海底ケーブル埋設機開発実験の思い出

檜垣 義雄

檜垣 義雄1971年1月に技術補佐員として、同年12月に技官として京都大学工学部土木工学教室に就職し、配属は土木施工学講座でした。

研究室のテーマは建設機械の施工、トンネル工学、土質力学、岩盤力学などで、私の最初の担当は本州四国連絡橋・大鳴門橋多柱基礎の掘削機の開発、次に日中海底通信ケーブル埋設機の開発でした。

1972年日本と中国が国交を回復し、ホットラインとして上海(ナンホイ)-熊本(苓北町)に海底通信ケーブルを敷設することが決定されました。そのルートとなる日本海の大陸棚は絶好の漁場でもあり、漁具による切断のトラブルを回避するため海底面下70cm に埋めたい、しかし当時はそのような機械はなく、ケーブル敷設船 KDD丸の牽引能力20ton に見合った掘削機が求められました。(ATT所有船は埋設深度30cm、掘削抵抗30ton)

水中掘削の基礎データを得る為、中書島の水理実験所敷地内にピットを掘り、計測器を載せたソリをジープで牽引する方法で160 種類の刃形状と速度を変えて掘削実験を行いましたが、夏の炎天下地盤条件を一定にする為スコップで土を掘り返す作業が一番堪えました。

掘削刃を鋤型の多段刃にすることで牽引抵抗は1/2 に軽減できることが判り、1/3 モデルと実物大モデルが作られ茨城県大洋村の海岸で公開実験を行うまで1年ほどの時間しかありませんでした。

そして、1976年の本工事ではケーブル1,036km中継器60台が敷設され、そのうちの約70%区間が埋設されています。その後もバックデータを集める実験が5年ほど続き、次のステップとして海底地盤の特性を利用したウォータージェット式ケーブル再埋設機の掘削実験にも取り組みました。これらの経験が実験的アプローチの原点になったと思います。

最近のニュースで光ファイバーケーブルに世代交代したことを知りましたが、この同軸ケーブルは現在東京大学海洋研究所に譲渡され、海底における地震波や地磁気などの観測に活用されていると聞いております。

海底ケーブル埋設機開発実験の思い出学会ではこのような建設機械と地盤の接点を扱う分野が少ないことから、京都大学農学部田中孝先生や工学部畠昭次郎先生、東海大学杉山昇先生、防衛大学北野昌則先生らの御尽力でテラメカニックス研究会が1981年に地盤車両系国際会議ISTVS(The International Society of Terrain-Vehicle Systems)の下部組織として誕生し、最近では月面の走行や探査を研究テーマとした発表がありました。

建設機械化協会の委員会を手伝っていた関係で、日本で初めて使用される大型建設機械の公開実験や、特殊な工事現場を訪問する機会に多く恵まれたことが楽しい思い出です。

(技術専門員 社会基盤工学専攻)