情報の時代

田中 克己

田中先生写真私は、若き頃は京都大学工学部情報工学科および工学研究科情報工学専攻の学生(1 期生)として京都大学で学び、そののち、2001 年4 月に京都大学情報学研究科教授として奉職し、2017 年3 月に定年退職した。学生時代の9 年間、教員として所属した16 年間の計25 年間にわたり、情報工学科および情報学研究科に大変御世話になり感謝の念に堪えない。ここでは、定年退職にあたり、情報に関する教育・研究組織・学術領域について私なりの所感を述べさせていただく。

情報工学とコンピュータサイエンス

私は、1970 年 1) 4 月、日本の大学としては情報に関する学科を初めて新設した京都大学工学部情報工学科に1 期生として入学した。当時は、「これからは情報の時代だ」と内外で喧伝され、「情報化社会」という言葉がもてはやされた時代である。さほど真面目な動機をもたずに入学した私でも、情報工学科の1 期生ゆえ、「情報工学」とは何か、「情報に関する学問」とは何かということには、とてもこだわりがあった。

このころ、欧米の大学では、「情報工学」ではなく「計算機科学(computer science)」という名称の学科(計算機科学科など)が多数出現していた。当時のコンピュータサイエンスという学術領域は、コンピュータハードウェアや基本ソフトウェア(言語、OS、データベース管理等)をいかにして作るかという工学的なものにターゲットを絞っていた。この意味では、当時の我が国の「情報工学科」も目標を工学的なものに絞って教育研究を行っていたので、当時の「情報工学」と「コンピュータサイエンス」の分野間の乖離は少なかったと思われる2)。

情報検索とデータベース

当時のコンピュータの応用は、科学技術計算と事務データ処理と言われていた。1974 年、京都大学大学院工学研究科情報工学専攻に入学し修士課程・博士後期課程に在学中に、「データベース」を知った。事務データ処理の応用がデータベースである。

大量のデータを効率よく管理する「データベース」のアイデアは魅惑的で、しかも、データベースというものが学問分野になるということ自体が驚きであった。データベースの設計理論、データベース管理のための並行処理制御などが堂々と学問分野になったのである。私自身も、リレーショナルデータベースの設計理論とリレーショナルデータベース管理システム(RDBMS)の構築に関する研究を行った。

一方、「データベース」とは一線を画した研究分野として、当時から「情報検索」があった。データ管理(Management of Data)と情報検索(Information Retrieval)は、当時から別々の学術領域であるとの認識から、米国計算機学会(ACM)の中に、SIG MOD(Management of Data)とSIG IR(Information Retrieval)という2 つの研究会組織があり、それぞれ独自に発展してコンピュータサイエンスの中の重要な研究領域となり現在に至っている。

情報教育

1979 年1 月に神戸大学教養部に助手(情報科学教室)として奉職し、教務として、全学向けの一般情報教育の講義を担当した。当時は、全学向けの一般情報教育として何を教えるべきかという議論すら無い時代であり、また、ある教授から「情報教育なんてFortran 教育だけやっていれば良いんだ」、「情報なんて砂上の楼閣だよ」と言うような誹謗? を受け、若い私としては大いに反発し、情報科学全般の内容を講義する「情報科学I」という講義や、プログラミング教育としてPascal やProlog 等の多言語プログラミング教育をTSS 端末で行えるような講義「情報科学II」をデザインし実施した。

2001 年4 月に京都大学情報学研究科に来てからも、京都大学の全学共通情報教育に関与してきた。

当時の京都大学の全学情報教育は、高等学校で教科「情報」が選択必修科目にもなっているにもかかわらず、コンピュータの仕組みを教えるだけのコンピュータ概論的なものか、あるいは、Office ソフトやUnix やプログラミング言語の使い方だけを教えるだけのものが多く、流石に時代的にも遅れている内容であったように感じた。

