Human Bumblebee:人間マルハナバチ

名誉教授 梅田 眞郷

No.74_工学広報_ページ_06_画像_0001.jpg この原稿の依頼を受けた6月初旬は,新型コロナウイルスの感染者数も全国で数十件程となり世の中も平静を取り戻すかと思われたが,原稿が遅れている間に第二波の感染拡大の只中となってしまった。with コロナ,after コロナ,new normalなどなど,メディアでは新しいキャッチフレーズが次々と生まれ,私たちの行動様式や社会・経済活動を「自主的」に変革する必要性が唱えられている。大きな災害や感染症により私たちの思考や行動が大きく変化することは,これまでに幾度となく経験してきたことであるが,この繰り返される行動の変容をどの様に捉えれば良いのであろうか。ここでは,私が京都大学に赴任して本格的に取り組んだ「ショウジョウバエの体温調節」についての研究を進める中での雑感を述べさせて頂くことにする。

「私たちは生物の集合体」
 私が東京都医学総合研究所から本学に赴任した2003年は,生命科学においては大きな転換期でもあった。その一つは,ヒトのすべての遺伝子を決定するヒトゲノムプロジェクトが終了し,地球上の生命体の遺伝子全てを明らかにするメタゲノムプロジェクトが本格的に始まったこと,いま一つは,人間活動と地球温暖化により生物種が絶滅する科学的な予測と絶滅の事実が示されて来たことである。特に,ヒトメタゲノムプロジェクトの推進によって,私たちの体を構成している細胞(約36兆個)の10倍以上の微生物が私たちの体に住み着いており,これらの微生物が私たちの健康や疾患・感染症,さらには意識や行動(後述)にも深く関わっていることが明らかになりつつある。全生物の霊長として独立した生物体であると思われていた「ヒト」も,少なくとも生物学上は,無数の生物が集合した(超)生命体であると考えられる様になった。また,これらの微生物は,私たちを終の住処にしているわけではなく,私たちの住む場所や生活環境,コミュニティー,そして食物により大きく変化する。

「ショウジョウバエの腸内細菌」
 京都へは単身赴任であった為,一念発起して自炊を始めた。まず,「きょうの料理ビギナーズ」から学び,暮らしの手帖の「おそうざいふう外国料理」や「評判料理」などのいわゆる古典を熟読した。常日頃から学生には古典を読みなさいと指導している手前,クックパッドに頼るわけにはいかない。次に,錦市場に行って有次の包丁と鰹節削り器を選び,鉄製の中華鍋・フライパン,フィスラーの圧力鍋等々の調理道具,最後に食器洗い機を設置して準備完了した。人類は8万種の植物を食べると言われている。私が「生存するための食」は,すべてスーパーにあった。そこには,土一つ付いてない野菜が整然と並んでおり,魚も切り身か冷凍になっている。昔はレール物と呼ばれたが,今は飛行機物の外国産の野菜も数多く並んでいる。週末ごとに買い物をするうちに,野菜の値段もわかる様になって来た。また,棚に並んだ野菜や果物についても段々理解が深まるようになった。つまり,私が摂取する植物種は,現代の農業が求める栽培性,多収性,耐病性,そして色・形・味覚などの様々な条件を満たした,極めて限られた栽培品種であることである。残念ながら,これらの栽培品種は原種とはかけ離れた植物であり,原種に含まれていた数多くの成分が失われている。
 ショウジョウバエの腸内細菌を調べると,パン屋さんのLune近くで採取した野生のショウジョウバエは,非常に多様な腸内細菌種を持っている。一方,研究室の培養器の中でコーンミールと酵母のプロセスフードのみを食べて育ったショウジョウバエでは,特定の腸内細菌のみが生着して菌の種類が極めて単純になり,また,細菌の種類も培養器ごとに大きく異なってしまうこともある。この食の単純化の腸内細菌に及ぼす影響は私たちにも当てはまり,現在でも狩猟採取生活を送っているタンザニアのハッザ族に比べると都市生活者の腸内細菌の多様性が大きく損なわれている。自然界においては,生物の多様性が高ければ高い程,生態系が安定し,外からの侵入や撹乱に対して強い抵抗性を示す。私たちの腸においても同様で,腸内細菌の種類が多様であればある程,外来からの細菌やウイルスの侵入を防ぐことが出来る。今回の新型コロナウイルス感染の国や地域差については,数多くの可能性が議論されているが,腸内細菌叢の偏り・単純化がその一因を担っているかも知れない。
 また,京都での生活が長くなり気がついたことは,京都には原種に近い野菜種が数多く残されていることである。肥沃な土地と千年以上続く文化と栽培技術の賜物であろう。私は,嵯峨野の近くに住んでいたことから,近郊に点在する無人の野菜売り場で,土のついた不揃いな野菜を探すのが楽しみの一つであった。京都では「三里四方の野菜を食べていれば,長寿延命疑いなし」と古くから言われているが,私の様に無神経な男が,良く洗いもせずに細菌ごと地元の野菜を食べることで,私の腸内細菌叢は豊かになったかもしれない。少なくともこれまで,下痢や寄生虫の被害にあったことはなく,幸いにもCOVID-19も逃れている。

