異端と最先端

評議員・副研究科長 吉﨑 武尚

吉崎評議員昨今、何彼につけ「最先端○○」と喧しいようです が、最先端といわれるものの多くはその端緒において異端と見られたのではないでしょうか。工学部の歴史を遡ってみても、フロンティア電子論を提唱された福井謙一先生は戦前の工業化学科で量子力学の勉強に勤しまれたそうで[1]、 当時としてはかなり異端であったでしょうし、またカオスを発見された上田睆亮先生も発見当初は正当な評価を受けられなかったようです[2]。もちろん世に現れた当初から多くの人によってその先見性と重要性が認められた例も少なくないのでしょう。浅学寡聞な私の頭の中には一般向け科学史書に載っているような劇的な話が残っているだけなのかも知れません。が、話を続けるために、とりあえず最先端の発端は異端だとしましょう。

とすると、異端分子が一人も居ない集団からは来るべき最先端は生まれないことになります。近年、工学が関係する諸領域において、産官が重要性を認めた「最先端○○」と呼ばれる僅かな領域のみに集中的に研究資金が投じられる傾向が強いように思いま す。限られた資金の効率的使用を図る側とすれば仕方のない選択なのでしょうが、それに反応する研究者の側に課題設定の自由を奪われているとの自覚が乏しいようなのが一寸心配です。もちろん、ほとんどの教員の方々は、真理探求を目指す基礎的研究の傍ら、研究資金獲得のための苦肉の方便として関連する「最先端○○」領域で課題を設定されているのだろうと思います。しかし、一緒に研究をする若い学生の方々の目は、指導者の意に反して、本筋である真理探求から逸れ、方便である「最先端○○」へと向かい易いので、次の時代にはこぞって「最先端○○」 を目指す異端分子のいない集団になってしまい、凡庸の海に沈んでしまうのではないかと危惧されます。

時流に乗った研究の場合、結果に対する評価も早 く、研究者として精神の均衡を保ち易いのですが、 時流から外れた研究を継続するには覚悟にも似た信念が必要なようです。最近、ヒッグス粒子と考えれられる粒子の発見が報じられましたが、ヒッグス博士がその存在を予言したのは1964年のことです。 実験技術の向上を待たなければならなかったとはいえ、予言が正しいことが示唆されるまでに50年足らずを要しました。さらに、今回実験を行った欧州原子核研究機構が編集元である学術誌から、予言論文は「物理学に関連性がない」として却下されたそう で、発表当初から異端扱いされ、その後生きているほぼすべての時間を実験的確証が得られないまま過ごすのは大変なことだったろうと思われます。生きている内に主張の正しさがある程度世に受け入れられるならまだしも、ガリレオの場合、彼を異端審問にかけたローマ教皇庁が過ちを認めたは1992年のことで、死後350年もが過ぎてからのことです。

当時とすればキリスト教的世界観が主流でガリレオが異端だったのでしょうが、今となれば、逆にロー マ教皇庁の方が異端、あるいは時代遅れということになります。しかし、視点を過去から未来に転じる と、自然科学の立場から持続的社会の建設に有効な提案ができない状態がこのまま続けば、宗教哲学の側から狭い地球上で人類が共存するための教義が提示されないとも限りません。私に身近な化学系においても、一度は流行遅れだと衰退の憂き目を見た領域が現在「最先端○○」として脚光を浴びている例が幾つもあります。逆に、一時期絶頂を極めた領域で間を置かずして閑古鳥が鳴くといった例も。一時的な凋落は異端というのとは異なりますが、「何時 までそんなことをやっているのやら」とある意味異端視されたはずです。近視眼的な要不要論に振り回されず、信念を持って我が道を突き進む点は上の異端に通ずるものがあります。

