福井謙一記念研究センターの運営に参加して

榊 茂好

榊 茂好京都大学に福井謙一記念研究センターが存在していることは化学系の教職員を除くとそれほど広く知られていないのでは無いかと思われる。このセンターの正式名称は長いため、よく福井センターと略称名で呼ばれているので、ここでもそのように呼ぶこととする。この福井センターは全学組織であるが、事務は工学研究科等事務部にお願いしていることからも、また、それ以外にも以下に述べるように工学研究科と非常に関係が深いセンターでもある。そのため、今回の執筆の機会が、数年前かちこの福井センターの運営に参加しており、また、本年度4月からセンター長を拝命している私に与えられたのだろうと感じている。

福井謙一記念研究センターの歴史

福井謙一記念研究センターの運営に参加して最初に、簡単にその歴史をご紹介したい。やはり、化学系の教職員以外にはあまり広く知られていないのではないかと思われるが、故福井謙一京都大学名誉教授は「フロンティア軌道理論」を1952年に提案された功績により1981年にノーベル化学賞を受賞された。化学分野ではわが国で初めてのご受賞である。当時は京都大学工学部石油化学科に教授としてお勤めであった。翌1982年には京都大学をご退官になり、直ちに、京都工芸繊維大学長にご就任されました。1986年に、ご自身の研究をさらに進め、また、若い研究者の育成のため、財団法人基礎化学研究所を高野西開町、具体的には、高野橋の少し下流の高野川東岸の静かな環境の中に設立されました。この設立は京都市ならびに産業界のご援助によるものと聞いている。福井先生は京都工芸繊維大学長を退かれてからは、基礎化学研究所長として研究に復帰されまた、ご自身で若い研究者の育成にあたられました。先生の著書「学問の創造」(佼成出版社)には、「芸能や芸術の世界には枯れると言う言葉がしばしば用いられる。 中略。私は、まだ枯れていない。自分で若々しい、生き生きした気分を保持しているつもりである。中略。私は研究に内心まだまだ燃えたぎっている。私は死ぬまでサイエンスの探検家でありたい。」と書いていらっしゃるとおり、この基礎化学研究所で研究に勤しんでいらっしゃいました。この研究所はけっして大きな組織ではありませんでしたが、当時の博士研究員からは東京大学工学系研究科教授、名古屋大学情報科学研究科教授、京都大学工学研究科助教授が生まれ、理論化学分野で活躍しているように、研究所のレベルは非常に高かったと言える。福井先生は1998年にご逝去されましたが、その後、ご関係の皆様のご理解とご協力により、2002年に京都大学へ寄贈・移管され、福井謙一記念研究センターと煽り現在に至っている。

福井謙一記念研究センターの運営に参加して

基礎化学研究所にて

現在の福井謙一記念研究センター

現在の福井センターの概略を簡単にご紹介したい。場所はかつての基礎化学研究所と同じ高野西開町にあり、吉田キャンパスから徒歩約20分の距離である。専任助教授2名の小さい所帯であるが、初代センター長の森島績教授のご尽力により、運営委員として工学研究科、理学研究科および化学研究所から合計10名の教員が運営に参加し、また、博士研究員の研究のスーパーバイザー的な役割を果たすという体制が取られている。助教授2名は各々工学研究科分子工学専攻および合成・生物化学専攻の協力講座となっており、大学院生の教育、また、一部は学部学生の教育に参加している。さらに前センター長中辻博教授のご尽力により専任助教授2名という組織を補うため、本年度から福井謙一記念研究部第一を設置した。このリサーチリーダーには世界的な理論化学者である諸熊奎治米国エモリー大学名誉教授(分子科学研究所名誉教授)を招聰し、博士研究員6名からなる研究グループを立ち上げた。諸熊奎治先生は着任前から研究体制の確立を計画的に進められ、副センター長の加藤重樹教授を共同研究者として、研究課題「複雑電子系の理論化学」をJSTのCRESTに申請したところ、採択され、着任直後から大規模な研究活動を開始している。この福井謙一記念研究部第一はリサーチリーダーの下で博士研究員が共同研究を行うものであるが、これとは別に、若い研究者が独自の発想と独自の研究計画で独自に研究を行うことのできる博士研究員のポストを用意し、優秀な若手研究者の育成にも貢献する体制も持っている。現在、4名の優秀な博士研究員が研究に勤しんでいる。京大に移管されてから、4年半しか過ぎていないが、かつての博士研究員からは京都大学理学研究科の助教授に1名、分子科学研究所の助手に2名、名古屋大学特任助教授に1名が転出しており、若手研究者の育成にも成果を挙げている。特に、博士課程を修了した若い研究者に自分自身のアイデアで、他から干渉されずに研究に集中出来る機会を与えていることは、国内外であまり例がなく、本研究センターの特色ある制度と自負している。

福井謙一記念研究センターの目指すところ

このように福井センターは小さいながらも着実に成果を挙げているが、京都大学にとって、また、工学研究科にとって、どのような存在価値があるのだろうか?単に、財団法人基礎化学研究所が京都大学に寄贈・移管されたから、そのまま存在させているのだろうか?けっしてそのような消極的な理由で存在し続けているのではないと考えている。そのような理由では、法人化の今日、何時かは消滅しても仕方が無いセンターであろう。福井センターは、福井謙一先生の功績を後世に伝えるためにだけの目的で存在しているのでもない。それでは単なる記念館に過ぎない。