この頃、東京大学では全学情報教育を根本的に見直し、計算機科学全般の内容を教える「情報」という科目設計を新たに行い、全学必修という形で講義を実施し始めていた。ところが、京都大学では、コンピュータやネットの使い方の教育(コンピュータリテラシー教育)が依然として行われていた訳であり、これでは、情報を専門とする教員にとっても教えたくないような講義科目であった。

私は、情報教育に関する全学情報教育専門委員会委員長を拝命し、情報教育科目の見直し・改革を行い、京大の当時の全学情報教育をいささかながらも改善できたと思っている。

近年、コンピュータサイエンスを主専攻(メジャー)としない学生(non-CS students)に情報教育を行う必要があるとの認識が世界的に高まっている。コンピュータ等の使い方の教育を主とする従来のコンピュータリテラシー教育だけでは最早不十分であり、各自の分野において情報の獲得・生成・分析・提示を十分に行える情報リテラシーを涵養する教育を行うべきであるとの認識である。例えば、米国カーネギーメロン大学等では、non-CS 学生に対するComputational Thinking(計算論的思考)教育を実施し始めて居る。さらに、昨今の「ビッグデータ」ブームの影響で、「データ科学(Data Science)」教育を全学的に行うべきであるという動きも出て来ている 3)。

人工知能

1980 年代はコンピュータサイエンス分野に「第2次AI 旋風」が吹き荒れた。知識表現、エキスパートシステム、演繹推論がブームとなり、また、この時期に「ニューラルネットワーク」技術が出現し、ニューラルネットワークを用いて多くの制御応用が行われた。「データベース」の研究をやりづらくなったのもこの頃である。

現在は、「第3 次AI 旋風」まっただ中である。仕掛け的には、機械学習、ニューラルネットワークを用いた深層学習技術が中心であり、かつ、大量のデータ(「ビッグデータ」)を深層学習するという意味では、データベース屋の出番は残されているように思う。深層学習で得る知識の信頼性を確保することは重要であり、そのために、学習に用いるデータをどのように検索・収集するかは重要な課題であるためである。

ウエブ、情報社会、社会情報学

World Wide Web(WWW、ウェブ)、検索エンジン、SNS 等のソーシャルメディアの出現は、コンピュータサイエンスにおけるデータベース分野のみならず多くの分野に影響を与えた。定型的・構造化されたデータしか扱えない従来のデータベースシステムの限界が見えたことや、既存のデータベースシステムには格納できない、遙かに大量の、「リンク」でつながった非構造・半構造化データがウェブ上で扱えるということがその理由である。

さらに、少し極端に言えば、インターネットやウェブの出現・普及が、まさしく、「情報社会」の到来をもたらしたと感じる。ウエブを用いて、社会における政治、経済、産業、文化に関する活動を一変させつつあるからである。例えば、ウエブは、ものやサービスの販売・購入のやり方や広告の方法を一変させた。また、SNS 等は、社会における個人の情報発信のあり方を大きく変化させたメディアに成長した。

ウエブ技術の普及は、コンピュータサイエンスという領域全体にも大きな影響を与えた。2000 年代には、欧米の多くの大学で、コンピュータサイエンス学科・研究科の中ではなく、新たに「情報スクール(Information School)」と称する研究科が新設されている。例えば、UC バークレーの情報スクール 4) はその1 例で、その教育プログラムの内容は、文理融合、社会における情報の共有・検索・アーカイビングやソーシャルメディア等に注目したものとなっている。

筆者は、情報学研究科の「社会情報学専攻」(Department of Social Informatics) に所属した。狭い意味では、ソーシャルコンピューティングやソーシャルメディア等の新しい学術領域が形成されつつある時代に、である。広い意味では、情報技術が社会におけるあらゆる活動を変えつつある時代に、「社会」という冠を持つ専攻に所属した訳である。社会における情報学とは何かを指向した「社会情報学専攻」 5) という見事な名称を考えられた先人達に敬意を表したい。

