音の研究40年

高橋 大弐

高橋名誉教授写真研究生活全般のこと

1975 年は修士課程に入学した年であり同時に音の研究を始めた年でもあります。通常は卒業研究で入った研究室の研究テーマに従って卒業論文を仕上げ、その延長で進学し研究を継続することになりますが、どうも私は違っていたようです。もともとは建築設計に興味があり、その線でやっていく予定だったのですが、上には上がいるということを思い知り環境系を目指したわけですが、設計に区切りをつける意味で卒業論文ではなく卒業設計を選択しました。したがって1975 年が音の研究元年ということになります。

音についてはそれほど強い希望で始めたわけではなく、オーディオに興味があった程度です。建築学の環境系は建築に関わる音・光・熱・空気・色の問題を主に研究する領域で、当時は環境系全体がかなりこじんまりしていました。したがって環境系の全研究室一体となった活動が多く、週1 回は全体ゼミがあり熱い議論が交わされていました。教員を含む先輩たちの研究に対する熱意が私たち学生にも伝わってきました。その影響が多大であったということを今つくづく思い知らされます。難しい本を教材とした各種ゼミ。それに取り組む姿勢に感化され、勉強しなければという思いが自然に湧いてきたものです。その当時の私を含むほとんどの学生が同じ道を歩むことになったことは、やはりその環境が自然とそうさせたのかあるいは同じ志を持つ仲間が偶然集まってそのような環境を形成したのか、もし前者とすれば周りの環境の影響がいかに大きいかということになります。そのような場にいてまず感じたことが自分のこれまでの勉強が何であったのか。あらためて、特に音に関する数学・物理の勉強をし直しました。また、数学・物理は単なる道具であり、それを使うことで多彩な表現が可能であるなど、有用な道具として機能することが初めて理解できました。数式だけでなく、それを使ったプログラムにより具体的な結果が出ることに道具としての役割が理解できたこともこの時期の収穫です。その意味では数学・物理がコンピュータにより単に理論ではなく現象を再現する道具として機能することに強く惹かれ、その後の研究の方向も今考えればこの時点で決まったような気がします。

当時は建築系教室の隣に大型計算機センターがあり、そこへ紙でのパンチ入力で日参しました。その後、多分1990 年代かと記憶していますがTSS と呼ばれる電話端末による入力に代わり、さらにインターネットによるLAN、そしてPC によるパーソナル化へと移っていくことになります。処理速度も含めIT 技術による進歩をそのまま体現したような思いがします。

実験のこと

音響学は計算のみでなく実験も必須です。音の実験はその準備に多くの時間を費やす一方、その後の入力から結果までは秒単位、長くても分単位です。研究生活を続けていく中でかなり後になってのことですが、すぐ答えが出るというこの即答性は短気な私の性格にぴったりの分野だと気づきました。音の研究を選んでよかったとつくづく思ったものです。1970,80 年代の音響実験は本部構内の旧工研と呼ばれる場所にありました。今は「総合研究実験棟」と呼ばれる辺りでしょうか。冬の実験ではダルマストーブに石炭を入れて暖を取ったことを思い出します。その後1985 年頃、坂記念館の2 階に無響室を含む環境系の実験室が新設されましたが、私はその年から福井大学へ移りました。福井ではまったく一から実験設備を整備していかなければなりませんでした。無響室を含む音響実験に関係するハード・ソフトの多くを手作りで整備しました。この頃のやり方が現在にも生かされているような気がします。1997 年京大へ着任したときから桂キャンパス移転までの約10 年間は吉田キャンパス坂記念館2 階の実験室を使用することになります。2006 年に桂キャンパス移転で桂キャンパスC2 棟地下の新しい音環境実験室に移り現在に至っています。音響実験の多くは信号データ取得とその後の処理・解析にあります。この30 年におけるデータ処理技術の発展は目を見張るものがあり、例えば相関関数の計算、これは私が研究を始めた頃、その最初の実験に関係したことですが、単に波形を読込んでその相関を取り相関波形を表示するという単純なことが、当時は重さ数十キロもする相関計を使用しなければなりません。もちろんその頃はほとんどがアナログの世界ですのでそれが普通の実験風景ということになります。それがいまではAD 変換によりPC の中でほとんどの機能を含んで自由に数値的な処理が可能です。時間・経費・汎用性、どれをとっても格段の進歩といえます。音響に関するほとんどの処理がPCでできる今となっては信号解析に係る専用の測定器はほとんど不要となっているのが現状です。PC 内でのプログラムは趣味と実益を兼ねたような世界で、時間を忘れて没頭することも多々ありました。

学生のこと

卒論、修士・博士論文での学生に関わることを生業とするこのような職業では、いろいろな学生と接する中から、逆に多くのことを学生から学んできた思いがします。研究に関する学生の取り組みという一面から見たとき、彼らはいくつかのタイプに分類されます。1.最初から最後まで独学独歩で全て独自路線を貫く。2.基本的なことを教え込みそれを土台として後は放っておけば自ら課題を見つけ自分で勉強して解決までに至る。3.テーマを与えることで、後はそれに関連する事項を自分で勉強し解決まで持っていく。4.テーマを与え関連事項を教え、ある程度まで軌道に乗った段階で託す。5.最初から最後まで手取り足取りで研究論文までに仕上げる。今まで出会った学生ではほとんどが4.でした。2.3.が数名、1.は1 名のみ、そして5.も数名います。教育する側としては1,2 あるいは3 までであってほしいと思いますが、いろいろな段階があるということを認識し、柔軟な対応が必要であることは言うまでもありません。できれば1,2 の学生を増やすことを考えた教育ができなかったものかと今になって考えることもあります。しかしどのタイプの学生であっても、学生に対しては一方的に教えるのみでなく学生との接触の中から新しい発見もあり逆に教わることも数多くありました。たとえ5.の学生であっても教えるその過程で新たな方向性がもたらされることも多々ありました。その後の研究にどれほど役に立ったか分かりません。ここに感謝の気持ちを記しておきます。

(名誉教授 元建築学専攻)