京大時代を振り返って

松岡 譲

松岡先生写真私は、1969年に京都大学工学部衛生工学科に入学しました。それ以後、下に述べるように、数年間ずつ外へ出ていたことはありますが、2016年の今日まで奉職しておりますから、都合、47年間、京都大学に、直接・間接にかかわって来たことになります。

入学・教養部時代の大学騒動は、他の方がお書きになると思いますからカットして、私の教室では、3・4回生の時にも土木系図書「臨職問題」や、「毒物たれ流し問題」などが続き、落ち着いて授業を受ける時代ではありませんでした。2/3以上(いい加減な値です)の科目で、物理的にも内容的にも授業や試験が出来ず、従って先生のほうも、教えたことの如何に拘わらず単位を出さざるを得ませんでしたが、こうした体験は、内容はともかく、その後、40年続くことになった私の教師としての大学感に大きな影響を与えざるを得ませんでした。

しかるに、時代は、右肩上がりの真最中、東京に行って会社めぐりをすると大金が入り、入社試験前日には会社から明日の試験内容を教えに来られ、受験し研究室に戻ったら内定通知が来ている時代でしたから、私たち学生は当然のこと、もしかしたら先生方も世の中を舐めていたのかもしれません。

この甘い夢はすぐ終わりました。オイルショックとそれに引き続く大不況です。私は、74 年夏の院入試で博士課程進学を決めていたので、直接的な被害はありませんでしたが、就職内定をもらっていた同級生は、秋ぐらいから軒並み内定取り消しを食らい人生を大きく変えました。さらに、この不況は、すぐではありませんでしたが、教室(今の専攻・コースのことです)の運命も変えました。世の重要課題であった公害克服は、経済回復に取って替えられ、そのための研究者・高度技術者のニーズはぐっと下がりました。私の次の年の75年博士課程受験者は9名いましたが、2名しか合格できませんでした。博士後の就職先がないだろうと親心だったと思います。続く年もそうでしたが、こうしたことは衛生工学(後に、環境工学と改名しました)の力をぐっと弱め、次に環境ブームとなった1990年台での活動基盤を失った大きな原因になりました。

それはともかく、70年台後半から80年台にかけては、就職できそうな学科・研究機関新設はほとんどありませんでしたから、良かろうと悪かろうと母校にしがみ付いて雌伏の時を過ごすしかありません。76年に幸いにも助手ポストが空き、そこに奉職させていただきましたが、以後、首にならないように、言われたことは二つ返事で答え、従順かつ馬車馬のように勤めるよう努力しました。勤め始めるとき上の先生方に言われたことで覚えていることを挙げますと、1)朝は10 時位までには来い。しかし、無断欠勤したらすぐに首にしてやる(これは、当時話題となっていた竹本処分問題の話をしたときのことです)。2)授業は、クラスの中で一人か二人だけがわかるレベルにしろ、それ以外はテキストで勉強すればよいので授業する意味はない。3)論文は一年一報ぐらいが適切、よけい書くと筆が荒れる。4)出張は勉強のジャマにならないよう一年に一回以下にしろ、などです。その他もあったと思うのですが、印象深いことだけが記憶に残っているのでしょう。当時は、さすが、京大は違うと思いましたが、今となっては全くトンチンカンな話なのでしょう。

1981年から1984年にかけ、国立公害研究所(現在の国立環境研究所)に行きました。相手側の研究員の方との人事交流でしたが、他の職場を知らなかった私に取っては、異分野・類縁分野の方々とマジになって議論をしたり、研究内容がダイレクトに行政に反映されたり、大変、勉強になりました。後に、教授になり教室人事に関与できるようになったとき、同様の話を進めようと努力しましたが結局はうまく行きませんでした。だいぶ変わってきましたが、学問・研究に関する研究室の壁は依然として強固で、また環境工学の場合、これが大学・学会・業界事情と強く絡みあっていますから、人事流動化と一言で言っても、現実的に難しいところが多々あることはわかるのですが。

1995年から1998年の間、名古屋大学に行きましたが、全く同じことを思いました。さらにこの場合は、教授になったことと、まわりに、学生からの私を熟知されている先生方がおられないことの両方が相俟って青空が開いた感を持ちました。同じ教室のやはり京大から来られた先任教授の方も、同じことをお話になりましたから、私だけの特異現象ではないと思います。ただ、京都大学から戻ってこいとのお話を頂いたとき、少し考えはしたものの、すぐに帰ることにしましたが。

私は、本来、性怠惰で、規制や強制力がないと、サボるようにサボるようにしてしまいます。任官時、上司に言われて覚えていることが上に書いたことだけというのは、その証拠です。そう言った意味から、学生時代からの恩師や先生方がおられる職場でビシビシとしつけられ、たまには外の空気を吸わせていただいた私の40年間は、大変ありがたいことでした。昨今の大学制度改革や授業実質化とかは、私のような怠惰の者にとっては、大変、望ましく有難いことですが、皆様のように勤勉克己の方にとっては要らぬお世話だとも思うのですが。

(名誉教授 元都市環境工学専攻)