「新しい知の発見」と「知の体系化」

副研究科長 木本恒暢

木本恒暢

はじめに
 令和3年度より副研究科長を拝命し,広報,学術研究支援,OI機構連携等を担当させていただいております。本学の中でも最大部局である工学研究科は多岐の専門分野にわたる17の専攻があり,専攻ごとに教育制度や文化が異なることを再認識しています。しかし本職に就いて何より感嘆したことは,研究科長,副研究科長(特に評議員の先生),および事務部の方々の献身的なご尽力です。研究科運営に対する日々のご貢献に敬意の念を抱いています。この度,私が広報委員会副委員長として担当しております「工学広報」の巻頭言執筆という機会をいただきました。私には高尚な教育論を述べるには荷が重すぎますので,簡単な自己紹介の後,大学を取り巻く環境や博士進学の意味に関する雑感を述べさせていただきます。

自己紹介
 私は本学修士課程修了後に民間企業の研究所で勤務する道を選びました。もちろん博士の学位には興味がありましたが,実社会を知りたいという希望が根本にありました。短い期間でしたが,企業での勤務経験は,その後の私の人生に大きな(プラスの)影響を与えました。目標が定まった時の企業の迫力(設備,資金,マンパワーなどのリソースとそれを支える体制)に驚愕し,企業で取り組む研究開発と大学でやるべき研究の境界を明確に認識できたのもその一つです。また昼勤と夜勤を一週間ごとに繰り返す工場実習を通じて,日本の製造(インフラ用部品,部材)の現場を目の当たりにし,年齢も個性も多様な約100名のチームを率いる現場のマネージャーに求められるリーダーシップも学ぶことができました。その後,大学に復帰する機会を得まして,学位取得,スウェーデン勤務を経て現在に至っています。スウェーデンの大学勤務時には研究室構成員約30名で18国籍というグローバルな環境で研究に没頭できたのも貴重な経験でした。これらの経験を通じて強く感じていることは「全ての経験は必ず自分の人生にプラスに作用する」ことです。私は,学生時代の研究テーマ,就職企業,就職後の配属部署など,比較的重要な局面で,第一希望は叶いませんでした。自分自身がネガティブ思考に陥っているのではないかと懸念した時期もありましたが,今から思い返すと,全て現在の私の研究教育に大きく役立っています。人生はポジティブ思考:前進する方向に努力する,ポジティブスパイラル(正方向に進行する螺旋)が私のモットーになっています。

卓越大学院プログラム
 余談が過ぎましたが,私は現在,文部科学省が主導する修士博士一貫教育プログラムである卓越大学院プログラム「先端光・電子デバイス創成学」のプログラムコーディネーターを務めております。工学研究科,理学研究科,情報学研究科の先生方と一緒に様々な教育プログラムに取り組んでおり,研究科によってカリキュラムや学位審査だけでなく,学生さんの意識も随分違うことを改めて痛感しております。普段はお話する機会のない学生さんの研究発表を聴いたり議論するのは大変面白く,こちらの頭脳が活性化します。幸いにして博士後期課程在籍者の約7割の学生が日本学術振興会の特別研究員に採用され,多くの学生が学会から論文賞や研究奨励賞を授与されるなど,非常に優秀な履修生に恵まれています。ただ,毎年,フォローアップ,現地調査,実施状況調査,評価委員会等による大きな関門とその評価コメントに対する回答,さらには経費執行に関する妥当とは言えないような細かい指摘などがあり,私達の意識や視線が履修生ではなく政府側の機関に向いてしまっていることが多く,反省しています。ご興味がおありの方は,是非,本卓越大学院のホームページをご覧ください。

博士の学位
 卓越大学院プログラムでは,大学院教育改革,「知のプロフェッショナル」の養成,産学連携,国際連携,国際水準での質保証,キャリアパスの提示,PDCA(教育に適切な表現か?)など,多様な評価項目がありますが,根底にあるのは優秀な博士人材の育成に他なりません。理学研究科ではアカデミア志望の学生が比較的多く,博士後期課程の定員は常に充足されています。一方,工学研究科,情報学研究科では,一部を除いて100%の充足率を達成している専攻は多くありません。この理由として,博士後期課程における経済的自立へのハードルに加えて,民間企業志望者が多く,「多くの場合」において修士修了の資格で足りること,企業側が博士後期課程修了者に対する優遇制度(給与や待遇)を設けていないことなどが指摘されて久しいと言えます。
 しかし,グローバルな市場において先端技術で勝負する企業においては,事業部で製造を統括する人材だけでなく,次世代,次々世代の技術を提案し,牽引する人材を獲得できるかどうかに,20年後の企業の命運がかかっていると言えます。そして,このような人材(ドラフト1,2位指名に相当)こそが,本学工学研究科で切磋琢磨を経験した博士であろうと確信しています。また,大学院修了後の進路を考えますと,アカデミア,公立研究所,海外機関で研究教育や技術開発を行うには博士の学位は必須で,資格の役割を果たします。また,上述のように技術で勝負をする民間企業からも引く手数多です。研究に興味がある学生さんなら,博士進学は「Why not?」ではないでしょうか。工学研究科は,そのような学生さんが十分に活躍できる研究環境を提供していると思います。

大学教育の根底にあるもの
 前置きが随分長くなりましたが,重要な大学の使命として,「新しい知の発見」と「知の体系化」があります。これが学生の教育と表裏一体であることは言うまでもありません。知の開拓に関する歴史は大変興味深く,私もこの類の書籍をよく読みます。私の専門分野である電気電子工学分野では,人間の目に見えない物理量(電圧,電流,電荷など)が特に多く,その発見と解釈には長い時間と議論を要しました。しかしながら,情報化社会の発展により,インターネットを使えば,膨大な知を瞬時に入手できる時代に私たちは生きています。あまりに便利であるため,一つ一つの知を確立するのに費やされた先人の英知と努力に思いを馳せることなく,一歩間違えば,知の軽薄化(?)に繋がる(少なくとも錯覚する)可能性も否定できません。このような時代において,学生に対して知へのハングリー精神を訴えても共感を得ることは困難です。「未知への挑戦」をアピールしても共感を得られるかどうかわかりません。
 一方で,「未来は予測するものではなく(自分の手で)創るものである」,「独創の芽は肥沃な土地にのみ育む」という言葉があります。やや傲慢な一面もありますが,教員がこのような気概を持って研究を楽しむ姿を見せることが学生の意識を刺激し,動機付けする契機になると考えます。私は中学,高校生の頃,科学技術に関するワクワクするような報道に刺激を受けてこの道に飛び込み,大学時代の教員の姿を見て研究の面白さを学びました。コロナ禍で制限があるとはいえ,若い人に刺激とインスピレーションを与えられる存在でありたいと願っています。
 頭が十分整理されないまま,首尾一貫した巻頭言からは程遠い内容となってしまったことをお詫びいたします。残り一年,研究科長をサポートし,他の執行部の皆様と共に工学研究科の発展のために微力を尽くす所存ですので,引き続きご支援のほどお願い申し上げます。

(電子工学専攻 教授)

参照:
京都大学 卓越大学院プログラム「先端光・電子デバイス創成学」 Web サイト

http://www.e-takuetsu.ceppings.kyoto-u.ac.jp  京都大学 卓越大学院プログラム「先端光・電子デバイス創成学」 Web サイト