教育畑?

副研究科長 大嶋 正裕

大嶋先生写真今、私は、教育担当の副研究科長を仰せつかっている。それに関連して、本部の教育研究評議会をはじめとして、さまざまな委員会や協議会の委員を任され、その職務を果たさねばならない状況にある。最近、ある後輩教授から、「一番、教育管理とか研究科運営とかが似つかない先生が、なんでこの道に進んじゃったんですかね?」という問いかけがあった。思わず「確かに・・・、なんでこうなっちゃったんだろうか?」と自問してしまった。

はじまりは、キヤノン・京大医工連携プロジェクト(通称CK プロジェクト)にあったように思う。2006 年、CK プロジェクトの立ち上げのために、西本清一先生(2006 年~ 2007 年研究科長)と伊藤紳三郎先生(2014 ~ 2015 研究科長)がCK プロジェクト推進委員会を組織した。その委員会に加えられたことがすべての始まりかもしれない。単に、「医工学への応用研究に興味があります」と、とある場所でお二人に申し上げたことが、推進委員会に加えられた理由だと推察する。それまでは、私は、学部の教育制度委員会が何をする委員会かも知らない、部局の管理運営などとは程遠い、ノンポリのひら教授であった。当時は、恩師であった高松武一郎先生(故人)や橋本伊織先生が与えてくれた「人間能力無限大」、「理想を目指して最善を尽くせ」、「一流になれ」という厳しい教義を信じて、教育のことや専攻の運営に手を抜いたとまではいわないが、正直、研究に多くの時間を費やし、“必死のパッチ”で自分の研究の軸を創ろうとしていた。

CK プロジェクトで西本先生と知り合った縁(?)で、西本先生の執行部(運営会議メンバー)の末席に加わり広報担当の任を仰せつかった。2 年間、運営会議メンバーであったが、研究への未練が大きかったためか、専念できず、たいした働きもできずに終わった。

再び、運営会議のメンバーとして呼ばれたのは、北野正雄先生が研究科長のときの2 年目からで、私の役務は、学事暦の見直しであった。これも、ある先生に、「フィードバック授業期間などというやり方ではなく、しっかりと単位の実質化に取り組まないとだめでは?」と意見申し上げたことが、北野先生の耳にはいって、それならと執行部にと、加えられたらしい。“口は災いのもと”の最適事例ともいえる。このとき、学事暦の見直しという命を果たすために、学部の教育制度委員会に常時出席した。そこで、自身が所属する学科や専攻以外での教育の考え方を学び、それぞれの学科でさまざまに工夫をされた教育を進めていることを知った。また、この委員会が学部教育において実に重要な意見交換の場であることをこのときに遅ればせながら認識した次第である。学事暦については、当時、学部への1.5 単位化の導入を検討したが「無理」という結論に至ってしまい、何ら手が打てない状況のまま終わった。のちに、このとき議論したことがベースとなって、大学院学事暦見直しで、化学系だけだが科目の1.5単位化を導入できた。だが、当時は議論しただけに終わってしまい、無駄な時間を費やしたと思われた教育制度委員の先生も数多くいらっしゃったのではないかと憂う。今更ながらだが、お詫びしておきたい。結局、大した貢献もできなかったこともあってか、北野先生から伊藤先生に研究科の運営がバトンタッチされる引き継ぎ会の場で、大役を北野先生から仰せつかった。「理学部で5 年ぐらい前からやっている高大接続活動をJST の助成事業として全学展開したい。ついては、工学部のとりまとめを大嶋君にお願いする」というご発言があった。いわゆる、ELCAS 事業への工学部の参加のとりまとめの下命であり、私としては、寝耳に水であった。あとで実際のところを漏れ聞くと、働きが悪かったことへの仕打ちではなく、何かの勘違いで北野先生は私を担当指名してしまったとのこと。

さて、このELCAS 事業は、SSH 校からの推薦や簡単な試験をして理系の科目に興味のある150 名近くの高校生を全国レベルで選抜し、隔週土曜日に大学に呼び、講義を聴くだけでなくhands-on で実験をして、最先端の科学に触れてもらうためと京大の良さを知ってもらうための高大接続活動である。「これに参加する子たちは、とても優秀な子たちですから、未来の研究室の学生となる可能性が大です。未来の研究室の学生を4 ~ 5 年早く教えるつもりでお願いします」と屁理屈を説いて、多くの先生にご協力いただいた。工学部には、高校生の理系の啓蒙教育に理解の深い先生が数多くいらっしゃることで救われ、無事、工学も参画してELCAS が走り始めることができた。今、このELCAS 事業の世話役は、副研究科長の鈴木基史先生にわたり、鈴木先生の御尽力で順調に進んでいる。JST のELCAS 事業への助成は、2017 年度で終了するが、その後の継続を本部が決めている。皆様の理解を得て、工学部としてもうまく継続していけることを望んでいる。

