では十分には安衛法に対応できていない。そこで吉田事業場のことはあとまわしにして、桂事業場に桂キャンパス環境安全衛生委員会を設け、4月1日の法人化にあわせて、吉田事業場よりも一足早く実際の活動を開始した。

平成16年4月からこの一年の間に、桂事業場で実施してきたことを具体的にあげると(1)桂キャンパス総括安全衛生管理者として私が任命され、(2)産業医を選任し、(3)衛生管理者の資格をさらに5名の教職員に取得していただき(現在工学部全体で23名、桂キャンパスに12名の資格取得者がいる){この(1)(2)(3)については所轄の労働基準監督署に届出を済ませた。}、(4)環境安全衛生委員会を月1回開催(これには産業医の先生も参加していただいている)、(5)衛生管理者連絡会議を月1回開催{(3)にあげた12名と産業医で構成}、この開催日に衛生管理者全員と産業医で事業場を巡視し、また衛生管理者は必ず週1回事業場を巡視し(専任の衛生管理者が安全衛生の企画、巡視方法や作業環境測定箇所の確認立案に従事)、結果を衛生管理者日誌に記入する。(6)10日間に渡る外部の労働安全衛生コンサルタントによる桂キャンパス全事業場の安全衛生点検、などである。

さらにこれらに加え桂キャンパスの教職員ならびに学生1400名を対象に安衛法にもとづく、安全衛生教育を6月末、9月、11月、ならびに12月に実施した。9回の講習であわせて1300名が受講していただいた。工学研究科の桂キャンパス構成員の意識の高さと協力に感謝している。その反面吉田キャンパスのことを考えると恐ろしい。ほとんどその気運がもりあがってこないのである。他人事のように無頓着な教職員や、そんな事は全く時間と労力の無駄であると考える教員も残念ながら少なくない。実際、吉田キャンパスでも地球系、物理系の工学研究科構成員を対象として安全衛生教育を行ったがその出席率は50%にとどまった。

大学研究者にとって一番気になることは、安衛法の規制下に入ることで研究活動が阻害されるのではないかという心配である。大学の教育ならびに研究のアクティビティーを低下させることは断じて許されない。この点については私も異論はない。しかしながら、わずらわしいからといって安衛法の遵守をマイナスとしてとらえるのではなく、むしろ、健康の保持増進を目標とする安衛法の遵守を、研究活動にとってプラスだととらえてほしい。学生をはじめ教職員の方々にも安衛法の遵守が研究活動にプラスになることだと理解していただき、さらには、安衛法のもとに快適な教育・研究環境を築くことが工学研究科附属環境安全衛生センターの使命であると考えている。

学生を労働者と考えるかどうかという議論がある。もちろん法的には労働者ではない(労働基準法第9条によると、「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業または事業所に使用される者で賃金を支払われる者をいう)。しかしながら、工学研究科で研究に従事している学生諸君を安衛法の対象からはずしてよいものだろうか。法律の精神からすれば、賃金をもらっていないがゆえに、彼らはより安全・衛生について守られなければならないのではないか。なおTA、RAはその契約時間内は労働者であり、これらの取扱いも法的には微妙であるが、学生はより守られなければならないという立場をとれば何も難しいことではない。

自主的活動という安衛法第1条の二つ目のキーワードを実現するには、安全衛生に対する教職員および学生の意識改革が必要である。単に法律で定める労働災害防止のための最低基準を守るだけでなく、自主的に危険を予知し、対策を立て、実行する自主安全衛生管理体制を構築しなければならない。現在大学の労働安全対策は企業に比べ20年以上も遅れているといわれている。先にも述べたように、安衛法には罰則を伴う規定もあるが、たいへんなことになったと考えるよりも、安全衛生の意識を高め、教職員ならびに学生の健康を守ることを考えるよい機会を得たと、積極的な解釈をすべきである。企業並みの安全衛生管理を目指すにとどまらず、企業をリードし、モデルとなるような管理体制づくりへの取組みが必要である。

金がないから何もできない、しないという姿勢はどうかと思う。研究室の部屋の整理整頓にはお金はいらない。できることからやらなければ何事もいい方向には進まない。幸い、平成17年度は、特別教育研究経費(概算要求)「桂キャンパスにおける研究・教育活動の環境負荷の低減化事業」が認められた。実験廃液の処理や薬品管理に対する適切なシステムの構築、衛生管理者、作業環境測定士、クレーンの運転など有資格者の確保、環境安全教育の充実などを目標として事業を進める予定である。安全管理は、組織に属する教職員、及び学生のみならず周辺住民の安全保障にも関わる事柄である。また、組織自体にとって生命線であり、あらゆる種類の事業の前提となる最優先事項であると位置づけられる。安全管理を軽視したため、事故を起こし、それにより管理体制の不備が露呈し、研究活動等が停止し、また組織の解体に至る可能性があることを常に留意しておいていただきたい。京都大学環境憲章の精神に則り、中期目標、中期計画の中に桂キャンパスにおけるISO14001認証の取得をかかげている。その実現に向けて努力したいと考えているが工学研究科全構成員の御理解と御支援がなければ不可能である。この一年間で実施してきたことの延長上に、そしてそんなに遠くないところに認証取得はある。重ねて御協力をお願いして筆をおきたい。

(材料科学専攻 教授)