京都大学を離れて想うこと

田門 肇

田門先生写真平成29年3月に京都大学を定年退職いたしました。思い返しますと、昭和52年4月に工学部化学工学科助手に採用されましたから、かれこれ40年勤めたことになります。そこで、京都大学を離れて感じたことを述べたいと思います。

1. 大学紛争の余韻が残る学生時代

筆者は昭和45年に大学紛争の余韻が残る京都大学工学部化学工学科に入学しました。当時、1、2回生の教育は専ら教養部(総合人間学部の前身)で行われておりました。学内ではデモが日常茶飯事で、定期試験の頃には必ず教養部の代議員会が無期限ストライキを可決し、試験が実施されませんでした。一方では、出席者が少ない場合は、休講の権利があると主張する教員もいました。要するに、学生も教員も自己の責任で物事に対処しており、古き大学の姿でした。一方、工学部の講義は当然通常通り行われており、教養部とのギャップが大学らしい印象を与えておりました。ストライキにより教養部での試験が実施されませんでしたので、3回生進級時に全員の単位はありません。これで単位をタダ貰いと高を括っておりましたが、それほど甘くなく 3回生の講義終了後の夜に試験が実施されました。今の大学では考えられないようなことが平然と行われており、自ら学ぶことの重要性を強く認識した学生時代でありました。

2. 分離工学を専門として

物質の分離・精製のための新規分離場の創成と分離材の開発を目的として、吸着、乾燥、気体分離を中心に大学院生の頃から研究を進めてきました。このような研究を通していつも頭を過ぎるのは、「分離技術はプロセスの共通基盤技術ではあるが、所詮黒子ではないか?」という疑問でした。分離技術は共通基盤技術として地道な発展が当然必要であるとの認識の上での不満であったと思います。

以前に(財)化学技術戦略推進機構(現(公社)新化学技術推進協会)で検討されました「次世代化学プロセス技術開発(シンプルケミストリー)」は、「省資源・省エネルギー・環境負荷低減」を目的として、「プロセスの簡素化」を目指すものでありました(NEDO 調査報告書 NEDO-MPT-0101,2002年3月)。この中で、化学プロセスのシンプル化の要素として、①原料・副原料、②反応ルート・工程数、③反応媒体・反応相、④反応条件・反応方式、⑤反応成績・副生成物、⑥分離精製法の6項目が挙げられています。これは、「もの」の流れに沿った「反応・触媒」と「原料・資源」の視点に、横串としての「分離技術」の視点を加え、次世代化学プロセス技術の全体像を明確にするものであります。この目標に向けて立ち上げられたNEDOの研究プロジェクトは、原料と目的製品を結ぶ「反応・触媒」を軸にし、反応プロセスの革新を前面に出したものでありました。分離精製は個々のプロセスとの関連においてだけでなく、共通基盤技術として重要な位置を占めると報告されましたが、分離技術に関する具体的な研究プロジェクトは立ち上がりませんでした。この状況は、分離技術はその重要性を認められながら、黒子の役割を果たしていることを如実に示すものであります。

筆者は面白い論説(Chemical Engineering Progress, February 1999, p.45)を読んだことがあります。化学工学が一般の人々の間であまり知られていないのは、機械工学、電気工学、土木工学と違ってその成果が人々の目に留まる「もの」として現れてこないためであると述べられています。航空機は出発地で往復分の給油をせずに目的地で帰路分を給油することが常識であり、スペースシャトルでも他の惑星で地球への燃料補給を考えねばなりません。したがって、他の惑星上での資源利用(In Situ Resource Utilization, ISRU)が重要となります。ISRUは、化学工学者が活躍できる格好の対象であり、化学工学が人々の注目を浴びるという趣旨の論説でありました。これは極端な例かもしれませんが、共通基盤技術である化学工学を黒子ではなく、表舞台に登場させる一例である気がしました。分離技術に関しても、このような対象が考えられれば面白いとその当時は感じておりました。