北野先生の後、工学研究科の運営は伊藤先生が引き継がれた。伊藤先生の執行部では、ある意味で一番大変だといわれる学生生活委員の役(第3 小委)を仰せつかった。この時期、先輩教授から「なんで君が執行部にいるの?選ばれ方が不透明だ。公明正大にやるべきだ」とおしかりともご注意とも言えるお言葉をいただいた。「確かに・・・、なんで私が運営会議メンバーにいるのだろう?」と、またまた自問してしまった。いただいた言葉は、「実力も部局への貢献度もないお前がなんで執行部にいるのか」という意味のことと解釈ができ、少し落ち込んだ。しかし、悩んでも仕方がない、ここは、恩師の「理想を目指して最善を尽くせ」の教義に従い、この立場でできる仕事に最善を尽くすしかないと開き直った。かなりの時間をこの役務にかけた。第3 小委とは、いわゆる、寮対応の委員会である。“団交”や“確約書”などという死語だと思っていた言葉を使って仕事をした。4 ~ 5 時間にわたる団体交渉(団交)や、警察の寮への“がさ入れ”に対して、学生の逮捕者が出ないように機動隊と学生の間に身を入れるなど、人生初めてともいえる経験をいろいろさせてもらった。吉田寮で、カレーライスをごちそうになり、吉田寮設立の経緯や現状のレクチャーを寮生から受けたのもこの時である。学生の不祥事への対応も学生生活委員の役務であり、警察署からはじまり刑務所、裁判所にまで、事務の方々と一緒に通った。知らなくてよい、“留置所”、“拘置所”、“刑務所”の違いをしっかり学んだのもこのときである。ノンポリのひら教員では、経験できない経験をいっぱいさせてもらった。そして、2016 年に公明正大に選挙で評議員に選ばれ、北村隆行研究科長の執行部に加わったのである。

現在、副研究科長の役務で、学部ならびに大学院の教育制度委員会の副委員長として、毎月、教育制度委員会を主催して、教育に関することを議論・決定している。1 回の会議時間が3 時間近くになるときもある。過去からずっと委員会で議論してきたはずなのになぜこんなに議論することがあるのと思うことがしばしばあるが、定例の議題に加え、毎回いろいろあらたな議題が出てきて、とりわけ学部の教育制度委員会は長時間になる。2016 年度の大きな議題としては、「成績不振学生への通知のありかた」、「GP の導入による不受験等の運営の問題」、「3 ポリシーの改訂」などがあった。やはり、教育のやり方を議論するには時間がかかるし、逆に、時間をかけて慎重にやるべきことであることだとわかった。教育に関して、この委員会で中長期的に議論していかねばならない問題が山積している事もわかってきた。学部では、思いつくだけでも、「高専の編入試験の再考」「変化するセンター試験への対応」「実験系科目の受講生の減少対策」「学事暦」などの課題、大学院では、「グローバルリーダーシップ大学院工学教育推進センターの改組」「1.5 単位化の促進」「卓越大学院」など枚挙にいとまがない。これらの問題をうまく解決して、よりよい教育環境を作っていかねばならない。大変な作業である。

このように執行部の仕事は、確かに大変である。しんどいと思う中で、よかったと思うこともいくつかある。まず、一番は、いろいろな先生と知り合えてお話しできたことである。単純に言えばネットワークが広がったことといえるが、自分とは考えを異にする人の意見を聞けたことは、「へえっ、そんな見方をするんだ」、「わっ、かしこ」と思わず口に出してしまいそうになるような会話もいっぱいあり、とても刺激的だった。もうひとつよかったと思っていることは、我々が教育と研究のプロフェッショナルなら、事務の人々は、我々の活動をサポートするプロ集団であるということを認識できたことである。当然であるが、教育制度委員会の運営は教務課の方々のサポートなしには絶対できない。昔、航空機の半券の提出やクレジットカードの明細書の提出を事務から求められたとき、ややこしいことを言ってくるなと立腹したことがある。こうして事務の方々と仕事をしていると、事務方の中に教員を困らせようと思って仕事をしている人はひとりもいないこと、皆、我々教員や部局を守るために一生懸命仕事していることを実感した。みなさんも、教育、会計、庶務、総務のことで困ったら事務方に相談すればよい。彼らもプロであり、最善の策を見つけてくれる。

こうして今までの自分の歩んだ道のりを振り返ってみると、ところどころで、一言多かったことがわかる。また、「人間無限大」や「最善をつくせ」という霊符が、キョンシーではないが、おでこに貼られていることにも問題がある。“人間の能力は無限大だから、どんな仕事も受けられるはず。そして頼まれたらその仕事には最善をつくす。”そのばかな教義を嘲笑しながらも守ってしまう自分がいたことが今に至った最大の原因であろう。

歳をとってきて、身体に少しガタが来ている今、もうそろそろ、額に貼られた「人間能力無限大」のお札を外し、ほかの人に張り付けるときかもしれない。そうして、次の世代を育てることも教育畑の人間として、やるべきことのように思う。

(教授 化学工学専攻)