情報学の拡がりと情報学部の出現

現在におけるコンピュータサイエンス領域は何か、どうあるべきかという視点でこの原稿を書いてきた。
 「情報学」の分野は、数年前から改訂を繰り返している科研の系・分野・分科・細目表にも反映されつつある。
 平成29 年度の系・分野・分科・細目
  系:総合系
  分野:情報学
  分科:情報学基礎、計算基盤、
      人間情報学、情報学フロンティア
「情報学」が「理工系」から独立し、「総合系」にはいったこと、(名称は今イチの)「情報学フロンティア」分科の中に、「ウェブ情報学・サービス情報学」や「図書館情報学・人文社会情報学」がはいったことが重要である。一方、狭義のコンピュータサイエンス領域は、「計算基盤」分科にほぼ対応している。情報学がいわゆる「理系」分野では無いと認知されたことや、狭義のコンピュータサイエンス領域は、より広範な「情報学」の中で「計算基盤」として位置付けられたことが重要で、これも情報学という学問領域の発展と位置付けることができると思う。
 このように「情報学」が独立した分野の一つとして認知されたことを背景に、我が国でも、文理融合型の「情報学部」が最近、続々と設置されつつある 6)。 

京都大学においても、情報学研究科が開設される以前から、「情報学部」構想も存在したと聞いている。筆者の手元には、京大広報No.354 があり、その中に、「京都大学情報学部構想検討委員会からの答申」(昭和63 年4 月12 日)および「京都大学情報学部構想検討委員会からの答申に対する所感(西島総長、昭和63 年5 月31 日)がある。提案されている情報学部構想の主な内容は、
• 情報基礎工学関係3 学科
• 知能情報処理関係3 学科
• 人間・生物情報学関係2 学科
• 応用情報学関係2 学科
の計10 学科、100 講座、学部学生定員410 名という本格的な学部構想である。この構想と同時に、現在の「情報学研究科」構想も出されており、大変興味深く、現在の「情報社会」の到来を予見した学部構想である。

是非とも、「情報の時代」の到来にあたり、上記のような情報学部構想を今こそ進めていただきたいと思っている。

 

1) 1970 年という年は、コンピュータサイエンス分野ではエポックメーキングな年で、この年に、リレーショナルデータベース(ACM チューリング賞:1981 年 エドガー・F・コッド(Edgar F. Codd))の大発明があったり、この頃にUnix OS やC 言語(ACM チューリング賞:1983 年 ケン・トンプソン(Ken Thompson)、デニス・リッチー (Dennis M. Ritchie))が出て来ている。

2) とはいえ、筆者が1983 年に米国、南加大計算機科学科にポスドク滞在したとき、当学科の教育カリキュラムの中に「論理回路(logic circuits)」の講義が無いのは何故かと聞いたら、「論理回路は、計算機科学ではなく、計算機工学だよ」と言われたことを今でも強く記憶している。

3)「 数理及びデータサイエンスに係る教育強化」の拠点校の選定について、文科省同懇談会、平成28 年12 月21日、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/080/gaiyou/1380792.htm

4) UC Berkeley, School of Information https://www.ischool.berkeley.edu

5) 社会情報学(Social Informatics)を関した国際会議(International Conference on Social Informatics, 略称SocInfo),http://www.wikicfp.com/cfp/program?id=2724&s=SocInfo&f=Social%20Informatics が2009 年に設置されて毎年同国際会議が開催されている。計算機科学(コンピュータサイエンス)の研究者と(計算)社会科学(コンピューテーショナルソーシャルサイエンス)の研究者が一同に会する国際会議であり、毎年盛況を博している。

6)  国立大学では、静岡大学(1995 年)、筑波大学(2007 年「情報学群」開設)、名古屋大学(2017 年)に情報学部が開設された。

(名誉教授 元情報学研究科)