2年間の研究科長任期を振り返って

名誉教授(前工学研究科長・工学部長) 椹木哲夫

椹木先生 本年3月末をもって2年間務めた研究科長・学部長を離任するにあたって寄稿の依頼を受けた。思えば2年前の今頃,次期研究科長に決まって最初の依頼がやはりこの工学広報原稿の執筆であった。それ以来,研究科長・工学部長として執筆を依頼された挨拶文は数知れない。私の場合,研究科長・学部長を離任と同時に37年間お世話になった京都大学を定年退職することになる。現役教授としての最後の2年間は,それまでのCクラスターの私の教授室・研究室への出勤から様変わりし,ほとんど毎日がBクラスターの事務管理棟にある研究科長室に出勤する毎日となった。以下本稿では,任期中の2年間を大きく4半期に分けて,研究科長として直面した問題やその時に何を感じてどう考えたかについて振り返ることにしたい。

 まずは就任間もない2021年度前半の最初の4半期である。就任前からのコロナ渦は一旦収まりを見せかけていた時期で,4月からの新学期の始まりに向けては,それまで1年以上続いたリモート講義から対面講義に切り替えるという宣言が出され,皆が希望に満ち溢れて迎えた新学期であった。実際に最初の2 週間ほどは対面授業がなされ,とくに2回生の学生達には多少なりとも初期の学生同士の繋がりができたと喜んでいたのも束の間,その後,緊急事態宣言が出されオンライン授業に戻された。そしてその後は緊急事態宣言の延長につぐ延長で,期待が高まっては裏切られることの繰り返しとなった。前年度以上に見通しが立てにくい状況に瀕することになり,結果的に対人交流が不自由な状況が長期化することとなった。学生への影響は大きく,真面目に神経質に自粛生活を送る中で憂鬱になることが多いと申し出てくる学生の声も多く聞かれた。リモート講義で教える側から教わる側への知識の転移は効率的にできた一方で,教わる側同士の学び合いや相互研鑽の機会が奪われたのは大きな痛手であった。

 もう一つの大きな課題は男女共同参画に係る課題であった。4月1日に総長から工学研究科長の辞令交付で吉田の本部棟に出向いた際に,理事から最初に声がけされた内容がこの課題であり,その後も担当理事や理事補の先生方とは工学の部局現状について懇談を繰り返した。2021年9月には,全学としての達成目標(数値目標)の設定がなされ,各部局に対しても,女性教員比率,大学院女子学生比率,学部女子学生比率のそれぞれで達成すべき数値目標が設定され,アクションプランの策定とその達成のためのロードマップの作成が指示された。これを受けて工学では,数合わせだけを目標に掲げても意味はないので,何をすればダイバーシティの改善に繋がるかについて教員,職員,学生が一緒になって考えてみることになった。そのための「工学魅力発信タスクフォース」(TF)が立ち上がり何度もワークショップを重ねながら議論が交わされた。 TFが立ち上がるきっかけの一つとなったのは,若手の事務職員を中心に結成された桂地区(工学研究科)事務部横断チーム「Bridge」の活動成果であった。「Bridge」では現役女子学生や京都大学職員のキャリアを選択した方などからの生の意見を聞いてみるヒアリングが実施された。理工系の女子学生が学生生活をどう送っているかの発信の必要性や,当たり前のようにある実験機器や設備がいかに貴重なものでこれらを備えている京大工学はいかに誇れる研究大学であるかなどの素直な感想の数々が寄せられた。これらを踏まえ,TFでは,いきなり女性の大学研究者を増やすための策を講じるよりも,工学出身の女子が社会の中で仕事を続けながらキャリアを積み上げていく姿を見せることで女性エンジニアを目指すパイを増やし,そこから大学での研究者としてのライフワークを志向する女子が増えてくることを待つ以外にはないという意見に落ち着いた。

 ついで2021年度後半の第二の4半期を迎えたが,ここでは11月の部局長会議で第四期中期目標期間における人件費・定員管理の基本的枠組みが提示された。第三期中期目標期間において実施したシーリング分については定員削減を行うこと,そして第四期中期目標期間はこれに加えてシーリングを実施することはしないという内容であった。すでにこの件は第三期中期目標期間中から周知されていたことなので大きな混乱はないであろうと踏んでいたのだが,上記の数値を学系毎に調べ直した結果,どうも当初想定していたよりも削減分が多くはないかとの懸念が浮上してきた。調べてみるとこれまでの工学系群での定員管理において恒常的な空き定員の活用がなされてきたことに起因することが判明した。そこで各学系と工学執行部との懇談会の場を設定して意見交換を行なった。各学系には機能強化促進制度の運用に伴う第四期中期目標期間における年度計画の作成が求められ,その評価に基づいて第四期中期目標期間における定員削減率が決定されることになった。評価の観点は,①女性教員比率の目標達成状況,②若手教員育成体制,③組織再編の実施状況,の3つの軸が明示され,①と②に関しては各学系に固有な現状制約の中で計画策定を行ない,さらに③の組織再編に関しては,各学系内部での再編構想とともに,工学系群全体に共通する組織再編策を執行部から提示することで,学系と学系群の間での相互調整,すなわち組織を構成する個々の学系がどのように変わっていかねばならないかについての継続的な改善と,学系群全体としては既存の硬直的な枠組みを少しずつ超えながら改善していく動きとを連動させていくこととした。なお,後者については後述する次世代学際院を設置するべく検討を行うこととした。

