初心

名誉教授 北村 隆行

北村隆行先生

 定年にあたっての記事の題に初心というのも奇妙なものですが,諸先輩や会社の知人の例を見ると,退職記事には子供の頃,学生の頃,研究・仕事を始めた頃,の思い出が結構多いのです。学術や技術の区切りに辿り着く時には,昔のことを思い出すのが人情というもののようです。

 

道不迷

 そこで,私も半世紀近く前の入学の頃の話から始めます。名付け親という縁もあって,高校生の頃には相国寺の管長さん(当時)に毎年会ってお話を伺う機会がありました。したがって,私が受験に苦労していたのもご存知で,京都大学に合格したのを自分の孫のことのように喜ばれ,「道不迷」と揮毫をいただきました。直接的で簡単ということなのか,本来の意味や意図・経緯は説明してもらえませんでした。学生の時は気になりませんでしたが,東京で働いていた時に先生から大学の職を提示していただいた瞬間,留学先に悩んでいた時に国際会議会場で会ったNASA のシニア研究者を目の前に「雇ってほしい」と下手な英語が頭に浮かんできた瞬間,等々の瞬間を重ねるごとに奥底に浮かぶ言葉になりました。どうやら,優柔不断な私,くよくよと自分の行動を後悔する私,それらを管長さんに見抜かれていた,と思いあたりました。そこで,私流に勝手に解釈しようと決めました。未来へ続く道は多数無限にあり,選ぶことができる。しかし,実際に選べる道はひとつだけ。悩み考え込むのは良いことだが,その一つに決断する瞬間には迷ってはいけない。事前は考え込み,事後は後悔するが,歩いている道はひとつだけと思いきる。駑馬が自らに鞭打つ初心となりました。

 

麒麟

 初心と言えば,能の芸道を一筋に究める者の心得を書いた風姿花伝の中に,「年来稽古条々」なる章があり,求道者としての心構え等が年齢ごとに書かれています。芸の道と研究の道とでは事情は大きく異なりますが,研鑽への心構えとしては頷くことが多数あります。ただし,人の健康や時代背景などを勘案すると,書かれている年齢を1.3―1.5 倍に換算した方が現実的でしょう。

 世阿弥は,エリートでも17―18 歳(換算20 歳代後半)で最初の難関がやってくる頃だと言います。それを我慢と努力で切り抜けると,24―25 歳(換算30歳代後半)で調子が出てきて周囲からも認められるそうです。初心の言葉はここでの慢心を諫める意味で現れますが,こちらは麒麟の初心です。なるほど,初心にも色々ありそうです。

 

塞翁が馬

 一転して研究最盛期のこと。

 教授に昇任する前後に,分野の都合から研究課題を変えなくてはいけなくなりました。ほぼ同時期に,私的には今までの死生観や価値観をひっくり返す大変な時期があり,自分を変えることを余儀なくさせられる状況になりました。天は2 つ目の初心をもつように言ってきたようで,抗する術はありませんでした。風姿花伝は,44―45 歳(換算60 歳前後)になってから,「このころよりの能の手立て,大方かわるべし。」というのですが,40 歳代で追い込まれてしまいました。一方,周囲の厳しい強制的環境変化と40 歳後半という駑馬でも比較的対応能力が残存していた年齢だったお陰で,流れの中で力まずに第2 の人生と自然に割り切ることができたのが不思議なほどです。

 そのときに,ナノの世界の破壊という課題を選びました。単にある学生が面白いと言い,自作で始めたシミュレーション画像に研究室中の学生がゲームを楽しむような眼で集まってきたからでした。ただ,当初,自分は半信半疑,すぐに脱出できる半身態勢で研究を始めました。しかし,若者の感性は畏るべしです。その課題に魅かれて次々と最優秀な学生が研究室を志望してくれることになり,解析に実験にと楽しい成果を次々と眼前に並べてくれました。彼らの多くが国内外の大学教員や企業研究所で活躍しているのが大きな自慢です。風姿花伝は,自分の能を変えて「脇の為手に花を持たせて,あひしらひのように,少な少なとすべし。」と言うのですが,実際に研究で育ててもらったのは私の方です。不器用な私には,若手が主役で実験も解析もやってもらい,後ろから心配げに眺めているより他に手段はありませんでした。その頼りなさがよかったようで,泥濘で苦しむ駑馬を麒麟たちが苦心惨憺して引っ張り上げてくれました。

 京都大学の教育は研究を用いた指導にあり,その研究は若者からの刺激による発想やエネルギーによって進展することを,身をもって感じました。その教育と研究が不可分である相乗効果を知ることができたことは,京都大学の根幹に接したような気がして,大変幸運に思っています。

 

花は残るべし

 さて,世阿弥は,50 歳を過ぎる(換算定年後)と老いては麒麟も駑馬にも劣るという名言を用いています。仄かに嬉しい気持ちがするのは駑馬の嫉妬でしょうか,それとも努力の義務から離れる解放感でしょうか。ただし,「物数は皆みな失せて,善悪見どころは少なしとも,花はのこるべし」が大事であると指摘もしています。定年というのは,老を指すと同時に,組織を離れて個に帰ることをも意味しています。今後は,天の指し示す流れに従って「個」としての自由を活かして働き,自然体を保持することが第3 の初心と思い定めています。そして,研究に残る余韻を楽しく考え続けたいと思います。

 ありがとうございました。

 

(元機械理工学専攻)