アナログとディジタルに関する雑感

島崎 眞昭

島崎 眞昭この3 月に京都大学を無事定年退職することができました。京都大学に入学して以来よき師、先輩、同僚、後輩、学生に恵まれ、支えていただいた賜物と感謝しています。卒業研究のとき以降、計算機による科学技術に関する問題解決、特に電磁界の境界値問題に関するアルゴリズムと計算機ソフトウェアの研究と教育に従事してきました。この間における計算機の進歩はまことに目覚しいものであり、その進歩とともに研究できたことは幸運というべきかと感じています。計算機の進歩のあとを単に辿るのもこの稿にふさわしくなく、また力量不足を感じますし、一般的な話題になるようにとの考えから、アナログとディジタルに関する雑感を述べさせていただきます。

昭和39 年学部3 回生の頃であったと思われますが、電気系教室で計算機製造会社の技術者による「アナログ電子計算機、ディジタル電子計算機、ハイブリッド計算機」に関する講演会がありました。当時電気系教室ではアナログ電子計算機を用いて常微分方程式に関する世界的な成果が達成されている一方、京都大学には電気系の先生方が中心になって設計されたトランジスタによるディジタル電子計算機KDC-I が活躍していました。またわが国では制御用としてハイブリッド方式の電子計算機も開発されていました。筆者は汎用性からディジタル電子計算機の将来性を信じて疑いませんでしたので、「将来についてはディジタルかアナログか」が話題になり得るのかという印象をもったことが記憶に残っています。その後のディジタル電子計算機の進歩は著しく、ディジタル電子計算機が電子計算機の代名詞となりました。筆者は京都大学大型計算機センター助教授として1984 年の演算パイプライン方式によるベクトル計算機の導入に立ち会う機会に恵まれましたが、この計算機はスーパーコンピュータとして一時代を画したものです。京都大学にスーパーコンピュータが導入されたころ、ある先生が「このような能力のコンピュータが研究者の机上の計算機として実現されるのはいつ頃でしょうね」と言われたことを思い出します。その後のマイクロプロセッサの進歩は想像を絶するもので、実際現在の「パソコン」の演算能力は当時のスーパーコンピュータのそれをはるかに超えています。

ディジタル電子計算機の進歩が目立ちますけれども、実はほとんどの電子機器でディジタル化が進行しています。身近なものに限っても時計、カメラ、音楽録音などのマルチメディア機器などでディジタル化が進行しています。ご存知のように地上波テレビ放送は2011 年にアナログ方式の廃止が決まっています。またスキャナーの最近の進歩に伴い、伝統絵画のディジタルアーカイブが作成され、文化財の永久保存が可能になっています。このようにディジタル技術の進歩の恩恵が大きいのですが、ある講演会で電子機器会社の技術系の役員の方が次のような指摘をされたことが印象に残っています。電子機器のディジタル化は進歩の必然の方向ですが、ディジタルシステムになるとすぐにメーカー間の価格競争になるので、利益確保が難しく、電子機器のセットメーカーにとっては極めて厳しい時代であるとのことでした。素材や部品などアナログ部分が関係すると、いわゆる「巧みの世界」になり、独占性が強くなって競争力が維持できるとのことです。価格競争によって普及が進み、全体の市場規模の拡大が実現すると考えられますが、産業界の実情に詳しくない筆者にはよくわかりません。ただし、過当競争のため技術者の処遇に影響が出て、若者にとって電気電子技術者が魅力ある職業と見做されなくなれば由々しき事態と言わねばなりません。身近な例として時計を考えてみます。ディジタル方式の電子時計が昔の機械式の時計に比べて時刻の正確性という意味で優れていることには疑問の余地がなく、時計産業ではわが国が圧倒的に優位となると予想された時代もありました。しかし、現実には腕時計のデザインの問題、身につけたときの印象もあり、現在高級腕時計と称するものでは、内部の機構は別としてほとんど従来のアナログ時計の形をしています。またスイスの高級時計産業は決して衰退してしまったわけではありません。この辺に産業として付加価値をどこに見出すべきなのかといった戦略の重要性が感じられます。要するに物理世界とのインターフェイス、人間とのインターフェイスについてはアナログ的な要素が必須であり、全体を制することの重要性がわかります。電気電子回路でも現在より扱う周波数が高くなれば、従来ディジタルの範囲で扱えたものが、物理に立ち返って考える重要性が出て、アナログ的な扱いが求められることになります。工学教育においても「いつでも基本的な物理に戻って考えられる」ような配慮が重になると考えられます。

抽象的に考えるとアナログとディジタルとの問題はいろいろと話題を提供するようです。プリンストンの高等研究所の物理学の名誉教授で、物理や生命および科学の未来に関する著作も多いFreemanDyson はReality Club(後にEdge Foundation に発展)を組織していて、2001 年に‘Is Life Analog orDigital?’をテーマに議論を展開しています。そのメンバーにはJohn McCarthy, Marvin Minsky, DanielHillis などの情報科学の知の巨人も参加しています。Freeman Dyson は2006 年には脳における情報処理に関し、アナログ方式かディジタル方式かといった議論や彼自身の予測も展開しています。現在はわかっていないけれど、近年進歩の著しい脳に関する科学によって、脳における情報処理の方式についてもそのうちに明らかになるのではないかと期待し、成果を見届けたいものだと考えています。

(名誉教授元電気工学専攻)