 任期2年目に入ってまもない2022年4月の部局長会議では,総長から大学としてマネジメント力のより一層の向上を図り,教育力・研究力を持続的に発展させ,教員は教育・研究活動に注力し,職員は管理運営業務においてより大きな責任を担うことで,それぞれが最大限の力を発揮できるよう教員と職員の役割や業務の範囲を見直すとの方針が示された。そして職員の高度化,組織及び業務の高度化・効率化を図ることによって機能的な大学マネジメント体制を構築し,教職協働を一層推進するとの表明がなされた。世界と伍する卓越した研究大学を目指して,教員がマネジメントに多くの時間を費やさせられている現状に鑑みて,教員の研究に従事できる時間を回復することを目標に掲げ,さまざまな研究支援体制の全学的な見直しが打ち出された。その一部はすでに前年度から,支援職員,技術系職員,URA等の研究支援組織の体制の見直しが並行して進められてきていた。

 最後の4半期に入ったいま,工学においては,昨年度から議論を行なってきた第四期中期目標期間における年度計画の中での組織再編に関連して「次世代学際院」の設立にかかる議論を設置準備ワーキングを設けて進めている。いまこの設立を急がねばならない理由は何か。それは盛んに言及される「総合知」を扱えるのが工学の強みであるものの,その障壁になりかねない細分化と硬直化に陥りがちな研究者組織と若手研究者の人材育成のあり方を変えていかねばならないという要請である。単一専攻で完結をみるような教育・研究から,他専攻・他研究科の参画も含めたプログラム指向型の教育の導入がいま社会からは必要とされている。そこで工学の中で新たな総合知の修得と実践による次世代を担う研究者の育成を目的として,研究を通じた異分野交流の場を提供し,他分野との交流を通じて,異分野の知を深いレベルで結びつけ新しい知に繋げていくこと,いわば「組織の壁をこえた協働ができる人材の育成」を組織的に行うことをミッションとする次世代学際院の設立を構想するに至った。これまでの伝統的な京都大学工学の強みは,専門性の深い知識(専門知識)はそれぞれの分野に分かれてこそ深い知識に到達できるとするディシプリン中心型の学問を極めてきたことにある。しかしこのような伝統的なディシプリン教育を受けてきた研究者であればこそ,個別の研究領域・研究方法論に依存しない領域越境型の問題解決を目指す学問に参加していくことで,企業活動,教育,環境問題など,さまざまな社会活動と密接な関係を持ちながら社会的なアカウンタビリティを獲得していけるものと考える。

 桂キャンパスではすでに大嶋正裕前研究科長の任期中より,「テクノサイエンスヒル桂構想」のもとでキャンパスを使った実証研究プロジェクトや「桂の庭」や「桂産直便」の動画発信(研究シーズ発信),「桂結」の設備サポート拠点の整備が進められてきた。これらを引き継ぎ,私の任期中には「桂の実(みのり)」と称する産官学でのマッチング交流会を桂図書館を舞台として定期的な開催を開始し,様々なセクターからの多くの参加者を集めている。また「桂ジェンダーネットワーク(桂ジェネ)」と称する女性研究者の産学連携ネットワークイベントでは、ジェンダー・ジェネレーションのダイバーシティに焦点を当てた企画も開始しており,学内外からの関心を集めている。これらの企画に当たっては,工学研究科附属学術研究支援センターのURAの方々の企画力と企画を実践する中で発揮される高いファシリテーション力があってこそ実現できたものであった。

 以上,私の在任期間の2年間を主だった出来事を中心に振り返らせていただいた。研究科長への就任以来,本当に日々想定外の出来事が次々に起こってくることに驚かされた。その多くは過去に前例のないような,課題解決の道筋も見えないような事案も含まれる。しかしその問題の発生に呼応して,副研究科長,研究科長補佐の執行部の先生方と事務部長以下担当課長・課長補佐・掛長らが集まって協議を行い,迅速に差配して回していくことで組織的かつ機動的な問題解決を図ってきた。ある課題は長い期間をかけてエネルギーを投入してやっと解決がつく問題もあれば,問題の発生とともにいつの間にか問題自身が消滅して解決をみているような問題もあった。本稿執筆時にはいまだ2ヶ月の任期を残す時点ではあるが,私にとって37年間の教員生活の最後の2年間にこのような大仕事に従事させていただいたことに感謝を申し上げる一方で,工学が抱える潜在的な課題について,気づきこそすれ解決まで踏み込むことができずに残してしまったこともあることは悔やまれる。次期研究科長にはしっかりと申し送りさせていただくつもりである。
 末尾ながら,この2年間を支えてきていただいたすべての教員・職員の皆様のご協力とご支援に深く感謝を申し上げる次第です。本当にありがとうございました。

(機械理工学専攻 2023年3月退職)