分離技術を黒子から脱却させるには、専門外の人も興味を引く研究を実施する必要があります。そこで、多孔性材料の細孔構造とモルフォロジーの同時制御などの研究を実施してきました。例えば、氷の結晶の多様性に着目して、氷晶をテンプレートとして多孔性材料の合成を行い、ハニカム状や繊維状の材料の作製とモルフォロジー制御に関する研究が代表的なものです。思い描いていた研究成果が得られたとは必ずしも申せませんが、やり切った感はあります。

3. 評価の時代に身をおいて

大学に籍を置いていると「評価」という言葉をよく耳にしました。自己評価、授業評価、業績評価、外部評価、認証評価、第三者評価などです。ところで、評価「基準」を考えると首をひねることが多くありました。企業からも研究所や技術の評価を依頼され、評価基準も明確でないまま評価委員を務めてきました。大学の大きな使命である教育は、有用な人材を世に送り出しているかどうかを企業などに評価をしてもらえばよいが、研究は如何に評価すべきでしようか。

研究の評価として、論文が高いインパクトファクターのジャーナルに掲載されているか、引用数は多いかが問われることが多いと思います。この評価は当該分野の研究者数に依存するので異種専門領域間の比較はできないでしょう。そこで、平均引用数(総引用数/総論文数)あるいは相対引用度(被引用数を学術誌の平均引用数と比較する方法)(大野博教:化学工学, 67, 463 (2003))が考えられます。特に後者の相対引用度は面白い評価基準と思えます。論文引用数という評価軸では不利を被るような分野に対しても、相対引用度を基準にすれば、比較的正しい引用状況の把握になると思えます。一方、研究の社会への貢献度は如何に評価すべきか頭が痛い問題であります。研究の特許化で正当な評価ができれば、話は簡単ですが、それほど単純ではありません。現状では、企業や公的機関からの第三者の評価によるしか有効な方法は思い浮かびません。工学研究科の研究としては、社会貢献を評価項目とすることは不可欠ですので、正当な評価基準が今後確立されることを期待いたします。

4. 教員生活を振り返って

筆者は40年間に亘り化学工学科、工業化学科および化学工学専攻の教育・研究に携わってきました。学部と大学院の講義では、学生に講義内容を理解した気にさせることに注力いたしました。これは、内容に馴染みがあれば、将来必要となれば自分で再度学習すればよいからです。また、研究室での学生の指導にあたっては、研究成果よりも研究を通して学生がどれだけ成長できるかに留意してきたつもりです。共同研究も学生の研究に支障をきたさないものに限定してまいりました。学生諸君は自ら考え、苦労しながら着々と研究成果を上げてくれました。外部資金獲得が至上命令となれば、このようなスタンスを維持することは困難となるかもしれません。

以上のような教育を定年まで行ってまいりましたが、平成15年の桂川の西岸の丘陵地帯へのキャンパス移転は強く印象に残っています。キャンパス移転によって、閑静な環境で、研究・教育活動を行うことができたことは勿論ですが、各研究室に古くから残されていた薬品類を処分できたことが最も良かったことと思います。しかし、吉田キャンパスの研究室の整理、不用品の処分、荷造り、新キャンパスでの研究室の立ち上げのために、大学院学生に半年以上の間、負担をかけ研究時間を奪う結果となったことは申し訳なかったと思います。また、学生諸君は移転後の1年半は食堂もない状態での研究生活を送らざるを得ませんでした。筆者の研究室では、学生が食材費を集めて研究室で調理しており、食中毒と火事を起こせば修了・卒業ができないことを強く注意したことが思い出されます。このような状況にも関わらずに例年と同じ研究のアクティビティを保てたのは偏に学生諸君のお陰であります。

京都大学へは優秀な学生が入学しています。また、工学部・工学研究科では、工学の全ての手法を教授できる教員の陣容を揃えています。教員,学生双方の資質から、世の中に役立ち、かつ「知を創出」できる人材がこれまで以上に輩出することを期待しています。

(名誉教授 元化学工学専攻)