経営管理大学院の設置について

小林 潔司

経営管理大学院の設置について平成18年4月1日、マネジメントに関する高度な専門的かつ実践的な能力を有するプロフェッショナルを育成することを目的とした京都大学経営管理大学院(正式名称:京都大学大学院経営管理研究部)が開設された。工学研究科からは、筆者の他に大津教授、河野教授(平成18年5月以降)、宇野助教授、角助教授が同大学院に所属することになった。経営管理大学院では、従来から欧米をはじめとするビジネススクールにおいて行われてきた教育体系を、論理思考教育により重点を置くことによって強化・洗練させ、実行性のある諸活動を通じて、経営管理に関する高度の専門的学識を持った高度専門職業人を養成・再教育することを目的としている。特に、職業経験を有した専門的知見を持つ社会人、文系のみならず理系のバックグラウンドを持つ学生、外国人留学生といった多様な人材を受け入れ、相互の刺激と切磋琢磨を通じて、現代の複雑なマネジメント諸課題に取り組むことができる実践的知識と論理的思考を獲得することを目指している。

経営管理大学院とは

経営管理大学院はプロフェショナルを育成するための専門職大学院である。わが国で専門職大学院が誕生して日も浅く、多くの人にとって「専門職大学院」という言葉にはなじみがない。特に、本大学院は文理融合型の経営管理専門職大学院であり、わが国はじめての試みである。ここで、専門職大学院の役割を説明するために、経営管理大学院専門職教育と実務家教育を区別しておきたい。専門職とは、正確には学問的専門職(learned professionals)のことを言う。中世の大学は専門職大学として出発したが、そこでは専門職は神学、法学、医学という3職業を意味していた。長い大学の歴史の中で、専門職とは「文化的・観念的な学問的基盤に支えられ、自由で機知に富んだ妨害されることのない知性」を意味してきた。現実のビジネスの世界では、必ずしも専門職を必要とするわけではない。しかし、人類が蓄積してきた知性と教養は、ビジネスを通じて万民の手元に届くことになる。ここから、ビジネスの世界と知性・教養との関わりあいのあり方を探求することが必要となり学問的専門職が必要となった。

専門職大学院は実社会とのかかわりを持ち続けることが使命である。それと同時にビジネスの社会から自由であり続けなければならない。この2つの互いに矛盾する目的を同時に達成することは容易ではないが、そのためには、ビジネス社会の要求に対して、常に基礎的学問基盤に基づいた知的対決を不断に試みることが必要となる。わが国の大学における教育研究は、形式知に基づく科学的・客観的知識(know-why)の体系化という学問観に支配されてきた。その結果、工学はビジネス分野と密接に関わる実学の1分野でありながら、工学の成果が結実されるビジネス活動を研究対象としてとりあげない、という奇妙な事態が常態化していると指摘されている。京都大学経営管理大学院は文理融合を基本理念に掲げる専門職大学院であり、工学とビジネス社会の知的対決をめざした実験的な試みであるといっても過言ではないだろう。

京都大学経営管理大学院の概要

京都大学経営管理大学院では多種多様なバックグラウンドを持づ人材を受け入れ、多様なキャリア・アチーブメントを実現するために、多数の開講科目を用意している。また、それらの応用力の前提となる経営管理の基礎領域については、あえて必修科目を設定せず、図に示すように基礎科目、専門科目、実務科目、発展科目と段階的に科目を配列し、高度専門職業人としての能力を修得できるようなカリキュラムを設けている。経営管理大学院の定員は60名であるが、学部卒業(予定)者を対象とする一般選抜試験と社会人を対象とした特別選抜で学生を募集する。経営管理大学院に入学する学生に対して第1に求めるのは、現代の要求する複雑なマネジメント諸課題に積極的に取り組もうとする意思である。第2に求めるのは、厳しい教育課程をこなしながら、教員とともに、経営管理大学院の一員として積極的に活動、貢献する知的意欲とその基盤となる能力の向上である。

経営管理大学院の設置について

経営管理大学院は、事業創再生マネジメント、プロジェクト・オペレーションマネジメント、ファイナンシャルリスクマネジメントという3つのプログラムを提供する。このうち、工学系教官はプロジェクト・オペレーションマネジメントプログラムを担当する。これら3つのプログラムは以下のような内容を持っている。

「事業創再生マネジメント」プログラム…起業や事業再生マネジメント能力を有する人材の育成、つまりバイオテクノロジー、ナノテクノロジー、情報技術などの新規技術に基づいた新たなビジネスの創業に関する専門知識や、行き詰まった企業の再生を手掛ける專門的能力を持つ人材を育成することを目指すプログラムである。具体的には、べンチャー企業の経営者や管理職、ベンチャーキャピタリスト、起業相談に強い経営コンサルタント、金融機関や民間企業における企業再生の専門家、そして事業創再生に携わる専門家をファンド等で支援する人材育成を目指す。

