「教える」と「学ぶ」

名誉教授 松原 厚

 このたび京都大学を退職するにあたって,研究・教育生活を振り返る機会をいただきありがとうございます。まずは,研究・教育活動を支えてくださった恩師,教職員,学生・卒業生,共同研究者のみなさまに心より感謝を述べたいと思います。少し私の経歴を述べさせていただくと,私は京都大学工学部機械工学科を卒業後,電子部品メーカーに就職して生産技術開発に携わりました。その後,京都工芸繊維大学の社会人修士課程に入学し,修士号を取得しました。会社を退職後に京都大学工学部精密工学科の垣野義昭教授の研究室で助手として採用されました。垣野先生は工作機械の運動精度測定装置の開発を通じて工作機械の性能向上に大きく貢献され,高速・高精度機械加工の分野で産業界と様々な開発プロジェクトを進めておられました。私はそれらのプロジェクトに参加して研究を行う傍ら,学位論文をまとめ博士号をいただきました。実は大学に戻った理由は,海外で研究したかったからだったのですが,博士学位取得後,イリノイ大学アーバナシャンペーン校で客員研究員として研究ができ,念願がかないました。今回,随想への執筆の機会をいただき,研究の話を書こうか迷ったのですが,結局,学部生時代の思い出を中心にした話にしました。

 内田樹氏の著書「先生はえらい」(筑摩書房)に,「沓(くつ)を落とす人」という一節があります。中国漢代の高名な軍師の張良が修行時代の若いころ黄石公という老人に出会い,兵法の奥義を教えてやると言われて弟子になる。張良は黄石公の世話をするがなかなか奥義を教えてもらえない。ある日,馬にのってやってきた黄石公が履いていた沓の片方を落として,張良に「取って,履かせよ」という。張良は命令にしたがって拾って履かせる。だが,別の日に,やってきたときは両方の沓を落として,張良に同じ命令をする。張良はわけのわからないまま拾って履かせるが,この瞬間にすべてを悟り,奥義を会得した。話はここで終わってしまうのですが,これは原典に記されたものと内容が異なっているようです。そちらでも張良は沓を拾うのですが,最後には兵法書を授かり,師が与えた試練と弟子の忍耐・謙虚さがテーマになっています。しかし,私は,張良がいったいなにを授かったかまったくわからない話の方に心を動かされます。その理由は,この話から学部生時代に指導していただいた柴田俊忍先生のことを思い出すからです。
 研究室に配属された最初の会合で,先生は「データメーキングマシンになるか,自分でテーマを考えるかを選べ」と言われました。データメーキングマシンは嫌だなと思い「自分で考えます」と答えたのですが,そのあと先生から具体的な指示はありませんでした。研究が始まらないので,先生にどうしたらいいですか?と聞きに行くと,「この問題を解いてみなさい」と材料力学の演習問題を渡されます。よし,これがテーマなのだと思って解いてみると,その解答に対して「現実にそのようになるか?」と聞かれる。その解答では実際起こりそうなことが説明できないと思い,それを話すと,ただ,「うん」とだけおっしゃった。どうやら,この問題を研究テーマにしなさいという意味ではなかったと考え,仕方なく,過去の先輩が取り組んだテーマをみつけてきて,これをやりますといいました。先生は,困ったような顔をされながらも(実際,いつもそういう顔をされてましたが),部品の手配をしていただいたり,装置の使い方を教えていただいたりしました。結局,卒論は実験報告書程度の内容しかなかったのですが,先生には論文を真っ赤に添削していただきました。この当時は,先生がいったい何を考え,私になにをさせようとしているのか全くわからなかった。でも,今は,先生はテーマを教えようとしていたのではなく,テーマの見つけ方を考えさせようとしていたのだと理解しています。先に紹介した内田氏の著書では,「学び」の主体は生徒側にある。生徒や弟子が先生との対話を通じて「誤解も含めて」学ぶのだと述べられています。実際,私の理解したことは,柴田先生の意図されたこととは違うかもしれません。しかし,私は,「テーマは自分でみつけるものである」ということをこのとき学んだと思っています。残念ながら柴田先生はお亡くなりになり,「あの問題」の意図をお聞きすることができません。
 おそらくこの話を聞かれたら「自学自習の京大らしいね」という方がいらっしゃるかもしれません。しかし,こんな話もあります。昭和 30 年代,東北大学では,新制大学の後半 2 年間だけでは急速に進歩する工業技術に対応できないのではないかという議論がありました。そこで,学部卒業後に大学院生または研究生として 1 年間学んだ後に就職させる案が検討され,工学部教授による懇談会が開かれました。懇談会に出席された東北大の酒井先生の記述を参考文献から引用すると「議論は侃々諤々 (かんかんがくがく)として続いていた。そのとき熱力学の抜山四郎教授が一喝された。『そういう考え方では駄目だ。そのような考え方だと, もう5年もすると,教えることがまた多くなった。だから更に年限をふやそうという者が必ず出てくる。 教授たる資格は, 何を教えるかではなくて,何を教えてはいけないかを知ることにある』」。
 教える側になった自分をふりかえってみると,自分はすぐに教えてしまい,学生の学びを育めたのだろうかと自問自答しています。柴田先生のような忍耐強さはなかったことは確かだと思います。ただし,私が教員を務めた期間,科学技術は劇的に進展しました。この背景のもと大学院が重点化され,教えないわけにはいかない,という現実もあり,みなさんも学生の学びについて悩まれていたと思います。実際,京都大学は現在の基本理念の策定の際,伝統的な「自学自習」は放任とも受け取られることを反省し,「対話を根幹とした自学自習」に発展させています。そして,現在AI が驚異的に発展しながら,教育の根幹を揺るがしています。やさしく,わかりやすく教えてくれる AIから我々は何を学んでいるのか?将来,AI は先生と呼ばれるようになるのか?難しい話になってしまいましたが,私も別の大学でしばらく教鞭をとることになり,このテーマに関わりながら,みなさまとお話しする機会があればありがたいと思っております。
 工学研究科の益々の発展をお祈りして,筆を置くことにいたします。

(マイクロエンジニアリング専攻 2026 年 3 月退職)

参考文献:
酒井高男,機械工学における創造性教育について,日本機械学会誌, 1984, 87-788, pp. 659-663