Vision & Value

名誉教授 田畑 修

田畑名誉教授

 京都大学大学院工学研究科には,2003 9 月から16 年間お世話になった。振り返ればあっという間の16 年であった。2019 9 月末に早期退職し,今は京都先端科学大学に勤務している。2018 1 月から京都先端科学大学工学部・工学研究科新設に従事し,2020 4 月の開設準備に奔走している。この経緯は電気学会部門誌E の座談会1で紹介しているので,ご興味があればご覧いただきたい。この広報が発行される頃には工学部・工学研究科第一期生を受け入れているはずである。本稿では,早期退職を機に考えた自分なりのキャリア観「Vision & Value」について述べることとしたい。

 京大に在籍していた16 年間のうち,合計すると1年以上を過ごした海外の地がある。立命館大学在籍中の2000 年にも4 ヶ月滞在したので,合わせると1年半弱滞在したことになる。それはドイツの西南,ライン川沿いのFreiburg(フライブルク)と呼ばれる人口23 万人の小都市である。フライブルク大学,教育大学,音楽大学,ゲーテ・インスティトゥートなどがあり,人口の13%,3 万人が学生の「大学のまち」である。京都市も38 大学を擁し,人口に占める学生の割合が10%強と日本一の「大学のまち」であるが,それを上回る学生比率である。

 フライブルク大学には小生の専門とするMEMS/マイクロシステムに特化した学部Institute of MicrosystemTechnologyIMTEK)がある。IMTEK1995 年にカールスルーエ大学(現在のカールスルーエ工科大学)のWolfgang Menz 教授が設立した。IMTEK を意識したのは1997 年である。スイス連邦工科大学のHenry Baltes 教授の研究室が主催したWorkshop に出席した際に,たまたまMenz 教授が研究室を訪ねてきてIMTEK の概要をプレゼンした。カリキュラム,教員配置,設備・建物のすべてに渡る学部新設の壮大なストーリーに心をときめかせたことを今でも鮮明に覚えている。一方,Baltes 教授は2004 年,スイス連邦工科大学にBiosystems Science and Engineering 学部を新設した。この時の苦労話をBaltes 教授から何度も聞かされた。自分が学部新設に関わった今から思えば,学部を新設するという行為はこれらの経験を通して自分の意識下に形成されていたように思う。小生は2008 年にスタートして現在も進行中の,エジプトに世界レベルの科学技術大学を設立する日本とエジプト間のプロジェクト,Egypt-Japan University of Science and Technology E-JUST にも関わっている。プロジェクト開始早々に「アラブの春」と呼ばれる民主化運動で政権が交代した異国の地で,ゼロから大学を設立するプロセスは日本では想像もできない事態に多々直面したが,自分の経験値はかなり高まった。これらの経験が無意識のうちに自分なりの人生の価値観(Value)の形成に役立っていたことは想像に難くない。

 IMTEK Baltes 教授の研究室から1997 年に着任したのがJan Korvink 教授である。Jan とは,彼がBaltes 教授の研究室でポスドクをしていた1987 年に横浜で開催されたTransducers 国際会議で知り合ってからの付き合いである。印象に残っているJan との会話の一つは,寝るときには枕の下にメモ帳とペンを忍ばしておき,夜中にアイデアが浮かぶと隣で寝ている奥さんに気づかれないようにこっそりと書き留める,という話題である。なぜこっそり書き留めるのかと聞くと,奥さんに気づかれると,あなたは家にいるときも仕事の事を考えているのね,と言って責められるからと答えた。日本人であれば,奥さんに呆れられることはあっても責められることはないだろうに,ドイツの教授は大変である。しかしこれは教授に限ったことではない。ドイツの大学では,夕方5 時になると研究室はあっという間に誰もいなくなる。学生はもちろん,ポスドクも教員も自宅に帰る。業績をあげないと次のポジションが獲得できないポスドクも,日本なら夜遅くまで研究室に残っているのが普通なのに,さっさと家に帰るのが実に不思議だった。休日に研究室に行くワーカホリックは自分だけであった。2000年12 月の寒い土曜日,誰もいない研究室で息抜きをしようと3 階のテラスに出たら,オートロックのドアがしまって建物から閉め出されてしまった。このまま月曜日までテラスで過ごすと凍死するかもしれないと思い,必死でアクロバットさながらに軒を伝って,たまたま開けてあった窓から入った。九死に一生を得る経験を通して,どうしてドイツ人が定時で家に帰るのか考えてみた。答えは,仕事と家庭を両立させることが当たり前であり,仕事を理由に夫(妻)あるいは親としての務めを免除されないからである。家に帰れば,夫(妻)・親として行動する。最近はやりの言葉,ワークライフバランスであり,人生のValue 観の一つである。