「プロジェクト・オペレーションマネジメント」プログラム・・・国際的な大規模なプロジェクト、新規技術開発、情報システム開発などにおいて、特定の目的を達成するために臨時の連携組織(事業チーム)であるプロジェクトに対応するプログラム。こうしたプロジェクトを経営管理するプロジェクトマネージャーは、現代のビジネスでは非常に重要な人材として認識されています。そこで、このプログラムでは、財務管理、ファイナンス、戦略管理、組織管理などの経営管理能力の開発を通じ、国際的な感覚と多様な経営能力を持ったプロジェクトマネージャーを育成することを目指す。

「ファイナンシャルリスクマネジメント」プログラム…最先端のファイナンスの知識を学ぶことで、経営財務についての基礎的な知識と分析能力を持ち、それに基づき金融市場の分析、金融商品を設計・開発することにより、金融などのリスクを統合的にマネジメントできる能力を開発するプログラム。具体的には金融機関のファンド・マネージャー、アナリストや民間企業、政府機関での財務(ファイナンス)のエキスパート人材を育成することを目指す。

すべてのプログラムを一括して入試を実施する。入試の段階で受験生は希望のプログラムを選択する。プログラムは履修モデルを表しており、1年次の段階でプログラム間での移動は比較的自由である。カリキュラム、入試の詳細に関しては、経営管理大学院のホームページを参照して欲しい。経営管理大学院では、通称MBA(Master of Business Administration)とよばれる学位が与えられる。一般に、MBAは経営学修士と訳されるが、正確にはビジネス経営(管理)修士である。それは、ビジネス分野での経営または管理の能力を持っていることの証明であり、経営学を知識として学んだ修士レベルの研究能力を持っているという証明ではない。

経営管理大学院に期待されること

一般に、大学がとりあつかう専門的知識はknow-whyの体系であると言われる。Know-whyはある専門領域に固有の知識(domain-specific)であり、それを応用する文脈から独立して形式化しやすい。しかし、個別の構成要素に対応したknow-whyだけでは、ビジネス社会におけるアウトプットを実現することはできない。構成要素をシステム全体へと統合する知識が必要になる。統合の知識はknow-howであり、やってみることによる学習を通じて獲得される。Know-howは文脈に依存した知識(dependentknowledge)であり、形式化や言語化が難しい。このようなところから、欧米の経営管理専門職大学院では、ケースワーク、ワークショップの実施を通じて、know-whyの知識を基礎としてknow-howを修得するために徹底的なトレーニングを実施する。

一方、日本企業は複雑なシステムの構成要素をうまく組み合わせながら部分を全体へととりまめあげるknow-howに支えられてきた。Know-whyを所与としながらknow-howに基づいて、システムの組み合わせを変えていくという日本企業が得意としてきたマネジメント原理は、要するに一定の枠組みの中でシステムのファインチューニングを繰り返すというやり方である。しかし、このような日本型経営方式が行き詰まりを見せていることも事実であろう。いま、日本のビジネスリーダとして育成すべき人材は何よりも適しい独自のコンセプトを創造する意思と力のある人材である。テクニカルスキルの修得を通じて経営を論理的に相対化して考えるknow-whatが必要である。新しいコンセプトの創造はknow-whatに依存しており、know-whatの進化なしには新しいコンセプトは生まれない。

わが国の大学院は研究者養成機関としてだけではなく、基礎的知識はもとより、最新の基礎及び応用的知識を効率よく学ぶことができる広範で質の高い教育プログラムを提供し、名実ともに日本の教育拠点として機能してきた。よく言われるように、工学の基礎的・応用的研究が社会に反映される過程には、「シーズからニーズへ」という方向と「ニーズからシーズへ」という2つの方向がある。工学の分野では、どちらかと言えば、シーズを発掘し、それをニーズにつなげるという研究開発指向が強かった。これに対して、専門職大学院では、「ニーズを実現するために、どのようにシーズをつなげていけばいいのか」というマネジメント能力が試される。工学系大学院では、研究者養成のための基礎研究と併せて、修士研究を通じて、学生にknow-whyを修得させるだけでなく、研究成果の実際的な意味(know-what)を考える機会を与えるという学問的専門職教育を実施してきた。これに対して、経営管理大学院は、ビジネス社会のニーズに対して、大学の学問的基盤が知的対決を行う場であり、大学の教育研究リソース(シーズ)の価値がビジネス社会で直接評価される。経営管理大学院は、研究者が社会のニーズに合わせ、新しい研究領域を発掘し、専門分野を拡大するための格好のドライビングフォースを与える場になりえよう。この意味で、工学研究科と経営管理大学院の間に、緊張感のあるwin-winの関係を築きたいと考える次第である。

(教授 都市社会工学専攻)