「ショウジョウバエの体温調節」
 ショウジョウバエの体温調節の研究でまず分かった事は,ハエは,餌が豊富で代謝活性が高い時は冷たい所に行って体を冷まし,代謝活性が低いと暖かい所に行って体を温め,自分の代謝活性に合わせて体温を調節するきわめて省エネ型の動物ということであった。一方,私たち人間は,他の動物や植物を食べ続けることにより代謝活性を高く保ち,代謝により生ずる熱で体温を一定に保ついわゆる恒温動物であり,言ってみれば,非常にはた迷惑な生き物である。小林一茶が詠んだ「やれ打つな蝿が手をすり足をする」に共感し,この環境に優しい昆虫を愛おしく思うのは私だけであろうか。
 ところで,ハエは食べ物だけでなく,腸内細菌の種類によっても選択する温度が変わることも分かった。私たちは,どうしてもハエの身になって,ハエが自分の都合の良い温度に移動していると考えがちであるが,見方を変えれば,ハエに住み着いた腸内細菌が自分の都合の良い温度にハエを導いていると考えることもできる。実際,動物に住み着いた微生物が宿主の脳に働きかけて行動を変えることはよく知られており,特に,個体間あるいは個体群間の相互作用,つまり社会的な行動をコントロールすることにより自身を集団間で拡散する事は様々な動物で観察されている。例えば,花に感染するあるウイルスは,花の色や形を変えたり,化学物質を放出して媒介昆虫を引き寄せることにより多くの花に感染を広げる。一方,このウイルスに感染した昆虫は,ウイルスに感染していない花を好むようになり,新しい宿主に感染を広げる。
 この微生物と動物の行動との関係は,昆虫から哺乳動物まで進化の過程を通して築き上げられたものであり,ヒトだけが例外とはならないことである。私たちの行動も,個人的な無意識,集団内での無意識的なバイアス,文化など様々な要因により意識しないまま左右されているが,人間の社会から自然へと枠を広げると,微生物のような未知の要因によっても,私たちが意識する・しないに関わらず何者かに操られているのかも知れない。
 私も,暇をみては庭いじりをするようになり,気に入った木や季節の草花を見つけてきては植え付けている。一方,私の隣では,コロコロした愛くるしい姿のマルハナバチが花々を訪れ,蜜を吸い,後ろ足に花粉をつけながらせっせと働いている。自然の中では,私もマルハナバチも一つの動物種であり,もしかしたら私もマルハナバチも花の色香に惑わされて,その花の遺伝子を拡散するようにせっせと働かされているのかも知れない。表題のHuman Bumblebeeは,Michael Pollanが2001年の著書 "The Botany of Desire: A plant's-eye view of the world"で使った言葉である。彼は著書で,リンゴ,チューリップ,マリファナ,ジャガイモの栽培品種としての成り立ちと人間の営みを様々なエピソードも交えて述べているが,その副題にあるように,植物の目を通した世界(自然)の中での人間の営みとして,人間中心的な考え方を見直すよう求めている。
 自然とは,人里離れた森や山,海や川ばかりでなく,私たちの住む都市も自然に含まれている。私たちは,自然の中に生きる一つの動物種であり,自然に操られ,生かされていることを忘れるべきではない。また,自然の多様性に立ち向かうのであれば,「彼を知らず己を知らざれば,戦う毎に必ず殆うし」(孫子・謀攻篇)を肝に銘じておく必要があろう。私たちは,繰り返し大きな犠牲を払い続けている。

「おわりに」
 今思い起こすと,私はマウス・ハエ・酵母について,四十数年間研究を続けて来たが,思い描いたテーマのほんの一部しか明らかに出来なかった。20世紀末から21世紀にかけて生物学の概念を大きく変えた分子生物学においても,数千万種と言われる生物種のうちの僅か数十種のモデル動物を研究対象としており,私たちの身の廻りの生物や生物同士の相互作用については殆ど明らかとなっていない。京都大学では,好奇心の赴くまま自由に研究をさせて頂いた。これからは,少しでも世の中の役に立つように,身近な生物の研究を続けたいと思っている。

(元合成・生物化学専攻)