 普段の心がけで大事なことは自分なりのValue 観を意識して醸成することだと思う。仕事とプライベートは二者択一ではなくバランスだ。何が自分にとって大事なのか?能力の活用,達成感,創造性,研究費,自律性,報酬,社会的評価,チャレンジ,倫理性,他己性,奉仕性,リスクテイキング,社会的交流,多様性,国際性,職場環境,家庭環境,家族,etc。様々な視点があり,どれもオールオアナッシングではない。バランスである。これらは年齢・経験と共に変わっていくのが普通である。定期的に自分自身と向き合ってValue 観の棚卸をすることを勧めたい。

 2013 年より,某予備校にて毎年数回,「京都大学 特別講演会」と銘打って講演をしてきた。前半は京都大学での学び,中盤は研究の話題,後半は常日頃から意識して欲しい10 項目を紹介している。終了後のアンケート結果から,後半の内容が予想以上に生徒諸君の心に響いていることが分かる。10 項目の一つが「50 年後の自分の姿を思い描く」である。自分がどうありたいかを考え,そこから25 年後,10 年後,5 年後,1 年後,1 ヶ月後と逆にたどって,それぞれの時点での自分のあるべき姿(Vision)を考える。そうすることで,今自分がなすべきことがクリアになり,それを高いモティベーションで実行できるようになる。

 2019 年春に,2015 年より関わった文部科学省の科学技術人材育成コンソーシアム構築事業で若手研究者に向けてキャリアアップに関する講演を行った。講演準備をしている時に様々なキャリア(理)論を知った。中でも,Stanford 大学の故John Krumboltz氏による「Planned Happenstance Theory(計画された偶然性理論)」が自分の思うキャリア観にぴったりと当てはまった。その趣旨はこうである。「人生においてキャリアアップするために大きな決断を迫られるチャンスが何度か訪れる。それがいつ来るのか自分がコントロールすることはできない。しかし普段の心がけでチャンスが来る確率を高めることができる」。

 決断を迫られた時,拠りどころになるのがValue観とVision である。今までの人生の流れを大きく変える決断である。その決断により自分が成長し,飛躍できるチャンスになるのかどうかは誰も保証できない。決断の根拠は自分のVision に沿っているか,自分のValue 観に即しているかである。Vision とValue 観を持っているからこそ,チャレンジングな決断ができる。

 予備校の講演で10 項目を説明した最後に一つ付け加えるのが,「人事を尽くして天命を待つ」である。これも「Planned Happenstance Theory」に通じるものがある。Vision を目指して,Value 観を大切にして日々を過ごすことではじめて自分に決断の機会が巡ってくる。工学部・工学研究科の新設打診はまさに青天の霹靂のごとくに訪れたが,今は天命であったと思っている。「幸運の女神は前髪しかない」とも言う。決断はタイミングである。Value 観を持っていることで,迅速に後悔の無い決断が出来る。結果を予測して決断するのではなく,自分のVision に沿っているか,自分のValue 観に即しているかどうかで決断をする。結果は誰にも分からないのだから,Vision Value 観が無ければ決断はできない。

 決断した後は,次の決断の機会がくるまでは,シニアの方以外は流れに身を任せ,頼まれたことは何でも引き受けることを勧めたい。自分には出来そうもないことを頼まれても,他人は良く見ているもので,自分では気づかない能力を引き出してくれるものである。ただし,シニアは時間が大切なので,残された時間で何をすべきかの選択と集中が必要であることを,自戒を込めて申し添えておく。

 とりとめもなく長々と書いた。少しでも読者諸氏の機微に通じるところがあれば望外の幸せである。最後に,縁もゆかりもなかった小生を温かく迎え入れて,たくさんの機会を頂いた京都大学大学院工学研究科に感謝する。一緒に過ごした学生諸君,教職員諸氏に深く御礼申し上げ,皆様の益々のご発展を願ってやまない。

 (元マイクロエンジニアリング専攻)

 

参考文献

1 電気学会論文誌E(センサ・マイクロマシン部門誌),座談会:田畑修先生を囲んで139 9 号,pp. NL9_3-NL9_10,(2019DOIhttps://doi.org/10.1541/ieejsmas.139.NL9_3