2年間を振り返って,さらにこれから…

研究科長 大嶋 正裕

大嶋研究科長

 工学部長と工学研究科長に就任して2年経った。就任当初よく見た妖怪や怪獣に追いかけられた悪夢も1年過ぎたころから見なくなった。その代わりというわけではないが,午前4時ぐらいに目が覚めてしまい,あれやこれや考え,朝まで時間を過ごす日が増えた。「単に老化が進んだだけ」と妻は言うのであるが,ともあれこのような眠れない夜も,2020年の3月で終わると思っていた。ところが,この度の研究科長選挙で再選され,更に一年,この職を任されることとなった。

 研究科長を被選挙人の一人とし,再任された場合の任期は1年とする条件を付けた研究科長選挙制度は,前研究科長の北村先生のときに決められた制度で,工学研究科史上,初めて実施したものであった。 再任された当人としては,ほっとした気持ち半分,“ふうぅ”と思う気持ち半分である。再任された意味を,「この2年間,必死のパッチでやってきた(本人はそう思っている)ことが,全否定されなかった」と考えれば,「良かった。ほっとした」という気持ちになる。一方,800mを全力疾走し,“ゴール”に飛び込もうとしていた矢先フィニッシュラインが動いて,「もう一周(400m)!」と言われたようなもので,正直, ため息が“ふうぅ”と思わず漏れてしまうような気持ちである。しかし,「もう一周走らなあかんのか…」ではなく,「よし!あと一周走るぞ」と気持ちを切り替え,更なる一年に臨もうと思う。

 これからのことを考えるため,この2年間の備忘録(記録ノート)を見返してみた。2年前の2018年の春は,入試ミスに伴う転学科や転入学の騒動があった。他大学のように長期にわたる大きな問題も起こらず転学科や転入学の措置を進めることができた。 対象となった学生たちも,今,工学部に溶け込んでくれていると思う。この陰には,本部の学生部長(田頭さん)によって,きめ細かい配慮や保護者や当該学生との不断の面談が行われたこと,教務事務職員や当該学科の先生方の配慮や尽力が今でも続いていることは忘れてはならない。

 備忘録には,若手の定員増についての議論の記録が数多くあった。大学本部から提供される若手重点戦略定員を確実に確保し,工学研究科の若手教員の数をさらにどう増やすか?の議論であった。最終的には,“青藍プログラム”と称したサバティカル制度を導入したプログラムを作り上げた。このプログラ ムの名前は,“青は藍より出でて藍よりも青し”とい う荀子の言葉(出藍の誉れ)から付けられたのだが, これは,博士課程で数多くの学生を育てた中條先生 の退職記念講演会で,先生がお弟子さんに言われた 言葉であり,その言葉が私の心に残っていたことに よる。また,工学研究科の定員規模の大きさを活かした,このプログラムの根幹部分は,実は研究科の総務課職員の方々からの提案であった。私は,それに乗っただけである。すなわち,退職記念講演へのたまたまの参加(人との出会い)と,私の周りにいるスタッフに支えられて出来上がったプログラムであった。

 保健室活動の拡大についても同様に私はLucky だった。保健室は,材料工学専攻の田中功先生の尽力により,私が研究科長に就任した2018年にはすでに吉田の物理校舎に設置されていた。その活動を受けて,桂キャンパスに2019年の春に新たな保健室を開設,さらに,2020年度には吉田キャンパスに吉田第2保健室を開設することになっている。このように活動を拡大できたのは,何よりも保健室を担当してくださっている養護教諭の文榮さんや中谷さんの努力があってこそであり,その努力のお陰で,工学研究科はもとより情報学研究科,さらには本部の理事の先生方から保健室活動への理解と賛同が得られたことにある。もう一つ,私にとってLucky だった点がある。2019 年に養護教諭のポストが,時限で本部から措置されたことである。そのお陰で,桂に保健室を開設できたのだが,この措置の申請の提出を促してくれたのが,当時の研究科の疋田部長と事務部の方々であった。またしても,周りに支えられた結果なのである。

 桂図書館についても“運”に恵まれた。桂図書館の建設は,2016 年度に文部省から予算措置され決定し,2020 年度の春に開館の予定で進められていた。しかし,建設費が足りず,その次には,内装や本棚などの整備費が文科省から措置されず,全くお金が足りない状況となった。どういうわけか,大学本部は,“ある程度のお金を研究科からも出せ,汗をかけ”というような要求を研究科に言ってきた。“お金を出せ,出さない(出せない)”の押し問答の結果,本部と研究科との関係は険悪になっていった。そのようなとき,米国で大成功を収めた卒業生の篤志家が救世主として現れた。我々工学研究科の苦境をその方にお伝えしたところ,大口の寄附をして下さり,桂図書館のメディアクリエーションルームが実現できたのである。現金なもので,その寄附によるおかげで,本部と工学研究科の関係も180 度変わった。

 このように,“周りからの支援”と“運”に恵まれて出来たことは,これらの他にも,音声認識同時翻訳授業支援システムの開発,Aクラスターの中庭整備,大型スクリーンのリニューアル,新広場プロジェクト,桂図書館の外構など,枚挙にいとまがない。さて,これからの1 年も今までと同じように,“支援と運”に恵まれるだろうか?

 私は運命論者でも,敬虔な宗教信仰を持っているわけでもないが,“運・鈍・根の教え”には学びたいと思っている。“運・鈍・根の教え”とは,「“純”に生き(鈍くさくてもいい,本気で,ごまかさずに生き),“根”気よくへたばらずに行動し続ける。そうすれば,そこに“運”がついてくる」というものである。

 2020 年春,世間はコロナウィルス感染のことで,てんやわんやである。大学におけるイベントも軒並み影響を受けて,研究科長としての判断を求められることも多い。一つの試練である。これからの1 年,このような試練がいくつあるのだろうか。研究科長に再任されたのも2020 年度の最初で最大の試練ともいえよう。さらに,工学部・工学研究科には「留学生の内数・外数に絡む問題」「桂に国際交流会館の設置」「材料工学専攻や情報学研究科の移転問題」など,解決できていない課題が山積している。

 私としては,これらの試練に“純”に“根”に,取り組むしかない。もたらされる“運”は神様に任せる。しかし,周りからの支えがなく孤軍奮闘では,様々な問題は解決できず,物事は進まない。やりがいも仕事をする喜びも湧いてこない。是非,あと1 年間,皆様には,引き続きのご協力とご支援をお願いしたい。