異端あるいは流行遅れが秘めた可能性ばかりを強調しましたが、お気付きのように、異端であることは将来最先端となることの必要条件ですが十分条件ではありません。どちらかといえば、異端のままで終ってしまう例の方が多いようです。したがって、異端ばかりが集まったのでは退廃的な好事家集団に堕してしまいそうで、建設的な教育研究集団として望ましいものではないようです。ただ、そうした理由から異端をすべて排除してしまうと、次の最先端が生まれて来なくなることが危惧されます。流行遅れという視点からいえば、系あるいは専攻を流行りの分野のみで構成してしまうと、学生の視野が狭くなって次世代を担う研究者が育たなくなったり、何 らかの外的要因で流れが急変すると組織そのものが絶滅の危機に瀕してしまう可能性があります。

生物の歴史を見ても、ある時期の環境に最も適合 したものは、環境が一旦変化すると最初に絶滅してしまう可能性が高いようです。元の環境では余り役に立つとも思えない特性を持ち、日陰者のように目立たなかった生物が、環境の変化により一躍主役の座に躍り出ます。そして次の変化では他に主役の座を譲り、個々の生物としては興隆衰退の径を辿るのですが、地球型の生物界全体としては苛酷な環境の変化に耐えて生き延びています。一方、一個の生命体、例えば私自身の身体にも、何のためにあるのかよく分からない器官が幾つもあるようです。ある物 は、普段は休眠状態で、稀に必要とされるときだけ活動し、その存在理由が分かりますが、物によっては皆目分からないものもあります。生物界が経験した遠いとおい過去の記憶を留めているだけかも知れませんし、あるいはこの先の変化に対する冗長な備えなのかも知れません。生物界は多くの階層のそれぞれにおいて、将来に向けての可能性を担保するために一見無用な物を内包しているようです。

また身近な化学系の話になって恐縮ですが、現在の工業化学科の礎を築いた偉大な先達のお一人である喜多源逸先生は、弟子の児玉信次郎先生の提案を受け、湯川秀樹先生に相談の上、理論物理学者である荒木源太郎先生[3]を招聘されたそうです[1]。将 来の化学を担う人材の育成には量子力学も必要だとの、今では当然の理由からですが、当時とすれば異例中の異例で、学内には反対する人もいたそうです。 またその一方で、喜多先生は当時の日本社会が要求する産学どころか産官軍学連携研究も推進され、目下の急務に応えつつ、将来の変化に対応できる柔軟な教育研究組織を形成されたようです。生物の場合 と同様、現在の環境に適応しつつも不測の変化にも耐えて次の最先端を生み出せるような、異端を絶妙な塩梅で内包する最先端の集団が教育研究組織として望ましいようです。

此の度、期せずして評議員の大役を仰せつかりま した。元より何の心の準備もない上、これまで研究科全体といった視点から物事を考えたこともなかっ たので、果してお役に立てることがあるのだろうかと思いを巡らせているとき、ぼんやりと上のようなことが浮かびました。世の中全体が熱に浮かされたように騒々しく、大学、そして私達の研究科も周りに急き立てられるようにとりあえず走ってはいるものの、何処に向かっているのかがはっきりせず、このままで良いのだろうかと一抹の不安を感じています。私自身がすでに世の中の流れから取り残されているだけなのかも知れません。しかし、研究科の目指すところが、単に目先の技術競争に勝つことではなく、基礎研究を通した人材の育成にありますので、 皆が一つの方向に先を競って走り始めようとすると き、今少しだけ考えてみませんかと流れに抗うのも、 何らかの意味があるのではないかと思っています。 研究科の教育研究活動を維持発展させたいという想いは皆さんと同じですので、宜しくお願いします。

(教授・高分子化学専攻)

[1]古川安、「喜多源逸と京都学派の形成」、化学史研究、37、1(2010)

[2]ラルフ・エイブラハム、ヨシスケ・ウエダ編著、稲垣耕作、赤松則男訳、「カオスはこうして発見された」第3章、共立出版(2002)

[3]荒木光彦元工学部長・工学研究科長(2003.12- 2006.3)のご父君