福井謙一先生の業績を今振り返ってみると、先生の研究態度、研究の姿勢からは、新しい分野での他に例のない優れた研究を達成するには、どのようにすべきであるか、さらには、大学での教育はどのような方向を目指すべきか、を知ることができる。福井謙一先生は太平洋戦争直前の混迷している時代に、京都大学工学部工業化学科に入学された。そのいきさつは、よく知られているが、概略を述べさせて頂く。福井謙一先生の大学進学にあたり、お父様が遠縁の京都大学工学部工業化学科の喜多源逸教授を訪問され、「高校でドイツ語を学び、数学が好き」であることをお話しになり、「大学のどの分野に進学させたらよいでしょうか」と尋ねたところ、「それは両方とも化学をやるのにもってこいの好条件であるから、私のところへよこしなさい」と言われたことから、京都大学工学部工業化学科へ入学を決められたとのことである。当時も、そして現在も、数学が得意なら、化学へ行けと言う発想はなかなか出てこないだろうと思われる。しかし、よく考えて見ると、化学において数学は、他の分野以上に重要な面があり、化学における数学的視点の欠如は化学の発展に致命的な弱点であり、数学的視点の導入が化学の飛躍的な進展をもたらすことを喜多先生は感じておられ、それを福井先生が理解されたのだろうと思われる。また、「数学が得意なら化学へ進学しなさい」というアドバイスは、今で言う「異分野の融合」を意味していたといえる。実際、福井謙一先生のノーベル化学賞受賞の功績となったフロンティア軌道理論は、物理学分野に近い量子化学を有機化学分野での問題に適用する中から生まれたものである。同じ化学分野の中とはいえ、量子化学と有機化学との対話の中から生まれたことも異分野での共同研究がいかに重要であるか、を示している。また、いまでこそ量子力学、量子化学は化学分野で欠くことのできない重要な学問になっているが、第2次世界大戦当時において、工業化学科の学生が、他学部の講義を聴き、自ら量子論の修得に励んだこと、そして、それが有機化学の問題を解くことに力を発揮したことは、基礎学問がいかに重要かと言うことを示している。福井謙一先生の提案されたフロンティア軌道理論は、化学分野へ数学的視点を導入し、一見化学と無関係な基礎的学問であった量子力学から誕生し、その成果は、いまや、化学のすべての領域で必要不可欠な理論となっている。企業での研究開発でもフロンティア軌道理論は針となっている。言い換えると、異分野の融合、基礎学問からの成果、それが工学分野でも欠くことの出来ない法則になっているのである。従って、福井謙一先生の生き方、研究成果そのものは大学の教育・研究に本質的な示唆を与えていただいていると考えている。

多くの皆さんは福井先生を量子化学、理論化学の研究者と考えていることと思うが、福井先生は実験化学で卒業研究を始められたし、学位論文は化学工学的な「化学工業装置の温度分布に関する理論的研究」であり、化学工業装置の適切な設計計画を導くためのものである。教授になられてからも、ご自身の研究室でも実験的研究をおこなわれ、初期の研究段階で発表した応用化学分野の実験的研究の論文も160編以上に上る。そして、「この経験が実験化学者と専門的な議論をすることに役に立った」とお話しになり、また、常に「実験結果を大事に」と研究室の学生に話していらっしゃったとのことである。これらの事実も、福井先生ご自身が広い視野を持ち、そめ広い視野がいかに科学の深い研究に役立つかを示している。

 

福井謙一記念研究センターの運営に参加して

ノーベルスピーチをする福井謙一先生

もう一つ、忘れてならない福井先生のお言葉に触れておきたい。ノーベル化学賞受賞後、いわゆるノーベルスピーチを3分間するそうであるが、その中で、先生は化学の進むべき道だけでなく科学における倫理観を以下のように述べていらっしゃるのである。「化学自身、次のことをまったく十分すぎるほどわきまえているのです。地球の資源とエネルギーの欠乏が人類の調和を脅かしかねないという恐れが現に存在することを考えますと、化学が地上に真の平和を確保するために寄与すべき立場にあることは明らかであります。私どもは科学のあらゆる分野が人間に幸せをもたらし、決して災害をもたらさないことを祈るものです。この精神のもとに、私どもはこの最高の栄誉を―平和という大目的のために―私どものためばかりでなく基礎化学の全研究者のために受けたいと思うのです。特に人類の将来がかかっている若い研究者のためにこれをお受けしたいのです。私どもは、これらの方々がその叡智を意のままに駆使して地球の遺産の保全と人類の永遠の存続のために働いてくださっていると信じます。科学の研究の応用における善、そして―もしあるとすれば悪―の区別をもっともよく見分けるのが、科学の先端的な領域に働く研究者としてすぐれた人たちなのです」(福井謙一著「学問の創造」(佼成出版社)から引用)。ほとんどの部分は英語で話されたが、この最後の1文のみは日本人に直接聞いてもらいたかったので日本語で話したとのことである。微妙なニュアンスをわかって欲しかったとも述べている。この言葉の中には科学における倫理感の大切さ、科学の進むべき方向性、科学者の責任が示されている。

当福井センターでは、福井謙一先生が自ら示されてきた、基礎学問の重視、異分野の交流・融合、そして、普遍的な法則・本質へのアプローチ、科学における倫理観の育成を、若い研究者に実践して頂く機関として存在していきたいと考えている。大学における教育・研究は多様に満ちており、様々な取り組みが行われているが、その中にはやはり、福井先生が自ら示されてきた基礎学問の重視、異分野との交流・融合、本質へのアプローチ、普遍的な法則性・一般的な概念の解明、そして、科学における倫理観の重視という視点は何時までも忘れてはならない基本的なものである。福井センターは微力ではあるが、そのような大学の教育・研究の原点ともいえる方向性を常に内外に示し、自らも実践していく研究機関でありたいと考えている。

(教授・分子工学専攻〉